再会のエピローグ?

 ショウくんは素晴らしい演奏をした。


 これまでのことを考えても、今、彼の音楽に間近で触れられるのはこの上ない幸運だ。


 来月には二台ピアノの本番も迫っている。


 ボクも、家に帰ったらすぐに練習しよう。




 ショウくんはアパートに電子ピアノを持ち込んで練習している。聞くところによると、生のピアノを弾けるのは大学とピアノ教室のレッスンだけだという。


 その彼のあんな演奏を聴いてしまっては、ボクも心持ち新たにする他ない。


 電子ピアノでの練習には限界がある。時間のやり繰りに相当な努力があったことは間違いない。ちゃんと寝ているのだろうか。


 ショウくんと会うたび、ボクも友人として相応しくあろうと思う。


 彼といると幸福な安堵感に包まれると同時に、背筋がピンと伸びる心地なのだ。


 



 もう少しで結果発表だ。そろそろ合流しよう。




 人混みに入ろうとした時、ふいに名前を呼ばれた。


 振り向くと、懐かしい顔があった。




 「宮園先生。お久しぶりです」


 「アキラくんが引っ越してから、今年でもう2年になるのか」




 ボクは神成ピアノ教室でピアノとショウくんに出会い、宮園ピアノ教室で様々なコンクールに出るようになった。ソロリサイタルを初めてやったのも、宮園ピアノ教室にいた時だった。小学生の時から高校生の時まで、およそ9年間在籍していたことになる。


 藤友道歌も、中学受験のために一度ピアノをやめるまでは宮園に師事していた。宮園ピアノ教室は北海道、道歌の学校は東京であるから、今は違う教室に通っているのだろう。




 「うちの生徒が出るから来たんだけどね。道歌ちゃん渾身の演奏も聴けたし、アキラくんにも会えたし、得した気分」


 



 高校2年生の冬、別れる寸前の宮園の言葉が蘇る。




 『アキラくん。君にとって、音楽って何なのかな?』




 『ピアノが好き?』




 ボクは、どちらの質問にもはっきりとした答えを出せなかった。




 『もう私は君の先生じゃなくなる。でも、きっといつか答えが出ることを、願っています』




 「──宮園先生」


 「ん?」




 “ショウくんは素晴らしい演奏をした。”


 “彼の音楽に間近で触れられるのは、この上ない幸運だ。”


 “来月には二台ピアノの本番も迫っている。”


 “ボクも、家に帰ったらすぐに練習しよう。”


 


 あの部分はどちらの弾き方がいいかな。


 昨日決めたペダルの復習もしないと。


 すべきことが思い浮かぶほど、焦りもあるが、それよりも胸が高鳴る。


 新曲の譜読みも始めてみようか。


 〈ラ・ヴァルス〉なんてどうだろう。


 そういえば、ラヴェル全集の予約が始まっているはずだ。


 早速、帰りにCDショップへ寄ろう。忘れないうちに。


 それはさておき。




 「ボクはもう音楽中毒です。音楽が無いと、ボクの人生は枯れてしまいます。専業ピアニストを目指しているわけでもないのに恐縮ですが、ボクにとって、音楽は水です。勿論、ピアノは大好きです。宮園先生、ボクにピアノを教えてくれて、ありがとうございました」


 軽く一礼してから顔を上げると、宮園は眩しそうに目を細めていた。


 「うん。こちらこそ、答えを教えてくれてありがとう」




 模造紙を持った男性2人が階段を降りてきた。


 結果発表が始まるようだ。




 「先生、結果発表が始まるみたいなので、そろそろ行きます」


 「うん。私はここで生徒の報告を待つことにするわ」


 「じゃあ、失礼します」


 そう言って宮園に背を向けて歩き出そうとした時、


 「北海道にはね、有名なピアニストのお医者さんがいるのよ」


 引き留められた。


 「ピアニストの担当医って意味じゃなくて、つまりね、お医者さんとピアニストを兼業しているってことなの。CDも出しているのよ」


 宮園の声は話し続けた。


 「知ってたかもしれないけど……。ええとね、だから、アキラくんもそういうのはどうかなって……。私はもう、口を出せる立場じゃないけど……」


 宮園の言う通り、そういうピアニストがいることは知っている。


 だが、自分がそれを目指すという可能性については、今まで一度も思い至らなかった。


 ボクは少し考えてから、反対側を向いていた身体を再び宮園の方に向けた。


 「考えておきます──と簡単に言えるほど、楽な道ではないと思います。でも。可能性は、排除しないでおきます」




 サラサラと透き通るダークブラウンの髪を手がかりに、ボクは今度こそ人混みの中の彼を目指した。



 

 

Fin.

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