アディクション



 母と子という関係性はかなり複雑です。我が家は母一人の保護者になってしまったもので、ここのところ子どもとの関係性について考える機会が増えております。

 先日、娘二人に「我が家はね、〇〇(二女)ちゃんが十八になったら解散だよ。解散」と伝えました。すると二女が

「じゃあ、私が住んでいる向かい側にお母さんが住んで。一緒には住まないけど、近くに住みたい!」

 ていうんです。で、問題の長女の回答。

「じゃあ○○ちゃんが住んでる向かい側に、お母さんと私が住む!」

 

 ——おい~。解散にならないじゃねえか。


 私の友達も離婚しているんですけれども、彼女の長女がね。ずっとお母さんにべったりなんです。二十歳を過ぎているのに、「母ちゃんと一緒にいれればそれでいい」って言うんですって。友達も独り者なので、娘ちゃんにそう言われると悪い気がしないみたいで、二人でくっついているんですよね。

 正直、私はそういう親子関係は望みません。子ども達が出ていくならそれはそれでいい。もともと、一人の時間がないと息苦しくて窒息死しそうな私です。きっと大きくなった娘たちと一緒に暮らすなんて難しいと思うんです。


 しかし世の中にはこうした親子が大変多い。家族システム論から言うと、世代を超えた密着はいろいろな弊害を起こすと言われております。母子の関係性が強いというのはいまいちよくないということです。


 アディクションっていうのは依存症のこと。代表的なのは酒ですよね。アルコールの依存症で問題になるのはそれを支えてしまうイネーブラー(支え手)の存在。それは配偶者であったり、子であったり……。

「お酒買ってこないと暴れるんです」

「みなさんにご迷惑をかけるわけにはいかないんです」

 そう言って、酒をせっせと購入してくる。なにか失敗したら尻ぬぐいをしてくれる。そして、そんなダメな人を世話している自分が大好きなんです。だから主治医から「家を出なさい。本人を一人にしなさい」と言われると「ひどい医者だ! あんな大変な人を一人置いていくなんてできるわけないでしょう?」と憤慨し、本人との関係性にとてつもない執着を見せるんですよね。

 正常な判断が出来る状態だったら、正直家を出ますよ。のんだくれた人間なんて見捨てます。私ならそうします。

 アディクションは本人が底つき体験をしないと治療のルートに乗っていかないというものなんですけれども、このイネーブラーが先回りをして本人の底つきをさせないんですよ。共依存の関係性です。本人がイネーブラーを支配しているように見えて、イネーブラーも本人を支配しているんです。この関係性って母子にも当てはまるんだなあと最近つくづく実感しております。


 母親は子を支配する。子は母親を支配する。お互いに言葉や態度でコントロールしていくという関係性。両親そろっていても、そういう関係性っていうのは存在するんですけれども、母一人の家庭だと余計にそういうのって強いような気がするんですよねえ。

 私はそうならないようにしたい。子どもには子どもの人生を歩んで欲しいと思っています。


 子育てって育ってみないとわからないことも多いし、悩みますね。親が九十になっても百になっても子からは親への想いをぶつけられますからね。親子関係って大変興味深いものです。


 昨日のエッセイでipodの制限について書いたところ、こころさんからアドバイスをもらったので「我が家は甘いんだって。もっと厳しい家がたくさんあるんだからね。ありがたく思いなさいよ」と長女に言ってみました。もう無視ですよ。スルー。更に頭に来たので、Appの使用時間、一日二時間から三十分に減らしてやりました。へへ。どうだ! まだまだ気が付いていない彼女ですが、気が付いた時の驚き様が楽しみです笑



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