妄想のことからの脳科学



 相変わらず、妄想の泉が本調子ではありません。今日は人体学校を更新しますけど、「筆がのらない」とはこのこと。書くスピードが激落ちです。エッセイも「書こう」とは思ったものの、書き出すのに10分以上かかる始末です。


 今日は枯渇してしまった「妄想」について書いてみようかと思います。小説を書かれる方々は大なり小なり妄想家? というんでしょうか? 脳内でストーリーを考えるんですもんね。なんか「妄想」っていうとあんまりいいイメージに聞こえないのはどういうことか。


 想像:実際に近くに与えられていない物事を、心の中に思い浮かべること。

 空想:現実にはあり得ないこと、現実とは何ら関係のないことを、頭の中だけであれこれと思いめぐらすこと。

 妄想:その文化において共有されない誤った確信のこと。


 ネットで意味を検索してみるとこんな感じ。ああ、そっか。確かに。「妄想」とは精神医学の分野で定義されているものでICD(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)に定義されているものでした。

 と、いうことは「妄想の泉が枯渇している」という使用用途は誤りというわけで、本来は「想像」や「空想」という言葉が妥当なのだろうと思うわけですが、なぜか「妄想」という言葉を使いたくなるんですよね笑

 言葉のニュアンスってやつでしょうか?


 精神科の実習の時に、様々な方にお会いしました。現職でも「妄想」を持たれている方に多々お会いしますが、本当に「妄想」って訂正不能。「そんなことあるわけないじゃん!」なんて突っ込んでみても、本人は至って真剣な訳。


 右腕を、頭の上を通して左耳を触りながら誰かと交信しているとか。鴨居の上から人が覗いているとか。死んだ夫が隣の部屋に座っているとか。部屋の中にたくさんの人がいるからと弁当を山盛り買ってくる人とかね。

 周囲からしたら唖然なんですけど、彼らにとったらそれが現実リアルであるため訂正はできない。だって現に目の前にそれがある。それが聴こえるんですもんね。


 人間の脳とはとても不思議な世界です。先日「闇の脳科学」という本を読みましたが、これまた興味深い。脳に電極をぶっさして、その部位を刺激することで、感情のコントロールなどができるという話です。


 1950年代、米国のロバート・ガルブレイス・ヒースという科学者が同性愛者の男性の脳に四本の電極を差し込み、電極から送られてくる計測値を観察して、女性との行為で性的興奮が得られるかどうかという実験をした——という衝撃的内容から始まります。ちょっと小説っぽいですよね。被験者の男性と娼婦の女性の映像こそ見ないものの紙に記録される脳の波形を、隣の部屋で科学者たちがじっと観察しているんです。結果、彼はなんと無事に女性に対しての性的興奮を得られて実験は大成功——というものです。


 本文の中では倫理的にどうなのかという問題と、科学的探究心との葛藤についても書かれていました。ヒースは、脳ペースメーカーというものも考案します。これに近い脳深部刺激療法は現在の日本でもパーキンソン病の方には保険適応されているようです。

 しかし脳への直接的な介入は、これらの取り組みは疾病の治療や、器質の問題に苦しむ人たちにとって利点がある一方、様々な危惧を孕むわけです。つまり冷酷非道な兵器化することも可能であるということです。怒りを引き起こす分野を刺激してやれば、理由がなくとも目の前に人間に殺意を持たせることができるからです。なんか恐ろしい気がしますね。

 結局、ヒースは先駆的過ぎて、当時はあまり認められず、そして闇に葬られるという結末に至るわけですが……。現在でもその流れは繰り返され、脈々と受け継がれている様も書かれていました。


 昔から精神科領域ではロボトミー(前頭葉の一部切除等)や電気けいれん療法なるものがありますが、それって私が学生時代くらいの話だと思っていたんですよね。もうすっかり精神科とは離れて生きているもので……。

 私が看護師になった頃は、前頭葉がへこんでいてヘッドギアしている患者さんがいましたし、実習中には電気けいれん療法も見学しました。それが、未だにそういうものが活発に研究されているということ。


 精神科領域はまさに色々な波が押し寄せてきているのだろうか? 現在の病名は誤りである。「うつ」一つにとっても、人によって症状が違うではないか——という議論も出ているとのこと。

 生い立ちが云々うんぬんといったような心理学的な診断は過去の遺物。精神科疾患はあくまでも脳の器質の問題である。という内容に、納得できる部分と、いやいや、環境もあるよねという部分と。なんとも悩ましい、興味深い一冊でした。


 あれ? 妄想から脳科学に話が飛んだぞ。まあ、どっちにしろ、私が学者でも研究者でも治療者でもない。ただ目の前でなにかに苦しんでいる人たちが少しでもいい状態になることに精を出す。疾病の原因の探求は専門家にお任せなのです。


 しかし、人間はどこまで何を求めていくんでしょうね。脳をいじることは神の領域へ足を踏み入れるということなのか? 脳の器質の問題で苦しんでいる人が増える現代には必要不可欠なことなのか?

 この分野にはこれから大注目です。いつの間にか、自分の脳、いじられる可能性も無きにしも非ずの時代がくるかもしれません。


 あ~。今日はコアな話題です。すみません。








 




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