第7話

 まだ、年相応の若者だった時だ。

 自分とは別の場所へと売られた母が、ある男に買い取られたと言う話を、人づてに聞いた。

 町で幸せに暮らしていると知り、安心しつつも、苦い思いがあったのを覚えている。

 ある街での殺戮の最中に我を失い、気が付いた時、腕の中にいた見覚えある者の亡骸。

 その時の主に言われずとも、内心ではもう思い込んでいた。

 自分の事を忘れ、男と幸せに暮らす母を許せずに、手にかけてしまったのだと。

 それをわざわざ告げるのが、あの性悪な主だった者の手、だったのだが、そんな事はどうでもよかった。

 他の誰かの手にかかって、死なれたのであれば、憎んで敵を討たねばならない相手が、出来てしまう。

 そんな言い訳で、コウヒの本当の敵討ちも、諦めた。

 恐らくは、炎の中で、自分が無意識に、粉々にしてしまったのだろうから。

 それも、確かめるすべはない。

 だが、それでもいいと、蓮は思っていた。

 自身を憎むだけで、もう疲れ果てていて、他の誰かを恨む余力は、欠片も残っていなかったのだ。

 救いの手が、いくつか差し伸べられ、その度にその方に仕える、と言う名分で生き永らえてきたが、最後の主の重も今はいない。

 意外に永く持ったな、と蓮は立派な門構えの屋敷を見上げながら、思っていた。

 重は、あまり動く主ではなかった。

 主君の元で行ったある殺戮が、あの時名乗っていた名を、戦の盛んだったあの時、世間に轟かせてしまっただけだ。

 亡き兄の病弱だった正室と、年老いた父母、残された兄の忘れ形見を、せめて屋根のある所で、冬を越させてやりたい、そんな願いから放浪の旅をやめ、主君を持つ覚悟をした主は、その殺戮の後から戦の波に取り込まれたのだ。

 そのため、仕えていた蓮も、自分の思いに浸る暇がなかった。

 重が、名乗っていた武将としての名を捨てた後、何度か真摯に言われたことがある。

 あの人は、深く信じていたようだ。

 母親を手にかけたと思い込ませることで、その衝撃で時が止まってしまうのを見越した、呪いだったのではないかと。

 だから、故郷に戻り、本当のところを思い出せと、蓮からすると突拍子のないことを、死の間際まで言っていた。

 あり得ない、と言う気持ちより、今更、故郷に戻りたくない、と言う気持ちが強い。

 そんなとんでもない遺言を聞くより、地獄でそれが出来なかったことを詫びる方が、まだましだ。

 蓮は、腰に差した刀を抜き、門を潜った。

 これから、夜も更ける刻限だ。

 門番はすでに、片付けた。

 異変を告げる家臣の様子を見ながら、屋敷内に押し入り、蓮は笑っていた。

 これは、弔いのための、行いではない。

 己のための、行いだった。


 その屋敷の方から、炎が一気に広がった時、ロンは見つからぬ蓮を諦め、宿に戻っていた。

 その宿からもよく見えるほど、赤々とした炎は、こちらにまで火の粉が飛びかねない勢いだ。

 一緒に戻った仲間たちをまずは宿に戻し、自分は外で様子を伺った。

 本当にここまで火の粉が飛んでくるようなら、船を出すのを早めなければならない。

「……全員、戻っているか、確かめて」

 ゼツに言い、そのまま見つめ続ける。

 あれは、方角からすると、先程自分が捕えられていた辺りの、屋敷だ。

 まさかとは思うが、違うとも言い切れない。

 それにしても、家が燃えているだけにしては、妙に炎の色が毒々しい赤だ。

 僅かに届き始めた匂いも、木が主の材料の屋敷にしては、油臭いにおいが混じっている。

「……付け火?」

 迷惑以外の、何物でもない所業だ。

「いるのよねえ、どの国にも一人は。何かを燃やす火を好む、変な人」

 しかし、この数か月こんなことはなかった。

 我慢が切れての所業か、恨みによるものなのか。

 どちらにしろ、迷惑なのには変わりない。

 だが、この国にそこまで愛着がないロンは、あっさりと逃げる事のみに考えを移す。

「……ロン」

 ゼツが戻って来て、声をかけた。

「揃ってた?」

 若干いつもより顔色が青い大男は、取り乱した声で言った。

「セイが、いません」

「……何ですって?」

「葵さんもいないんです。もしかして、こんな中に、山に送って行ったなんてことは……」

 取り乱した男の声は、遠くに聞こえる。

 気が遠くなっていたのに気づき、ロンは大きく首を振った。

「そんなはずはないわ、どこの山かも、分からないのに、送れるものですか」

「しかし……あの屋敷に乗り込んだ、はずもないですよ、ね?」

 そちらの方が、あり得るかもしれない。

 ロンの勘は、何故かそう言っていた。

「……まさか、この火事、あの子じゃあ、ないわよね?」

 考えたくない、だが、ああいう騒ぎが、遠目からも見える。

「そんなはず……あの人が、町やこの島を巻き込むような、騒ぎを起こすはずが……」

 大体、一度放って置くと決めた屋敷を、一人で襲おうと考える子ではない。

 なら、もう一つ、考えられることは、あった。

「……あの子、あの火事を見て、飛び出しちゃった?」

 人がいいのは、分かっている。

 でなければ、ロンたちが、ここまで安心感を持てるはずがない。

 しかし、もしそうならば、やり過ぎだ。

 顔を険しくして、大男に声をかけようとしたとき、玄関先でのその会話に、割り込んだ者がいた。

「書置きは、ありましたよ」

 穏やかな、男の声だ。

 知ったその声に振り返りながら、ロンが返す。

「書置き一つで、許せるはずないでしょうっ?」

「火が出る前に、見つけました。何か起こった時は、頼むと。火付けには、きっと係わっていません。勿論、火に気付いて、飛び出したわけでも、ない」

 エンは若干まだ青白い顔で、それでも穏やかに言い切った。

「夜明けまでには戻ると、はっきり書いてあります。だから、待っていましょう」

「そんな悠長な事を……」

 思わず目を剝いて言いかけたロンが、エンの後ろから歩み寄る者を見て、息を呑んだ。

 ゼツも目を見張り、その姿を見つめる。

「……悠長でもなんでも、頭の命に従えんのなら、力ずくで止めるしかないな」

 少しふらつきながら、黒い着物を身に付けた、黒髪の男が静かに言った。

 力があるようには見えないが、その草色の目は、強い意志を持っていた。


 ここまであの屋敷が燃えるか、と思えるほどの業火だった。

 まだ、遠くにいるはずなのに、炎が肌を焼いているように感じる。

「……熱いな」

「大丈夫かよ? あんな中に入っちまったら、お前まで……」

 セイは目を細めてそちらを見やりながら、心配そうに呼びかける葵を一瞥した。

「分からない。でも、あの人、火が苦手、なんだろ? そんな人があの中で平気なのに、私がしり込みするのも、恥ずかしくないか?」

「恥ずかしいかどうかの、話じゃねえだろうがっ」

 つい怒鳴ってから、大男は気を取り直して言った。

「もし無理そうなら、すぐに戻って来るんだぞ、あんな中で、火傷した日にゃあ、親御さんに申し訳が立たねえ」

 だから、もういないと言っているのに、と言っても無駄だと、そろそろ分かってきたセイは、ただ頷いて男の言葉を流した。

 逃げる人々の間をぬって、屋敷の方へと歩き出す。

 本当は走りたいのだが、あの屋敷内で収まっているとはいえ、やはり混乱は免れず、逃げ惑う者が多い。

 あの女武芸者とその姉とやらは、大した術師らしい。

 これだけの業火が、全く外に漏れ出ていない。

 熱さはどうしようもなく、それが人々を混乱に陥れていた。

 その混乱のお陰で、もし傘が取れても、見とがめられることはなさそうだが。

 門前にたどり着いた時、不意に屋敷の炎が収まり、風が、震えた。

「……?」

 妙に、胸が騒ぐ震え方だった。

 何だろうと思いながら、セイは門の中へと入り込んでいた。

 ……屋敷が、消えていた。

 燃えたであろうその跡も、見当たらない。

 それは、結界を張り続けた為、ある力がこの屋敷に、集中してしまったせいだと知るのは、後の話だ。

 戸惑った若者の目に、屋敷があったはずの場所に立ち尽くす、誰かが見えた。

 それが、探していた若者だと見止め、ほっとして声をかけようとした時、蓮の顔がこちらを見た。

 何の感情も浮かべていない、無我の表情だ。

 体中に、痺れに似た痛みが走った。

 無我夢中で身を反らしたが、すぐに倒れてしまう。

 体中から、血が噴き出て来る感触が、セイを一瞬混乱させたが、すぐに辺りを伺った。

 倒れたまま目だけは蓮を追い、そうしながら血止めを考える。

 近くにくすぶる火を見つけ、立ち尽くす若者を伺いながら、火に近い方の左腕に、意識を投げた。

 ゆっくりと、音をたてないように、義手の掌の表面を剥がす。

 蓮がやがて背を向け、歩き出した。

 若者の髪が、会った時より短かった。

 いつ切ったのか、と思う間に、徐々にその髪が元の長さに伸びていく。

 そっと起き上がり、セイはくすぶる火に手を伸ばし、そのまま攫んだ。

 暫くしてから火を離し、若者の背を見送りながら、傷ついた辺りを焼き塞いでいく。

 幸い、こちらも無意識に、あの攻撃を防いていたようで、思ったより傷が少ない。

 あの女は蓮がこうなっていることを、間違いなく知っていたはずだ。

 聞いていたなら、もう少し考えて近づいたのに。

 今度会ったら、只じゃあ済ませない。

 心の中でそう誓いながら、セイはどうやって蓮を正気に戻すか、考えていた。

 下手に近づいたら、この通りだ。

 隠れようにも、場所がない。

 いくら何でも、己の体を犠牲にして、蓮の正気を戻す訳にはいかない。

 エンに、置手紙で約束してしまった。

 戻らなかったら、今度こそエンは悲しむだろう。

 ランを看取った時には、耐えてくれた。

 血の繋がりのない自分が死ぬことで、その我慢を無にするようなことは、したくない。

 かと言って、ここで諦めるのも、癪だった。

 何か、いい策はないかと、睨むように蓮を見ながら考えていたセイの前で、若者が手を動かした。

 ゆっくりとした仕草で、手にしていた刀の刃を、己の首筋に当てる。

 目を疑うセイの前で、蓮はもう片方の手を刃に添えた。

 その手に、力が加わる前に、セイが動いていた。

「ふざけるなっっ」

 思わず出た、何年振りかの、大声だった。

 怒鳴りながら、蓮の頭を思いっきり蹴り、そのまま地面に踏みつけていた。

「何をするかと思えば、最後は自死かっ? 世の中に、どれだけ、楽に死ねない奴が、いると思ってるんだっ? あんただけじゃ、ないんだぞっ」

 言葉が、吐き出されるように漏れた。

 新たな痛みと痺れに、息は早々に枯れ、肩で息を繰り返していたセイは、ふと我に返った。

 今、思いっ切り、蓮の頭を……。

 恐る恐る目を落とし、飛び下がった。

 間違いなく絶命している、そうとしか見えない潰れ方の頭をさらした、蓮が横たわっていた。

 しまった、どうしよう……混乱して後ずさるセイの前で、蓮の体が、身じろぎした。

「……!?」

 目を剝く若者の前で、身を起こす蓮の体に、潰れた頭が徐々に繋がりながら、形を戻していく。

「……おい、お前、余計な事を、してくれたな?」

 血まみれの頭のままで、蓮が地の底を這うような声を出し、セイを睨みつける。

「……」

 目を剝いたままだった若者は、腕を攫まれて我に返った。

「な、何で、あれですぐに、話せるんだよっ?」

 声が上ずったのも、何年ぶりだろうか。

 そんな若者の驚きように、蓮も驚いたようだ。

「お前、カスミの旦那が、首はねても死なねえの、知らねえのか?」

 つい訊いてから、ランの言葉を思い出し、一人で頷く。

「ああ、お前を連れて来た翌朝に、逃げたんだったな、あの人」

 そして、辺りを見回し、小さく息を吐いた。

「……あれだけ燃やしても、消えちまうのか。油、勿体ねえことしたな」

 そんなことを言う、蓮の腕を振りほどき、セイは睨み返した。

「あんたな、こういう迷惑な自死は、やめとけ」

 どう見ても、無駄に思える行いだ。

 若者が本気でそう言い切るのを、目を細めて見やり、蓮が切り出す。

「どうでもいいんだが……お前、もしかして、傷が、治せねえのか?」

「私は、あんたらの言う、寿命持ちだ。治せないじゃなく、遅いだけだ」

「……」

 本当に、この場ではどうでもいいと、セイは吐き捨てた。

 そして、目を細めたままの若者に、門の方を指した。

「葵さんを放って、こんな真似、するな。一度世話を焼いたのなら、最後まで見ろ。こちらに押し付けられるのは、迷惑だ」

 黙って門の傍で、呆然としている大男を見やる蓮を睨んだまま、セイは感情のまま続けた。

「負い目から始まった仲でも、あんたにとっては、救いだったんだろ? なら、あの人を、これ以上、悲しませることは、するな」

 振り返って、射貫くような目で見返されたが、話はそれだけと、幼い若者は蓮から離れた。

「まだ、騒ぎは続いている。逃げるのなら、早くした方がいい」

 無感情に戻りながら言い、門の方へと目を向けたが、目の前に葵が立つのを見て、セイは思わず立ち竦んだ。

「よ、良かった、二人共、無事かあっっ」

 我に返って、身を引こうとした蓮が、珍しく捕まった。

 二人同時に、葵の腕に抱きしめられ、声もなく呻く。

「こら、いい加減にしろっ」

 思わず強く押し戻し、蓮は身を離すことが出来たが……セイは、まだ収まりきっていなかった激しい痛みが、更に全身に強く走り、動けなくなっていた。

「……セイ?」

 塞いだ傷が、開いた……そう思う間もなく、意識が遠ざかって行った。


 日は沈み、騒ぎは下火のなりつつある。

 あれだけの炎が、急に消えてしまったのも不思議だが、エンからすると、別に気になる話でもない。

 世の中には、手妻と言うものもあるし、カスミのような親を持てば、その類の誰かの仕業とも考えられ、迷惑千万としか思えない。

 気になるのは、未だに戻ってくる気配のない、弟分の安否だけだ。

 ロンたちには待つと言ったが、本当はすぐに探しに行きたかった。

 あんなよく分からないものに、腹違いとは言え頼もしい姉の命を、刈り取られてしまった。

 今また、セイまで失くしてしまったら……エンは、立ち直れる自信がない。

 落ち着けないのを表に出さぬように、部屋に籠ってはいるが、我慢できなくなっていた。

 廊下の様子を伺い、そっと窓の方へと向かう。

 木の扉を開いて外を伺って、顔を顰めた。

 海に面していて、ここから出ると濡れ鼠だ。

 泳いで岸に行くのはいいが、着替えを用意するのが面倒だ。

 そんな風に悩む男に、外の方から声がかかった。

「お前、泳げるのか?」

 若い、聞いたことのある声だ。

「あなた、どこにいたんですかっ?」

 思わず声を上げてしまい、咳払いする。

「お前んとこの、お頭な、今、眠っている」

 そんな様子を気にしながらも、外の壁にもたれて座っていた蓮が、短く告げた。

「早く戻せってのなら、寝たまま連れて来るが、どうする?」

 男が、その言葉に首を傾げた。

「どうして、眠っているんですか? そりゃあ、どこでも寝ようと思えば、寝れる子ですけど、我慢できない程、眠っていない事は、ないはずです」

 慎重に返し、エンは真顔で問いかけた。

「あなたが、何か、酷い事をしたんですか?」

「酷い事されたのは、オレの方だ。頭潰されたんだぜ」

「……」

 どういう意味での言葉なのかと、考える間があった。

「まさか、言葉通り、ですか?」

「それ以外に、どう言えるんだ?」

 また、考えている間があり、今度は穏やかな声が尋ねた。

「まさか、あなたですか? 先ほどの、火事を起こしたのは?」

「ああ」

 答えは早い。

 躊躇いのない答えに、エンは少し驚きながらも、声は変わらない。

「セイも、ランのように、手にかけようとしたんですか?」

 何となく気がついていた事を問うと、それにも躊躇いなく、若者は答えた。

「ああ。同じように、な」

「でも、セイの方は、寝てるだけで、無事なんですね?」

 その問い掛けに答えるまでには、間があった。

「ああ。無事だ」

「そうですか」

 その間が気になったが、無事だと言うのなら、正直に答えたところを信じて、真に受けることにした。

「では、夜明けまでは起きるのを待って、その後も起きぬようなら、連れて来てもらえれば」

「……それで、本当にいいのか?」

「ええ。あいつも、戻ると言っていたんですから、出来るだけ、自力で戻りたいでしょう」

 また、蓮が黙り込んだ。

 エンの様子を、伺っているようだ。

 何が気になるのかは分からないが、そのまま返事を待つと、若者が言った。

「分かった、そう言う事にする。そっちの奴らは、気にしねえでも、いいんだな?」

「ええ。何だかんだで、あの子の事は、信じている奴らばかりです」

「……そうか」

 何やら、苦い声だ。

 何が不快なのか、尋ねる間もなく蓮は、話を切り上げた。

「じゃあ、あいつが起き次第、オレたちも挨拶がてら、表から来る。ちゃんと送ってやるから、心配するな」

「お願いします」

 返事が聞こえたのかは分からないが、蓮の気配は遠ざかって行った。

 窓をしっかり閉め、エンはひとまずほっとした。

 蓮は、容姿に似合わず、世話焼きらしい。

 大人びてはいるが、セイはまだまだ子供で、余計な心配をしてしまうが、ああいう人が一緒なら安心できると、男は思ったのだが……。

 エンは先程の、蓮の不快感を思い出し、眉を寄せた。

 何やら、苛立ったような、気配でもあった。

 自分の言葉のどこで、そんなに苛立ったのだろう?


 物心ついた頃から、分かっていた。

 自分を育ててくれた父親とは、血の繋がりがない事を。

 両親は、とても仲が良く、自分を可愛がってくれた。

 だが、時々、父親が僅かに見せる陰った表情が、楽しい日々の思い出を、悲しいものに変えてしまう。

 なぜ、母親は自分の本当の父親といないのか、この父との間に、どうして子供がいないのか。

 別れることになるあの日まで、不思議に思っていた。

 今でも、その不思議は、引きずっている。

 尋ねようにも、話をする者がいないからだ。

 大勢の大人が周りにいるが、下手に話す訳にはいかない話だった。

 育ててくれた父親の亡骸を見て、仲間たちにその人との話だけはする羽目になったが、その時の周りの表情が、どうしても過去を全て話す、と言う気持ちにはさせないのだ。

 父親の顔も知らずに育ったのを哀れみ、同情された上に、酷い奴だと育ててくれた男に対して、暴言を吐く者もいた。

 何故、そう言う話になるのか、さっぱり分からない。

 少なくともあの日までは、幸せで、良く笑う子供だったのだから。

 両親も、子はいなくても、幸せそうにしていたのだから。

 その幸せを奪ったのは、自分だった。

 火刑から逃がされ、祖母の元へと預けられたが、その後、母とは会えなかった。

 祖母の元へ届けてくれた父親とも、虫の息で再会するまで、会う事はなかった。

 あれ以来、身近の者の死ばかりが、転がっている。

 気のせいか、自分を大切にしてくれる者が、悲惨な最期を遂げる。

 父母、祖母、そして、祖父。

 城に連れていかれ過ごした数年が、それが気のせいでなかったと物語っていた。

 生きていることが、怖くなった。

 今も、怖い。

 だが、自分の死を、悲しむ知り合いがいるのも、怖かった。

 怖いからと泣いて、顔を歪める事で、周りが心配するのも、気にしてくれるのも、怖い。

 そんな思いを殺しながら、この数年過ごしていたのに、今になってその気持ちが、怒涛のように押し寄せていた。

 どうしてか、など気になる事ではない。

 抑えてきた感情が、噴き出ただけなのだから。

 息が苦しくなって、セイは目を開いた。

 見知らぬ天井が、目に飛び込む。

 ここは、どこだろう?

 考えながら、なぜ、寝ていたのかを思い出す。

 怪我がひどくて、倒れてしまったのか。

 こんなことは、初めてだと小さく笑いながら、整わない息を無理に整えようと試みる。

 不意に、右手首を攫まれた。

 胸元を抑えていたその手が、力づくで引き離される。

「……手当てした傍から、何してんだよ、お前は」

 不機嫌な声が、投げかけられた。

 目を上げると、手首を攫んだまま自分を見下ろす蓮が、枕元に座っている。

「帰る約束を、してんだろうが。死ぬなら、後にしろ」

 何を言っている、と返そうとして、攫まれた右腕を見た。

 義手の指が、自分の血で染まっていた。

「……」

 胸元を抑えて苦しさを和らげるつもりが、逆に傷口を開いていたようだ。

 息苦しいわけだと溜息を吐き、蓮の手を振りほどこうと手を振ったが、若者の手は離れない。

「丁度、葵も寝ちまった所だ。いい機会だ、腹を割って話そうじゃねえか」

「……私は、武士じゃない。割り方なんか、知らない」

 切り出した蓮に真顔で返すと、若者は呆れた顔で、声を抑えて言った。

「誰が、切腹しろと言った。大体ありゃあ、割るんじゃなく、切る、だ。腹を割ってって言うのはな、互いに本当のことをぶちまけるって意味だ」

「……本当のこと?」

「訊きたいことが、いくつかあるんだよ」

 言った若者を見返し、セイも頷いた。

「私も、訊きたいと思ってたことがある」

「何だ?」

「何で、葵さんの母上の首を、持って行ったんだ?」

 軽く訊いた蓮は、真っすぐな問いに、目を剝いた。

「何だと?」

「いや、もう一つ前に行くと、もっと分からないんだけど、あんた、その人とは知り合いだろ? 何で、首を刎ねる、なんてことした上に、持ち去ったんだ?」

 無垢な問いかけだった。

「……」

 蓮は、暫く若者を見下ろし、静かに返す。

「お前、自分が弱く、それを脅かすものを退治する、そう決意した百姓の群れが、どんだけ恐ろしいか、知ってるか?」

 元より、すがる何かがあるなら、まだましだ。

 そのすがる者の言う事に、耳を傾けて動く。

 だが、平穏に暮らしていたのに、突然脅威の存在を知らされたら?

「いくら、脅威と言う的にされた者が、話を聞いてくれと懇願しても、聞く耳なんざ、持ちやしねえんだ」

 山に、鬼が住まっている。

 そう吹き込んだ者も、人ではなかった。

 永くひっそりと暮らしていた親子の、とりわけ母親の首を取ることに執着している者、だった。

 もう少し早く、蓮がそこにたどり着いていたら、また話は変わっていたかもしれない。

 だが、着いたのは百姓たちが去った後で、女は、凪沙は虫の息だった。

「ああいう百姓相手なら、程々に追い返せたんだが、後で来るだろう奴には、正直勝てる気がしなかった」

 連れて逃げるにも遅いと、蓮の勘は告げていた。

「出かけている葵が、そいつと鉢合わせしないとも言い切れねえし、手負いの女を抱えてちゃあ、それこそすぐに追いつかれちまう」

 覚悟を決め、渡り合う決心をした蓮に、凪沙が弱い息の下から頼んだのだ。

「仕方ねえよな、男ってのは。少なくともオレは、どうしようもねえ男だ。一度でも情を交わした奴には、甘くなっちまうんだよ」

 だが、その頼みは聞いても、後ろめたい気持ちにはならないように、画策したつもりだった。

 流石に食われれば、生き返れまいと考えたのに、葵は蓮の望みを叶える前に、我に返ってしまった。

「……そうか」

 セイは、天井を見上げながら、頷いた。

「死の間際の人に頼まれたら、嫌とは言えないよな」

 言いながら思い浮かぶのは、オキの様子だった。

 腹がもたれて、部屋の中で寝込んでしまったが、大丈夫だろうか?

 そんなことを考えてしまった若者に、蓮が静かに切り出した。

「オレが、答える事がそれだけなら、今度はお前が答えろ」

 目だけをこちらに向けた年下の若者に、蓮は尋ねた。

「これ、あいつら、知ってんのか?」

 これ、と目で指されたのは、攫んだままの手だった。

「来た時から、こんな感じだから、知らない奴はいないけど」

 今更か? と不思議そうにする若者に、言葉が足りなかったと、蓮は付け加えた。

「この、血の色の事だ」

 先ほど、セイが葵の前で倒れた時、胸元から流れるそれを見て、墨でも胸に仕込んでいたのかと思った。

 そんなはずはないと打ち消した後、慌てて大男を若者から引き離した。

 何か、害のある物が混じっているのではと、案じたのだ。

 杞憂だったが、それだけ毒々しい色だった。

「……そうか、何ともなかったのか。運がいいな、あの人は」

 セイは、静かに笑った。

「昔、怪我に行きあった人は、全員死んだと聞かされたんだけど。父さんは、賭け事みたいだなって、感心してた」

 呑気な人だったな、と思い出に浸る若者に、蓮は目を険しくして尋ねた。

「つまり、場に寄っちゃあ、本当に害のあるもんが、混じるってことか?」

「場に、って言っても、私自身気を付けて、怪我はしないようにしているから、どう言う時に害があるのかは、分からない」

 かすり傷位なら、隠し通せる。

「隠す?」

「人を死なすような害を、あいつらに晒す訳にはいかないだろ」

「……そうか。お前、隠し通してんだな? このことを?」

「一人は知ってるよ。今となっては、あいつだけだ、知っているのは」

 祖父も察して、隠し通して逝ってくれた。

 一人で生きるようになっても、怪我で怯えないように、万全な備えもしてくれた。

「血が止まらねえのも、そいつは知ってんのか?」

「……」

 見開いた目が、見返してくる目と合った。

 その目には、笑いが浮かんでいる。

「オレなら、怪我してすぐに、焼き塞ごうとは、考えねえよ」

 血が止まるのを待って動くか、それこそ手当てを考える。

 見た限り、手当だけでも、心もとないと感じる怪我だった。

「そう言う怪我をしたのは、あんたのせいなんだけどな」

「それは謝るが、そう言う事で、さっきの事を、蒸し返したんじゃねえよ」

 蓮であれば、知った者が、ああ言う怪我をしてしまったら、その大怪我に衝撃を受け、動けなくなる。

 その後我に返って、血を止めるにしても、焼き塞ぐことを考えるのは、血が止まり切らないと分かった後だ。

 蓮のように、すぐに元通りの体になる者など、そこらにはいない。

 しかし、人間なら、体を癒せる力も、ある程度は備わっている。

 我慢と考える頭を売りに、力をつけて来た人間は限りがあるものの、生きる上で支障のない位には、己を癒せる力がある。

 それが、セイにはないとしたら?

 それを、あの集団の連中の殆んどが、知らないとしたら?

「……お前、あいつらと別れた後、生きる気、ねえだろ?」

 行きついた答えに、蓮は苦い気持ちになっていた。

 セイの方は、この人が言うか、と言う気持ちだったが、静かに答えた。

「死に急ぐことは、しないつもりだけど、足掻いて生きることも、ないだろ」

「唯一知ってる奴は? 心配してねえのか?」

「どうだろうな、どちらにしてもあいつは、この国に残る事を選ぶだろうから、私の後の事は、考えないだろ」

 不愉快そうな若者に、セイは目を丸くしながらも、言った。

「それに、血が止まらないわけでも、無いんだよ。寝れば、少しずつ、傷も塞がる。こう言う怪我を一気に治すなら、何日も眠らないといけないから、それは流石に、出来ないけど」

 小さな怪我の時に、「寝れば治る」と言い続け、それを信じさせた。

 お蔭で、寿命持ちの割に、怪我の治りは早いと、言われている。

「……」

 蓮が、ついに舌打ちした。

「何だよ?」

「お前みてえなガキに、騙されるとはな。大したことねえな、あいつら」

「……そうだな」

 動きが荒いが、根はいい奴が、揃っている。

 自分には優しいところが、気になってしまうのだ。

「こんな奴に、騙されてくれるんだから、有難い話だよ」

 そろそろ、戻らないといけないと、セイは身を起こした。

「夜明けに船を出す、そう言ってたから、早く戻らないと」

 ついでに、言い訳も考えなければと思いつつ蓮を見ると、若者は小さく笑った。

「言い訳は、要らねえぞ。連中、さっきの火事の騒ぎで、お前がいねえのに気づいた」

「……謝るだけで済む相手なら、楽なんだけどな。うちには、どんなことにでも、言い訳しなくちゃ、許してくれない奴がいるんだ」

 その度に、言い訳を考えるから、近頃は少しだけ、口が達者になった気がする。

 セイが寝ていたのは、建付けのいい屋敷の、畳部屋だった。

 辺りを見回したセイは、ようやく手を離した蓮に確かめる。

「もしかして、あの妖刀の持ち主、あんたの知り合いか?」

「……やはり、分かってやがったのか、ここを?」

「ああ。どう釘を刺そうかと、思ってた」

 素直に答える若者に、蓮は昔なじみのよしみで、命乞いをする前に、気になった事を口に出した。

「お前、釘を刺すってのは、意味分かってて、言ってんのか?」

「何度かやるうちに、この国のお坊さんが、そう言うと、教えてくれたんだ」

 そんなに何度も、やってるのか。

 と思わず苦笑したが、それは口に出さず、若者は真面目に言った。

「知り合いのよしみで、オレがその釘は刺した。オレに免じて許してやってくれねえか?」

「……あんたさ、私が、脅すとでも思ってるのか? 言っておくけど、私は……」

「分かってるぜ、お前、力、弱いだろ?」

 図星だ。

 そんな顔をしたセイに、蓮は不敵な笑顔を浮かべた。

「力技で来るなら、オレが撃退できるんだが、違うから厄介なんだ。どうだ? 許してやってくれねえか?」

「構わないよ。もう、しかるべき人の手に渡ったんだろ、その刀? なら、私が気にかける事もない」

 気にかけなければいけないのは、島に戻る約束の刻限だ。

 それに、出来れば、葵が眠っている間に、立ち去ってしまいたい。

 幸い、葵は別の場所で、眠っているようだ。

「ここの人に、よろしく」

「エンに送って行くと、約束しちまったんだが」

 立ち上がろうとしていたセイは、呆れた顔で振り返った。

「一緒に、国を出る気がないなら、下手に係るな。あんた、情があり過ぎだ」

 メルが、諦めていないと言われ、蓮は頷いた。

「その断りと、謝罪もやりてえから、少し待て」

「待つって、どの位?」

 心の準備がいるのかと、首を傾げたセイに、若者はあっさりと答えた。

「葵も起こして、ついでに連れてく。ここに戻るのも、面倒だからな」

 セイが嫌そうな顔をしているのは分かったが、蓮はすぐに立ち上がり、隣で眠っている大男を叩き起こしに向かった。

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