帝国憲法第三条/外遊

 紅祇宗伝そうでん、七十三歳。紅帝国を治める今上紅帝。


「だが現在は国の指定難病、慢性異怪妖症いかいようしょうを患い、表舞台に姿を現すことは殆ど無い」


 紅祇躑躅つつじ、七十四歳。宗伝の妻にして今上紅后。


「臣民から帝国の母と慕われる紅后。夫、宗伝に常に寄り添い看病の日々を送る」


 紅祇藤臙とうえん、五十三歳。紅位継承順位第一位。紅帝宗伝と紅后躑躅の長男。


「宗伝が病に倒れて以来、主だった公務を行っている」


 紅祇櫻歌おうか、二十九歳。紅位継承順位第二位。藤臙の溺愛する長女。


「容姿端麗で国内に幾つもの有志ファンクラブが存在する。彼女の母性にやられる男性ファン多し」


 紅祇蘇芳、二十七歳。紅位継承順位第三位。


「昨今は宗伝の代わりを務める藤臙を補佐する。国内外の女性人気も割と高い」


 紅祇才、二十五歳。紅位継承順位第四位。


「これといって特徴は無く、至って平凡。あの事故が起きるまではマザコンプリンスと呼ばれていた。そして、私の憎むべきかたき…」


 尾鷲緋羽おわせあかはは一人不敵な笑みを浮かべ、才の写真が燃える様子を楽しんでいた。


「ハア…菓納かなん…」


 息も絶え絶え、彼女は右手を自分の下着に突っ込み、自らの湿地帯を開拓する。






「ここに来るのは何年振りだったかな?」


黒魅くみ様のことがあって以来ですので、もう八年になります」


「もうそんなになるのか…」


 先日の紅居襲撃事件から凡そ一週間が経った。俺と兄貴、そして俺たちの従者セルヴォンは紅帝国を離れ、帝都卯京うきょうから西に五千キロ離れた外国へ外遊に訪れていた。


「クロノワール王国。死んだ母さんの母国…」


 俺は無意識に呟いていた。


「今回のスケジュールでは自由な時間が少しあります。黒魅様縁の地を巡ることもできましょう」


 俺の独り言にイチが答える。


「才、分かってるとは思うが今回の訪問は公務の一環だ。プライベートな時間も結構だが公務もしっかり頼むぞ」


「言われなくても分かってるよ」


 仕事第一の兄貴に釘を刺され、少しイラッとした。でも、兄貴も昔からこうだったわけじゃない。爺ちゃんの病気が悪化して兄貴に任される公務の比重が増してからだ。


「ここも八年前と変わらないな」


 ネロ国際空港から、迎えの車に揺られること三十分。聖クロム宮殿は八年前と変わらない威厳を感じさせる立派な佇まいを見せる。宮殿正門では王室警備隊が盛大に俺たちを出迎えてくれた。そしてその奥に見えるのは王室の面々の姿。


「お久しぶりです。キング玄白げんぱく


 兄貴は親しげにこの国の王と握手を交わす。紅室と王室の交流の歴史は古く、百年以上にもなる。俺たちが幼少の頃にも交流はあったので初対面ではないが、八年の時を感じさせない兄貴のフレンドリーさには脱帽する。


「元気にしていたかい、ミスター蘇芳?」


「ええ、お陰様で。この度は折角の機会なのに祖父と父の訪問が叶わず誠に申し訳ない」


「病とあっては仕方ないさ。それに、こうして立派になった紅室ジュニアたちにお目にかかることができた」」


 一通りの挨拶を終え、客間に通された俺たち。ここまで長旅だったこともあり一息ついていると、兄貴が徐に立ち上がった。


「菓納、資料をくれ」


「資料でしたらこちらに。先程玄白陛下から御言伝を預かっております。本日のスケジュールが押しているとのことで、打ち合わせは二十分後に前倒しするそうです」


 山のような資料の束を兄貴に手渡したのは我妻がさい菓納。兄貴のセルヴォンで、俺と同い年の幼馴染。昔から完璧主義者で、表情を表に出さずに非の打ちどころのない仕事をするため、学生時代から“氷の女王”と呼ばれている。


 我が国が東西に分断されるよりずっと以前から、国の東の人間は多少の個人差さえあれど銀若しくは白に近い自毛を持つ者が殆どだった。臣民の多くはその天然の美しい髪色に誇りを持っているためわざわざ染髪する者は皆無と言っても過言ではない。だが我妻菓納の頭髪は八割が黒。残り二割の銀髪は宛らメッシュ。それが原因で幼少期から奇異の視線を浴びることが多かったのも、彼女が心を閉ざした一因なのかと今になって思う。それに加え彼女の家系は古くから先祖代々紅祇一族に使えており、彼女の母は兄貴の先代従者セルヴォンであった。母の完璧な仕事ぶりを見て育った環境も今の彼女自身を形成しているのかもしれない。


「ありがとう。それと念のためだ、菓納も明日の会談の議題に目を通しておいてくれ」


「議題については既に確認済みです。もしもの際には私が補佐いたしますのでご安心ください」


「いつもすまないな。打ち合わせは非公式の場だ。その間君は少し仮眠を取るといい」


「承知いたしました。では二時間程お暇をいただきます」


 正直、俺はやることがない。明日の会談で何かを議論することも、その後の記者会見で報道陣に何かをアピールすることも、俺の仕事ではないのだ。


「暇すぎる。ちょっとその辺散歩してくる」


「では私がお供を」


「お前も少し休め。ここまでの道中、ずっと気を張っていただろ」


「ですが…!」


「俺たちが招待されたのは明日の会談と記者会見のためだ。無理をすると明日に差し支える」


「分かりました。ではせめて私の代わりにブスを同行させてください」


「誰がブスじゃコラー!」


 イチが呼ぶブスとは、俺のもう一人の従者セルヴォン毒島柳ぶすじまゆう。紅室内ではユウで通っている。二人の間には過去に何やら因縁があるらしく、現在に至るまで犬猿の仲が続いている。


「ハア? お前の名前何だっけなあ?」


「毒島柳だって言ってんでしょ!? いい加減覚えなさいよ!」


「やっぱりブスじゃないか」


「黙って聞いていれば…今回ばかりはセクハラとパワハラで訴えてやる! 覚悟しなさい!」


「今自分で自己紹介したんじゃないか、ブスじわですって」


「謝るどころか何で悪化してんのよ!」


「二人とも、喧嘩はそれくらいにして…」


「アンタは黙ってなさい!」


「才様に対してその言葉遣いは何だ!?」


 取り付く島もない。二人の喧嘩が始まると誰も手を付けられないのは紅居の誰もが周知の事実。不毛な争いを背に俺は宮殿を後にした。

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