暗闇の先に

 暗い洞窟を、2人は進んだ。洞窟の内部に分かれ道はなく、真っ直ぐ進むのみだった。辺りに少しずつ暗さが増し、進む先が見え辛くなるにつれ、彼らは壁伝いに歩くようになった。

 しばらく進むと、突然、先を進む女は立ち止まった。

「・・・おい、どうしたんだよ。」

「行き止まりだ。」

 女は振り返らずに言う。

 ・・・行き止まりだって?だとしたら、ここは竜の巣ではなく、ただの何もない洞窟だったのか?

 束の間、背後で大きな岩が崩れるような轟音が鳴り響いた。振動が洞窟全体に伝わる。彼は咄嗟に振り返った。見ると、入り口の方から僅かに差していた光は消え、洞窟の中は真っ暗になっていた。

「何だ?!入り口が崩れたのか?!」

辺りが何も見えなくなり、彼はうろたえる。しかし、女は焦ることなく、目の前の壁を見つめていた。

「・・・おい、何とか言えよ!」

「〜〜〜〜」

 女は何かを呟いた。その言葉を、聞き取ることはできなかった。

 次の瞬間、目の前の壁はひび割れ、音を立てて崩れ去った。


 崩れた壁の先には、青白く光る巨大な空間が広がっていた。



◇◇◇



 その空間の壁面には、四角形の石が整然と連なり、それは球状の天井まで続いていた。所々に松明が飾られ、巨大な空間を照らしている。


 その空間の真ん中には――――巨大な竜が横たわっていた。


 長い首に、鋭い爪の生えた4本の手足。全長は6〜7メートルくらいだろうか。大きな翼を伏せて休めており、その下からは太く長い尾が胴体に沿って丸められているのが見える。外皮には、きらめく青の鱗が精緻に敷き詰められていた。

「・・・竜・・・」

 竜は大きな体を丸め、目を閉じている。眠っているのだろうか。

「・・・お前、何なんだ・・・?」

 彼は訝しげに女を見た。女は、彼には目もくれず、すたすたと竜の方に歩きだす。

「あ、おい!」

「戻ったよ。」

 ・・・何だって?

 女が竜に呼びかけると、竜の大きな目がゆっくりと開いた。

「・・・ミズヤ。今日の飯は此奴か。」

 竜はゆっくりと口を開いた。竜の低い声は、広い空間全体に響きわたる。

「そう。また1人、森に引っかかった人間がいたから、ここまで連れてきた。ついでに、私の分の晩ご飯も獲ってこれたし・・・」


「・・・おい、どういうことだよ!」

 ミズヤと呼ばれた女は、竜のすぐ側で立ち止まり、彼の方に向き直る。

「どういうことと言われても、今話していたとおりだよ。お前は今日、竜の餌になる。」

 ミズヤは、あっさりと言ってのけた。

「・・・ふざけんな!お前らグルなのか。じゃあ、今まで俺を騙してたってことかよ!」

「そうだね。丁度街で竜の噂を聞いていたみたいだったから、竜の話に持っていく手間も省けたし、森で迷って疲れ切っていたようだから、騙すのは簡単だった。」

「何だと。・・・じゃあもしかして、竜の噂っていうのも、お前が・・・」

「ああ、どこの噂を聞いたのかは知らないが、いくつかの闇市で竜の話を広めさせてもらったよ。」


「・・・ミズヤ、お喋りはもういいだろう。どうせ此奴は、今日私に喰われるんだ。」

 竜の低い声が響いた。そう言うと、竜は大きな体をゆっくりと起こした。竜は巨大な口をわずかに開け、牙をきらめかせながらチロチロと蛇のような舌を出す。金色の宝石のような目が、彼を捉えた。

「・・・くそっ!」

 彼は洞窟を引き返そうと振り返ったが、洞窟は既に手前の岩まで崩れ去っており、進むことができなかった。

 ・・・まずい、本当に喰われちまう!

 全身から汗が吹き出る。逃げろという信号が、頭から爪先まで伝わる。まずい、まずい、逃げなければ――――。


 彼は壁面に沿って走り出した。しかし、出入り口の見えないこの空間に、逃げ場なんてなさそうだ。懐の短剣に手をかける。いや、こんな短剣で、あの巨体を相手に何が出来ると言うのだ。かすり傷をつけられるくらいだろうか。いずれにせよ、こんな小さな刃では、太刀打ちできそうにない。

 どうしよう、何も手がない。本当に喰われてしまう。いやだ、喰われたくない。死にたくない。生き残るんだ。生きて帰ろう。生きて、あの街に帰るんだ。街に帰ったら、誰に会おう。何をしよう。


 ・・・街に帰ったら?街ってどこだ?俺は、どこから来たんだ?俺を待っている人って誰だ?俺のするべきことって何だ?俺は、俺は・・・。


 彼の走る速度が落ち、最後には立ち止まってしまった。両腕が脱力し、だらりと下がる。彼は俯いたまま、深い息が漏れた。

「・・・どうした、逃げないのか?」

 ミズヤは少し驚いたように、彼に尋ねる。竜はいつでも喰うことが出来るとばかりに、長い首をゆらゆらと揺らしながら様子を見守っている。


 彼はぽつりと呟く。

「・・・逃げたって、どうしようもねえよ。」

 そうだ。逃げたって、どうしようもないのだ。


「逃げたって、俺は、どうしようもねえんだ。俺がここで死んだところで、悲しむ人間も、俺を必要としている人間もいない。生きて、やらなければならないことだってない。俺の生きる意味なんかない。誰のために、何のために生きるのか、分からないんだ。俺は・・・」


 彼は、ずっと探していた。

 何を?と聞かれると、一言では表し難い気がした。自由?生きる意味?自分の存在価値?・・・どれも間違ってはいない気はするが、しっくりもこない。

 もちろん、生きたい気持ちはある。しかし、誰のために?何のために?

 彼は、それを見つけられないでいた。そして死の間際、やっぱりそれを見つけることはできなかった。結果、生きるための気力すら失ってしまったようだった。

「・・・もう俺は、疲れちまったのかもしれない。」

 彼の顔には、うっすらと力のない笑みが浮かんだ。諦めたような、絶望したような眼差しで、竜を見上げる。

 ミズヤは、口をぎゅっと固く結び、その様子を見ていた。


 すると、竜が口を開いた。

「・・・生きる意味、そしてそなたの生を求める者か。少年よ。」

 竜の声は、巨大な空間に響きわたった。

「そなたの求めるもの、私なら与えられる。」

「・・・何?」

 彼は驚いた。竜は、一体何を言っているんだ。

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