Challenge day―再会

 「ショウ、お疲れ様!すごくよかった」


 「ありがとう外山。外山も来てくれていたんだね」


 外山明里と会うのは実に久しぶりだ。音大はどうだろうか。外山は何を学んだのだろうか。話したいことは沢山ある。しかし入賞者発表を待つ人混みは騒がしく、ゆっくり話せる雰囲気ではない。


 アキラは人混みから離れたところで、40代くらいの女性と話している。中溝先生の姿は見当たらない。


 発表の時刻が近づいているが、まだ準備はできていないようだ。


 「外山もアキラも、発表まで帰らないで待っていてくれたんだね。ありが──」


 「好き」


 人混みのざわめきの中で、その言葉だけが浮かび上がって聞こえた。


 「出会った日から好きだった」


 僕らだけが時間の流れから取り残されているみたいだ。


 外山は悪戯っぽく口角を上げて緊張を解いた。


 「なーんてね。ま、これくらいは言わせてよ。ショウはいつも自分だけで解決しようとしてさ。私の言葉も聞いてよ。ガパオライスの日のこと、根に持ってるんだからね」


 「外山……」


 「あ、張り出しが始まった!」


 スーツを着た2人の男性が、掲示板に丸められた模造紙を這わせた。


 上からゆっくりと模造紙が広げられて、ゴシック体の文字が少しずつ現れる。


 まず、一般部門の入賞者から発表される。一位入賞者の名前が見えた瞬間、歓声が起こった。一位入賞者と思われる女性は、感極まった様子で口元を押さえている。


 そんな人混みの反応をよそに、模造紙の文字は変わらないペースであらわになっていく。




 『アマチュア部門』




 『入賞者』


 


 『一位 唐木田 咲


  ショパン バラード1番

       エチュードOp.25-2



  二位 藤友 道歌


  バルトーク ピアノソナタ



  三位 該当者なし』

 



 僕は思いっきり空気を吸い込んだ。


 隣で外山が「やった!」と両こぶしを固くした。


 「素晴らしかったわ」と、老婦人に手を握られた。


 外山の声と老婦人に触発された人たちが口々に「おめでとう」と言った。


 ハンチング帽を被った男性に「よかったよ」と肩を叩かれた。


 浮遊感。




 「おめでとう、ショウくん」




 耳元で囁かれて、僕は勢いよく振り返った。




 「アキラ……!」




 熱くなった目頭を悟られまいと、僕はアキラの首に手を回した。


 アキラは一瞬身体をこわばらせたが、すぐに背中に手を置いてくれた。


 そういえば一年前にも似たようなことがあったな。


 あの時は、うるんだ目を誤魔化そうとしたアキラの方が抱きしめてきたんだっけ。


 思考と鼓動が落ち着いてきてから、「ありがとう」と呟いて(すぐそばにアキラの耳があったので、呟くくらいで丁度いい音量だっただろう)離れた。


 僕とアキラが見つめあっていると、「あのう」と間延びした声が割り込んできた。


 「サキチャン、レイチャン。ラブラブなところ申し訳ないんだけどぉ」


 ら、ラブラブって……。見渡すと、ほほえましいものを見るような生温かい視線に囲まれていた。外山だけはなぜか顔を赤らめて悶絶しているようだ。


 ──って、この声は────


 「か、神成先生。具合は。こんなところにいて大丈夫なんですか」


 『ラブラブ』発言の主は、病院にいたはずの恩師だった。


 「大丈夫、ダイジョーブ!に迎えに来てもらって、たった今車で来たの。サキチャンの演奏は聴けなかったけど、がすごくよかったって言ってたから、嬉しくて。一位、本当におめでとう!」


 ショウくん?


 神成の隣に立っている中溝を見て納得した。ああそうか、中溝“奨悟しょうご”で“ショウくん”か。


 「あの、凪紗さん。生徒の前でその呼び方は」


 凪紗さん。神成先生のことだ。


 「別にいいじゃない。それに、元生徒でしょう?」


 「唐木田くん、すみません。凪紗さんは高校の先輩なんです。学生時代からの呼び方が抜けなくて」


 中溝は小声でそう教えてくれた。告げられた高校名が僕やアキラの母校だったことには、少なからず驚いた。




 その後、2人の先生と僕、そこにアキラや外山を交えてゆったりと談笑していると、


 突然、シルク素材のドレスの少女がアキラに抱きついてきた。


 『飛びついてきた』という表現の方が合っているかもしれない。


 少女は泣いているようだった。


 アキラは、無言で彼女の頭を撫でた。


 アキラの目は優しかった。恋人に対するような熱のこもったものではなかったが、その手は確かに慈愛に満ちていた。


 呆気に取られているうちに、今度は大学生らしき青年に声をかけられた。待ってくれ、短い時間で色々なことがありすぎて、頭はパンク寸前だ。


 「唐木田くん、だよね。僕はK大医学部の茅野かやのです。K大交響楽団オーケストラコンサートマスターを務めています」


 K大?


 大学の先輩か。


 プログラムに出場者の学歴が書かれているから、それで僕がK大生であることを知ったのだろう。


 「理学部一年の唐木田ショウです」


 「僕は昨日のヴァイオリン部門に出ていたんだけど、せっかくだから今日のピアノ部門も見に来たんだ。君の演奏も聴いたよ」


 コンサートマスター、しかも全国大会に出ていたということは、ヴァイオリンは相当な腕前なのだろう。


 そんな先輩がなんの用件だろうか。


 「オケの中で最近、ソリストを迎えて協奏曲コンチェルトをやらないかっていう話がでているんだけど……。君、ソリストに興味ない?入賞者リサイタルもあるし、忙しいとは思うけど」


 「あの、ちょっと待ってください……」


 コンチェルトのソリスト?


 僕が?


 そうだ。入賞者リサイタルの曲も用意しないと。


 額に手をやって呆然としていると、道歌に抱きつかれたままのアキラと目があった。


 アキラはいつも通りの微笑みを浮かべた。笑ってる場合じゃないんだって。


 アキラを理不尽に睨みつけると、今度は困り顔になった。




 これから忙しくなるね。




 うん、




 楽しみだ。

 




(エピローグへ続く)

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