帝国憲法第五条/一角獣と蛇

 王宮を抜け出して二十分程度が経過。カフェの店主に別れを告げ、市街地の散策を再会した頃から俺はある違和感に取り憑かれていた。何者かが俺の後をつけている。一定の距離を保ったまま、俺が歩みを止めると背後のソレも止まる。俺が速度を上げるとソレも速度を上げる。


「人の後をつけるとは良い趣味じゃねえな。姿を現せよ」


 痺れを切らして俺が呼びかけると、路上駐車された車の影からソイツは姿を現した。


「よく気がついたな。流石、帝国のプリンス」


 俺の身分を知っている…? コイツ、さっきのカフェでの会話を聞いていたのか?


「この国が平和だと思って油断しちゃった? 自分の立場を理解しないとダメだよ。アンタの命の価値もね」


 俺を尾行していた五十代位の小汚い男は、出てきて早々ペラペラとよく喋る。


「尾行なんて感心しないな。何のつもりだ?」


「そんなに敵意剥き出しにするなよ。何もする気なんて無いさ。今日のところはな」


「今日のところは…ね。明日以降は保証してくれない訳だ」


「帰国は明後日だろ? 今から楽しみだなあ…」


 矢鱈と含みを持たせる言い方をする男。俺の嫌いなタイプだ。こういう状況だからじゃない。こういう輩が嫌いなんだ。


「もしもし警察ですか? 今、目の前にテロリスト予備軍がいるんですけど…」


 折角の悠々自適王国散歩を面倒ごとに打ち壊されたくない。警察に通報されると流石にまずいと思ったのか、もう目の前に男の姿は無かった。通報したフリだったんだけどな…。


「大丈夫かい? なんかオッサンと話してたみたいだけど」


「ユウ、お前はいつも来るのが遅い…」


「態々来てやったのに何その態度。文句ならあの壱蝋バカに言ってよね」


「今は何も無かったけど、明後日は何か起きるかもな」


「本当、外国まで来て面倒増やさないでほしいわ…。黒潮海岸のビーチでナンパされる予定だったのに!」


「お前、バカンスしに来てるだろ…」


 三日間のクロノワール王国訪問はあっという間に終わりの時を迎えた。出逢いがあれば別れもある。良き友との暫しの別れに一抹の寂しさを禁じ得ない。


「あっという間だったな」


 三日前の歓迎と同様に、国を挙げてと表現して差し支えないほど盛大に見送ってくれた。沿道では多くの国民が王国の国旗と帝国の国旗を振っている。客人の姿が見えなくなるまで見送るのがこの国のおもてなしだという。母さんを生み、育み、帝国に送り出してくれた、愛に溢れるこの地に俺は思いを馳せた。そんな俺の隣で、兄貴とイチ、菓納が難しい顔をしていた。一昨日のテロ予告のことを考えているのだと思う。


 今回の訪問で具体的に何が決まりどんな成果があったのか、正直俺は詳しくは知らない。きっと帰国してからイチに詰め込まれるのだろう。それでも昨日の記者会見でキング玄白と兄貴が今回の公式会談の成果としてアピールしていた二国間同盟については多少把握している。


「蘇芳様、今回の外遊お疲れ様でした。この訪問で新たに二国間同盟を締結できたことは大きな成果です。既存の安全保障条約と併せて、翡翠共和国を牽制することができます」


「俺は表向きのアピールをしただけさ。全て菓納と事務方が水面下で調整してくれた功績だよ。それよりも、才が受けたテロ予告のことが気に掛かる。出国するまで気は抜けないな」


 次の瞬間、残念ながら兄貴の懸念は現実のものとなった。車列の前方で銃声が鳴ったことを皮切りに、一瞬にして車列は武装した集団に取り囲まれた。連中は構成員の殆どが拳銃を握り、銃口を車内に向けている。


「おいおい、力業で来るのかよ」


「先頭から最後尾まで全ての車両を取り囲まれたのでは、車両を限定されないためのフェイク車両も意味を為しません。無差別に襲うつもりなのでしょう」


 一切動じる素振りなく菓納が分析する。俺もこの意見には完全に同意だ。時間をかければかけるだけテロは失敗のリスクが高まる。どこにいるか分からないターゲットを探すより、無差別に全員殺す方が手っ取り早いし失敗のリスクも低い。それを実行できるだけの人員を投入することができればの話だが。実際、車列の前方では銃声が鳴り止まない。


「菓納、久々に力を貸してくれるか?」


「当然です。私の命は帝国と蘇芳様に捧げるととうの昔に決めております」


「その命、我に捧げよ!」


 そう叫ぶ兄貴の手の甲に唇を重ねた菓納は姿をゲル状に変え、硬質化した彼女は一角獣の角を彷彿させる剣となった。


「その姿久々に見たよ。聖剣アリコーン…いつ見ても煌びやかだ」


 イチが感嘆の声を漏らすのも無理はない。彼女の家系はその昔、ユニコーンの細胞を体内に移植することで環境汚染を生き延びたと聞く。兄貴が握りしめるつかは漆黒の如く黒く、そこから生える刀身は柄とは対照的に、それ自体が光を放っていると錯覚する程に、眩しく光を反射させる。兄貴はアリコーンの長く伸びた刀身を車窓に向けると、振りかぶる素振りすら見せずに勢いよく突き出した。音を立てて飛び散る窓ガラス。だが、聖剣が貫いたのは窓ガラスだけではなかった。


「…っ!」


 車窓の外で兄貴に銃口を向けていた男が声にならない声を上げる。それもそのはず。何故ならその男の喉元は、車内から伸びる聖剣によって掻っ切られているのだから。


「我が剣が貴様の悪しき魂に天誅を下してくれる」


 勢いよく喉元から引き抜かれた刃は血液を纏いながら車内へと戻ってきた。男の身体は支えを失い車体に激しくぶつかった後に路上へ叩きつけられるようにして倒れた。


「ひ…っ」


 無抵抗のはずの車内から予期せぬ反撃があったことに動揺したのだろう。それまでの連中の統率の取れた動きが著しく乱れたのを、俺も兄貴も見逃さなかった。


「才、お前もいずれ帝国を背負う男なら、この窮地脱してみせろ」


 帝国を背負う云々は抜きにして、兄貴だけに良い格好させるのは少し釈だ。今の俺が戦う理由なんてこんなものだ。


「ユウ、その命、俺に預けろ!」


 毒島柳という女は、イチの次に俺に当てがわれた従者セルヴォンだ。イチが長期休暇を与えられた時に、イチの代わり一時的に俺の側近としての役目を担うこととなった。本来は代役だったはずの彼女だが、何故かそれ以来今回の外遊のようなイベント性の強い公務の際には声を掛けずとも俺に同行してくるようになった。普段は口が悪く、イチとは顔を合わせる度に悪口の応酬。俺の扱いもイチのそれとは雲泥の差。それでも一度ひとたび俺が彼女を必要とすれば、吝かでないといわんばかりの絶妙な表情を浮かべながら俺の手に唇を差し出す。


「菓納の武器態アルムよりも毒島の方がレアなんじゃないか?」


「ちょっとそれどういう意味よ!?」


「どうもこうも、お前は武器として闘うの面倒くさがっていつも俺や乃伊のいに押し付けてばかりだろ」


 イチが煽るがこればかりは純然たる事実なので仕方ない。


「女の子にはいろいろ事情があるのよ! 男ならこんな汚れ仕事、女の子にやらせんじゃないっての!」


「乃伊はまだ十二歳だぞ。男は男でも男の子だ。一方お前はどうだ? 二十九にもなって女の子って…女子会とかいってキャピキャピしてるオバサンくらいイタいから勘弁してください」


 イチが半笑いで話すのは意図してのことだろうか。ことイチのこととなるとユウの沸点は急激に低下、煽り耐性に至っては概念ごと崩壊する。争いが勃発するのは必至。


「ユウは何のためにその姿になったんだ?」


 不毛な争いに一旦の終止符を打つべく俺が問う。


「全く…これが終わったら今日こそ決着つけるから。覚悟して待ってなさい!」


 俺が握りしめるのは蛇の意匠が特徴的な剣。剣は剣でも菓納のそれとは外見から特性まで何もかもが異なる。メデューサの血筋を持つ毒島柳が変化したこの剣の名は、蛇剣じゃけんゴルゴン。

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