プロローグ2

 『道歌、あなたはママみたいになっちゃダメなの。あなたはいい大学に行って、立派なお仕事をして、自立した女性になるの。今はピアノも一生懸命やらせてあげているけど、ピアニストになるわけじゃないんだから。到達点を見誤らないで』


 あれは、いつだったか──私が初めてコンクールに出て入賞した時の、母の言葉だ。


 私の母は俗に言う“教育ママ”だった。そして、ピアノは“英才教育”の一環。


 よって、受験生真っ只中であるはずのこの時期にピアノのコンクールに参加するというのは、本来ならとんでもない話だ。しかし、私が通う女子高はほとんどが内部進学で大学生になるため、受験勉強に躍起になることもない。


 それに私が申し込んだのは、音高や音大の生徒が参加できないようになっているアマチュア部門だ。自由な選曲で参加できるのが良い点だが、もちろん他の部門に較べると参加者のレベルは落ちる。したがってコンクールの方も、何かが無い限りは気負いすぎる必要もない。





 『……高峯アキラです。よろしくお願いします』

 

 これは誰の言葉だったか、考えるまでもない。


 私は、彼のことがまだ好きだ。


 女子校生活も6年目だが、その間くだらない合コンなどに関わることは一切なく、異性との出会いは皆無に等しい。だから、彼のことを想い続けているのも仕方がない──と信じたい。


 弁解させて頂きたいのは、私が恋する彼のイメージは彼が小学生の時で止まっているわけではないとこいうこと(小学生男子相手にいまだ恋心を抱いている訳では無い)。私は中学二年生の時に出たコンクールの控え室で、中学三年生の彼と直接話をしているのだ。


 それに、高校生になってスマートフォンを買い与えられてからは、彼の情報はすぐに手に入った。なにしろ、彼はコンクール全国大会上位入賞の常連なのだ。インターネットで検索すれば、彼の顔、経歴、演奏、すべてを知ることができた。


 一方で葛藤もあった。もう何年も会っていないのに、好きだなんて思ってもいいのだろうか。思い出の中の彼は、ほとんどが幼い。彼の成長を一方的に見守って、把握して、一方的に想っている──私はおかしいのだろうか?そう悩むことも少なくなかった。


 そんな私の悩みを清々しく受け入れてくれたのは、高校の友人だ。彼女はアイドルの大ファンだが、彼女いわくただのファンではない。彼女はそのアイドルに“ガチ注1”しているのだそうだ。


 私が思い切って悩みを打ち明けた時、彼女は『じゃあ私はなんなのよ!私のことを1ミリも知らない男の人を、何年も追っかけてる私は!てか道歌、そんなこと気にするなんて真面目すぎ!』と笑い飛ばした。アイドルと彼では流石に立場が違うだろうが(しかし、ビジュアルでは全く遜色そんしょくない)、彼女のおかげで私の苦しみはずいぶんと軽くなったのだ。


 そう、私は“ガチ恋”なのだ。叶わない恋を夢見るくらい、許されてもいい──




 ──そう割り切ったものの、小骨が喉に引っかかって不快感が取れないように、私の胸に引っかかる小さな懸念が他にあった。


 彼のだ。


 あの中学生の時のコンクールの授賞式(彼は1位だった)で問い詰めて教えてもらった名前は、今まで忘れずにいた。唐木田からきだ──いや、やめておこう。


 私は、彼が唐木田なにがしのことを好いているということだけでなく、唐木田なにがしの方も間違いなく彼を好いているだろう(そう断言できるほど彼は魅力的だ)ということがとても気にかかった。


 こういうのは、アイドルのファンにたとえるならば──


 そうだ、“同担拒注2”だ。


 一方通行のアイドルとファンとは違い、彼らはいわゆる両思いなのだから、多少意味は違うだろうが。




 我ながらずいぶんこじらせたものだ。


 自嘲気味に笑った。







(注1)ガチ恋:アイドルや2次元のキャラなどの存在に対して本当に恋をしてしまっている状態。


(注2)同担拒否:同じアイドルやキャラを推しているファン(=同担どうたん)と関わりたくないということ。

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