Challenge day―予感
1
東京の某地。
このコンサートホールのロビーには、奇妙な形のオブジェがある。作品名は忘れてしまったが、自分なら『傍若無人』と名付けるだろうと
そのオブジェの前に、明里の目当ての人物が立っていた。漆黒の髪が窓越しの日光を浴びて艶やかに光っている。
明里が胸の前で手を小さく振りながら駆け寄ると、その人物──
「外山さん、久しぶりだね」
「うん。高峯くんと直接会うのは高校の卒業式以来」
「ショウくんとは連絡取ってるの?」
「ああ……。ショウが京都へ行く前に一度、タイ料理屋さんに行ったの。それだけかな。ショウがこのコンクールに出るってことも、ショウの元先生の
「ボクは、来月の大学合同コンサートの準備で頻繁に連絡してる。ショウくんとボクで二台ピアノを演るんだ」
「二台ピアノかあ……。あ、そういえば高峯くん、関西国際音楽コンクールの二台ピアノ部門で2位だったよね!おめでとう!」
「ありがとう」
「確か、相手は女の子だったけど……彼女? ショウが嫉妬するんじゃない?」
明里は冗談で言ったのだが、アキラは「何言ってるの」と笑いながら、予想外のカウンターを繰り出してきた。
「外山さんも、ショウくんと二台やってみれば?」
「な……!私なんかが相手じゃ、ショウの足を引っ張っちゃう。それに私、ショウに振られて──あ、えっと……。まあ、いいか。どうせ高峯くんにはバレバレだろうし」
白々しく小首を傾げるアキラを軽く睨む。
「タイ料理屋さんの帰りに振られたの。それも、私が
「え? でも、ショウくんは──」
《コンクール開始10分前です。演奏中の出入りは──》
綺麗な発音のアナウンスがロビーに響いた。明里とアキラは、会話を中断して客席へ移動した。
2
「外山さん。今日のお誘い、あらためてありがとう」
「どういたしまして!」
ショウがこのコンクールに出るというのを明里が知ったのは、数週間前だ。
明里のピアノの先生は、ショウがピアノを辞める前に師事していた神成
その神成先生の元へ、ショウから「5年ぶりに出たコンクールで全国大会に進んだ」という電話がかかってきた。その話を聞いた明里の先生がわざわざ明里にも教えてくれたということだ。明里がショウの演奏を気に入っていたことを知っていたからだろう。
そして、ショウがコンクールに出るという大スクープを明里がアキラに伝え、当日会場で落ち合う流れになったのだ。
さっきのアキラの話によると、彼らは二台ピアノの打ち合わせをしており、会話する機会は頻繁にあったらしい。それなのに、コンクールに出るということをショウはアキラに一言も言っていなかったようだ。まあ、ショウらしいと言えばそうかもしれない。
「外山さん、さっきの話だけど」
「え、何!?」
ショウに振られた経緯を根掘り葉掘り聞かれるのかと、明里は身構えた。
「『私なんかが相手じゃ、足を引っ張る』って言ってたけど、」
そっちか。
明里の心配は杞憂だったようだ。
「──なんだか、少し前のショウくんみたいなことを言うね。ただし、2人の言い方は似ているけど本心が異なっている。ショウくんは、ボクとの連弾を結構本気で嫌がっていた。対して外山さんは、淡い期待を持っている──違う?本心では挑戦したいのにそういう
驚愕。
アキラの言う通り、明里は本心ではショウと演奏することに憧れている。アキラとショウの連弾さえ、心のどこかで羨ましいと思っていた。
が、明里が驚愕したのは、アキラに図星を突かれたからではない。もっと前段階だ。あのアキラが、他人の図星を突くような発言をしたからだ。
ショウ以外の他人に全く踏み込もうとしなかったアキラがこんな風に熱の篭ったアドバイスをくれるなんて、まさに青天の霹靂。
驚いて、言葉が脳を通らずに口から出てしまった。
「……考えてみる」
もしかして彼は、ショウを起点として変わり始めているのかもしれない。
3
一般部門の演奏が終わり、アマチュア部門が始まるまでの休憩時間となった。演奏中は怖いほど静かだった客席が、程よくざわついている。
「さすが全国大会。結構レベル高いね。もしも高峯くんが参加していたらぶっちぎりで1位になりそうな感じではあるけど。ショウも、一般部門でよかったんじゃないかなあ」
「……アマチュア部門も、そう単純ではないかもしれない」
誰か、有名なコンテスタントがいただろうか。明里もプログラムを確認したが、思い当たる名前は無かった。
不思議に思ってもう一度アキラの方を見たが、彼はいつも通りの微笑を浮かべるだけだった。気にするなということだろう。
「ショウくんは、自分の実力を過小評価しているフシがあるからね」
そうなのだ。始まる直前にアキラと話した通り、彼は本気で『自分なんか』と思っているのだ。
「なんでかなあ。性格だって言われたらそれまでだけれど。ピアノの感情表現が妬けるくらい上手いし、やめる前は全国大会で入賞したことだって何度もあるのに。学校祭で〈マ・メール・ロワ〉を聴いた時も、つい泣いちゃった。あ、勿論、高峯くんの伴奏があってこそだったけどね」
「気を遣わなくていいよ。ボクも、ショウくんの音が好きだから」
そう言ったアキラの表情が、ふっと一瞬だけ緩んだ。
アキラはいつも穏やかな笑みを浮かべているが、彼の前では背筋が自然と伸びるような、そんな心地よい緊張感も同時に放っているのだ。
その張り詰めた空気がフッと消える瞬間があるということに気がつき始めたのは、卒業が間近に迫った時期だった。それは決まってショウがいる時、またはショウの話をしている時だ。
多分、本人は気づいていないんだろうけど。
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