第6話

 諦めの空気が、蓮と葵の居心地を、更に悪くしていた。

 廊下で、部屋の中の様子を伺う者たちをかき分け、若者は先程の広い座敷へと向かう。

 後を追って来た大男は、辿り着いた座敷を見回し、倒れたままの男の亡骸に近づいた。

「……顔なじみじゃあ、ねえよな?」

「ああ。だが、妙な感じだ。どうも、ここの奴らを、恨んでいるように感じた」

 恨みに恨んだ上での、凶行だろうか。

「……心当たりが、多すぎるな。何せ、この国に来るのは、初めてじゃない」

 後ろから声がかかり振り返ると、ジュラが廊下に立っていた。

 隣にロンもいる。

「いいのかよ、ランの方は?」

「遺言なんて、聞きたくないもの。明らかに年下の子の最期は、初めてじゃないけど、慣れるものじゃないわ」

「ま、聞かされる奴が、あんな若いのは気になるが、エンもいるから、何とかなるだろ」

 見た目よりかなり年を重ねている二人は、死にゆく者を前にしても、余り取り乱さないようだ。

 葵の顔が、素直に曇る。

 それに気づいたが、慰める言葉もない。

 蓮は、亡骸の切り落とされた手を見止め、そこに握られている刀を見つめた。

 そして、自分が取り落とした刀を一瞥する。

「対の刀、って訳でもねえよな」

「対になった妖刀なら、もっと威力があったはずだ。鞘から抜いたら最後、正気には戻れなかったぞ」

 ジュラの言葉に、若者はしっかりと頷く。

 全くその通りだ。

 ジュラたちと別れた後すぐ、別な結界の存在に気付いた。

 だが、既に捕らわれていると感じ、すぐに一つの事に、意識を集中したのだ。

 動きを縛られても、意識だけは縛られまいとする、強い意志。

 あれでも、最悪な結末になったが、もしもっと強い妖刀だったなら、そんな小細工は通用しない。

 完全に正気を失って、この旅籠の者を皆殺しにしても、まだ止まらなかったかもしれない。

 幸い、もう一つの刀は、妖刀には見えない。

「だけど、釈然としないわ。この男が、あたしを閉じ込めてた? あり得ないわ。だって、あなたを起こした後に、セイちゃんに襲い掛かったんでしょ? あの結界を張った者なら、一目で分かったはずよ」

 セイの強みが、術の類を全く寄せ付けない事だ、と言う事に。

 気づいていたなら初めから、蓮の相手をランやジュラがしている間に、セイを先に亡き者にしようとしたはずだ。

「その手の事で、あたしたちを滅する気なのなら、尚更、その方が早いわ」

 襲っている蓮を紛い物と、そう思い込んでいる仲間たちは、あの時のこの男の動きを気にはしていなかったのだから、容易い事だっただろう。

 なのに動いたのは、蓮を起こした後、だった。

「つまり、こいつの後ろに、もっと強い術者がついている、ってか」

 ジュラが天井を仰いだ。

「弔い合戦するには、手強すぎる」

 術の類には、全くの弱者である蓮が、首を傾げた。

「あのな、本物の術師で、本当に強い奴は、結界に引っかかったと、感じさせることすら、相手にさせねえぞ」

「何ですって?」

 目を見張る大男に、蓮は不敵に笑いながら、続ける。

「オレやあんたに、おかしいと、そう感じさせたなら、そこでもう玄人じゃねえよ。いや、玄人を名乗ったって、分からねえ奴まみれだろうが、少なくとも、オレは違うと言い切る。本物ってのは相手が死ぬ迄、術中にいると感じさせねえ力量の奴だ」

 そういう奴も、ごまんといる。

「ここの、元頭領も、そうだろうが」

「そうだけど、その本物でなくても、手強いのは本当のことだわ」

 その元頭領も、今はいない。

「……その手の事に使える奴は、どのくらいいるんだ?」

 考えながらの問いかけに、ロンは少し考えて答えた。

「術系ってことなら……あたしや、ジュラちゃんを含めて、ほんの一握りね」

「それ以外で、腕に覚えがある奴は?」

「殆ど腕には覚えがあるわ。手癖が悪い子もいるけど、そう言う子も一応、護身には動ける」

 頷く若者に、ロンが目を細めて問う。

「どうしてそんなこと、訊くの?」

「あんたが捕まってた道沿いの、武家屋敷。あの辺り全体が、何やら怪しかった」

 正直、あの場からすぐに逃げたいくらいの、得体のしれない何かがあった。

「強がりは、相変わらずなのね」

 少し笑って見せてから、ロンも真顔になる。

「つまり、術云々を考えるより、あそこに住まうお武家を叩けば、おのずと術師も後ろ盾を失くして、滅ぶ、と?」

「大っぴらに叩いちまったら、逆に恨まれちまうだろうがな」

 唸る二人と考え込む蓮を見つめ、葵が首を傾げた。

「ってことは、恨まれてたわけじゃねえのか?」

「その辺りが、難しいところだ。初めにあった結界は、使われる場所が限られている。強い妖しの類を封じる時は、ああいうもんを使う」

 罠のようにまじないを仕掛け、鳴子に似た役割の物を仕掛けて置く。

「その鳴子は、強い妖しが引っかかった時に、鳴る仕掛けにしておく。鳴った途端に、呪いで結界を張る」

 だから、どんなに勘が鋭くても、どんなに強くても、引っかかるまで、察することが出来ない。

「この手の捕まえ方は、あんたも言ってたが、手っ取り早く式神を手に入れようとするときに、使われる」

 結界の中で弱らせ、徐々に心を崩壊させ、程々の正気を保っている時期を見計らい、救いの手を差し伸べる。

「……」

 事も無げに話す蓮に、ロンは目を細めた。

「詳しいわね。どこで見聞きしたの?」

「重様の元主に仕える前は、それこそ、質の悪い術師の元にいたんだよ。オレ自身は、そんな捕まり方じゃなかったが、そう言う捕らわれ方で蹂躙された奴なら、何人か見た」

 目を見張る三人に、若者は笑って見せた。

「だからオレは、その鳴子に気付くくらいには、気を張り詰めて動いてんだけどな」

 ロンは、細めていた目を更に細めた。

「まさか、何度かあの辺りは通ってたの?」

「ああ。慎重に通ってたから、何ともなかったがな」

「……」

 教えてくれれば、とは言えない。

 まさか、自分が引っかかるとは、思われていなかっただけだろうから。

 ロンは溜息を吐いてから、気を取り直して問いかけた。

「どうして、あの武家屋敷に、術師なんかがいるのかしら? 余興を楽しんでる? まさか、その武家が実は、ってことはないと思うけど……」

「どうだろうな。身分を偽って、武家に収まってるかもしれねえし」

 養子となって、潜り込んだのかもしれない。

「……調べてみるのはいいが、これで気づかれないかが心配だな」

 ジュラが眉を寄せ、肩に乗った小鬼を見た。

「どうであれ、弔い合戦するより、今後あんたらが、どうするのがいいかを、考えた方がいいんじゃねえのか?」

 ランが死にゆく今、残されるのはまだここに来て浅い弟と、幼い後継者だけだ。

「言っとくが、オレは、行けねえぞ。ランを、操られていたとはいえ、手にかけちまった。それを隠し通す自信は、欠片もねえ」

「……そうね、残念だけど、早めにこの国を出る準備を、進める方がいいわね。数十年間を空ければ、その術師とやらも力を弱めるでしょうし、その時にでも仇を返せばいいわ」

 ロンの言葉に、唸りながらジュラも頷いた。

「手強い術師なら、相手をすることになるのは、どう考えてもセイになってしまうからな。ランのことで堪えてる筈なのに、そんな重荷を背負わせるのは、酷か」

 そんな事をさせては、大勢の仲間を敵に回してしまう。

 話が決まった後は、することも自然と決まる。

 初めにするのは、この亡骸の片づけ、だった。


 その女は、散らかった座敷を見回し、唸った。

 この国の、武家屋敷の中にいるにしては、珍しい色合いの目をした、若い女だ。

「おかしいな、この辺りに転がしてたはずなんだけど」

 答えるのは、武芸者の姿の若い女で、心底呆れている。

「どうすれば、ここまで散らかせるのですか。しかも、転がしてたって、妖刀を、ですか?」

「いいじゃないか、ちゃんと鞘に収まってた刀だ。抜いてないんだから、害なんかない」

「もし、それが誰かの目に止まって抜かれたら、取り返しがつかないじゃないですか」

 責め口調の女に、座敷の主の女は口を尖らせた。

「いいじゃないか、どうせ、お前に上げるつもりで、滅しないで取っておいたんだから」

「私は、そんなもの、欲しくありません」

 困った女の言い分は聞き流し、散らかった座敷内を更に散らかしながら、女は探し物を続ける。

「欲しくなくても、持って行ってくれないと、困る。あんな奴に、あんなもの渡せないからな」

「誰か欲しがったのなら、それこそその方に差し上げるか、滅してくれていれば……」

「クロ」

 手を止めた女が、振り返った。

 名指しされ、クロと呼ばれた女が見返すと、女は真顔で言った。

「武家の後継ぎに収まってるのに、式神を欲しがって、挙句、面倒だからと罠を仕掛けて、無理やり式を作ろうとしてるような奴に、金を貰って引き渡せと?」

 目を見張り、クロは少し考えてから問いかけた。

「まさか、ここに来る途中に張られていた結界、その者の作でしたか? 私はてっきり、姉上が乱心したのかと」

「お前、言う事に事欠いて、それはないだろうっ? 私は、この国の奉行に乞われて、守りを強くする策を考えているだけで、そんな質の悪い事には係わっていないっ」

 安堵の溜息を吐き、クロは言った。

「確かに、あれは質が悪い。うちの奴らは引っ掛からなかったが、一人大物が引っかかっていました」

「本当か? それは、由々しき事態だな。あいつが、そんな強い式神を持ってしまったら、証の出ない殺しが、増えるかもしれない」

 女が唸るさまを、クロは感慨深げに眺めていた。

 それに気づいた姉が、怪訝な顔をする。

「どうした?」

「いえ。安心しました。重様が亡くなられたと、文書のみでお知らせしてしまったので、前のようにご乱心なされていたら、私では止められません」

「今度は寿命であったのだろう? 看取れなかったのは残念だが、致し方ない。私は、あの時のあの方を、信じ切ることが出来なかったのだ。合せる顔が、なかった」

 そんなしんみりとした言葉に、妹もしんみりと頷いた。

「信じぬどころか、盟友の方々を逆恨みし、蠱毒こどくを作っていたなどと知られては、あの方もさすがに悲しまれるでしょう」

 老人のように白い髪の女は、目を剝いて妹に詰め寄った。

「お前まさか、それを漏らしてはいまいな?」

「漏らせるはずもありません。私だって、皆さんが集った場に、弔い合戦と称して、乗り込んでしまいましたから」

 あの場に、重がちゃっかりと紛れて座っていなければ、ここまでこの国は収まっていなかっただろう。

「あれで怪しい家臣を一掃できたと、あの方々には慰めてもらいましたが、私も蓮も、姉上の事を責めることは出来ません」

 重を看取った後、蓮は姿を消した。

 自分が江戸を離れなかったのは、もう一人の僧を慕って、離れがたかったからだ。

 その僧も、つい一月前に鬼籍に入った。

 それを姉にも告げると言う名目で、クロは長崎のこの屋敷を訪ねた。

「……お前の方は、看取れたのだな。良かった」

「はい。年老いても、美しい方でした。心根も……」

 声を詰まらせた妹に、何を思ったのか贈り物をしようと探し始めたのが、妖刀だったのだ。

「ここまで探しても、気配がないと言う事は、ここにはないのかもしれない。もしかして、己で動いたのか?」

「やめて下さいよ、動ける刀など、早く滅してくださいっ」

「そんな力はないはずだから、転がしていたんだが……」

 そもそも刃物類を、地べたに転がしておくのがおかしい。

 そう返したいのをぐっとこらえたクロに、控えめな呼びかけをした者がいる。

 振り返ると、この座敷は危ないと下がらせていた、幼い娘だった。

「お話し中、申し訳ありませぬ。お目通りしたいと、どこかの殿方が……」

「奉行かな?」

 姉が首を傾げ、頷いて通すように言った。

「あの方は、この座敷に、何も感じないらしい」

「この座敷に、ですか」

 それは、様々な意味ですごい。

 そんな顔で感心する妹の前で、女は簡単に身づくろいし、しとやかなたたずまいで客を迎えた。

 だが、座敷に姿を見せた姿を見て、驚いて目を剝いた。

「え、何で、お前……」

「……やっぱり、お前かよ」

座敷の外の廊下に立つ若者が、冷ややかに呼びかけた。

「随分永く、雲隠れしてたじゃねえか、シロ」

「れ、蓮、お前、全然変わらないな」

 返しながらシロと呼ばれた女は、妹を見た。

 見返したクロも、意外な再会に目を丸くしている。

「お前さん、こんな所にいたのか? と言う事は、国を出る覚悟が、できたのだな?」

「お前こそ、ここに来たってことは、亡くなったんだな? あちらの、ラン様も?」

「あちらのって……」

 クロが戸惑いながら訊き返し、思い出した。

「ああ、あの性悪な男の娘さんも、ラン、だったな。あの人も、死んだのか?」

「こっちのランは、それらしい死にざまだった。あちらは、往生したか?」

 頷いて更に尋ねる若者に、女は答える。

「坊さんだからな、戦まみれの時と違って、波乱の生涯でもなかった。……そちらは、誰かの手にかかったのか?」

「……ああ」

 更に尋ねたクロに、蓮は頷いてから、手にしていた物を座敷内に放り投げた。

 乱暴な投げ入れ方にむっとしつつも、シロは座敷に落ちたそれを見て、思わず声を張り上げた。

「あっっ、あったっ」

「それで、オレが、手にかけちまった」

 拾い上げようとした、女の手が止まった。

「……人を、斬ったのか? これで?」

「ああ」

「何てことをっ。ちゃんと浄化して、クロに上げる気でいたのにっっ」

「あのなあ……」

 自分の周りは、どうしてこんな奴ばかりなんだと、蓮は内心嘆きながらも、低い声で怒鳴った。

「お前が、きちんと封印してねえから、あんな術師野郎に、持ち出されて悪用されるんだろうがっっ」

「悪用? 誰が? まさか、無かったのは盗まれたから、なのか?」

 何でこれが、影で一目置かれる術師の、一人なのだろうか。

 頭を抱える女を見やりながら、苦い溜息しか出ない。

 そんな若者を見ながら、クロが静かに言った。

「……持ち出されたのは、致し方ないでしょう。その辺りに転がしていたのなら、気軽に、持って行ってしまいたくなります」

「んなこっだろうとは思ったが、本当にそうだとはなっ」

 苦く吐き捨てるしかできない若者に、シロが真顔で声をかけた。

「術師と言ったな? どんな奴だ?」

 問われて若者が死んだ男の容姿を告げると、女は唸った。

「あいつ、この屋敷には出入りしていない。どこからかこれの事を聞きつけて、金を積んできたが、見せてもいない。と言う事は……」

 シロは、鞘に収まったその刀を持ち上げ、凝視した。

 目を凝らしながら、首を傾げる。

「? こいつ、少しはお前の力を、奪ったんだろう?」

「ついでに、血も吸った筈だ」

「おかしいな、綺麗なもんだ。浄化したての、刀にしか見えない」

 聞いた蓮が、目を逸らして小さく笑った。

「何だ、どうした?」

「いや、何でもねえ。お前がその術師に、その刀を見せたことがねえなら、そいつ自身が動いて、主を探し当てたってことじゃねえのか?」

「……そうなのかな。単にこの座敷から逃げたくて、外に飛び出したら、偶々そいつに拾われた、ならあり得る気がするけど」

 散らかり過ぎの、自覚はあるようだ。

「主を探して飛び出したのなら、刀を抜いたのが、お前では、おかしいからな。お前に、これを持たせたあいつは、お前の主となる気でいたのだろうが」

 死んだのならば、もう気にすることはない。

 シロは首を竦め、蓮に礼を言った。

「助かった、これを持ちだしてくれて。その、性悪な奴らに悪用でもされたら、夢見が悪くて仕方ない」

「礼なら、それを浄化した奴に、言ったらどうだ。そいつ、見事に仲間を騙しやがった」

 この刀の持ち主は、本来はここにいるシロだ。

 刀の持ち主を調べ、押し入られていたら、術は強くても体力に自信の欠片もないこの女は、すぐに命が危うい事になっただろう。

 あのまだ幼さの残る若者は、蓮を起こすまで、自分の事を術師に分からせなかった。

 無意識なのか、そう意識して、なのか。

 その小さな事が、仲間が更に動こうとするのを、抑えるものになった。

 あそこで死んだ術師の後ろに、強い術師が控えていると、そう思い込ませることが出来たのだ。

 お蔭で、刀を持ち出せ、蓮も葵を残したまま、ここに来れた。

「そちらの礼は、会う機会があったら、することにするが……」

 シロが頷いてから、不意に問いかけた。

「お前、この後、何をする気だ?」

 ここに来たのは、自分がこの刀の持ち主だと、当たりをつけたせいだけでは、ないだろうと言う女に、若者は笑って見せた。

「別に、何もしねえよ。本当に、これを返しに来ただけ、だ」

「ここには、だろ?」

 シロは返し、蓮に近づいた。

「お前がそう言う顔をしている時は、投げ槍になっている時だ。その連中の代わりに、あの屋敷に乗り込む気だな?」

「だったらなんだ?」

「やめとけ」

 女はきっぱりと言った。

「あそこの殿はな、何故か南蛮の者を、蛇蝎のように嫌っている」

「長崎に住んでるのに、か?」

「元々、代々住んでいたのに、そこにああいう島を作られるわ、南蛮の船が海を行きかうわで、許せないらしい」

「仕方ねえだろう、ここは、大陸から渡りやすい」

「そう、だから、大陸の、お隣の国なら、そう目くじら立てないんだよ」

 シロが頷き、続けた。

「顔も髪の色も、同じならいいけど、変わった色合いの者が傍で出入りするのが、すごく嫌らしい」

 だが、要職には未練があるから、裏で画策する。

「だから、後継ぎが不慮の死を遂げてもいいように、たくさん囲っているんだよ、術師を」

 今のところ、そんな気配はないが、南蛮の者を受け入れている民にまで、憎しみをぶつけかねない奴だった。

「……」

「お前が今度は、町の者を襲うようになっても、困る」

 言い切ってから、女は眉を寄せた。

「それとも、呪いが効かない手で、押し入る気じゃ、ないだろうね?」

 蓮は無言で、顔を逸らした。

 その動作で図星と察し、聞いていたクロが目を険しくした。

「蓮、そのやり方は、無駄だと分かっているだろうっ?」

「ああ。だから、ちゃんと工夫を凝らす」

 若者は静かに答え、腰に付けていた小さな甕を持ち上げて見せた。

「油、だ」

「……」

「それで、オレもろとも燃やせるはず、だ」

 呆れ顔になったシロが、その顔のまま言葉を吐きだした。

「焼き切れないかもしれないし、何より、あの屋敷だけで、止まる自信があるのか?」

「そん時の後始末を、頼みに来た、ってのもあるな」

 けろっとした若者の言い分に、女二人が同時に溜息を吐いた。

「あのな……」

「いいじゃねえか、元はと言えば、お前がその妖刀をしっかり見てなかったから、オレはあいつらと国を出る、と言う道を選べなかったんだぜ」

 それを言われると、黙るしかない。

 シロは苦い顔で蓮を見つめ、それでもこれだけは言った。

「ただ、苦しい思いをするだけかもしれないぞ、いいのか?」

 そんな憎まれ口に、若者は不敵に笑って答えた。

「今まで、苦しい思い、してねえと思ってんのか?」

「蓮、あの連中に混じれなくても、国を出る算段位、私も考える。早まるな」

「何も、国を出たくて、奴らの所に行ったわけでも、ねえよ。選べなかったってのは、言葉の綾だ」

 ただ、来ているようだったから、立ち寄って挨拶しようと思っただけだ。

「望むもんなんか、何も、思い浮かばねえからな」

 言葉を失ったクロは、立ち去る蓮の背を見送り、姉と顔を見合わせた。

「思ったより、重症ですね」

「私じゃなく、蓮の方が、乱心してるじゃないか」

 シロも呆れた顔で、首を振った。


 ランを運び込んだ部屋から、セイとエンが出て来たのは、夕方だった。

 どちらかと言うと、エンの方の顔色が優れず、黙ったまま自分にあてがわれた部屋へと歩いて行く。

「しばらく、休ませてやれ」

 セイが無感情に言い、近づいたロンを見上げた。

「ここも、暫くそのままにしておいてくれ」

「……ランちゃんは?」

「……もう、弔った」

 短い答えで、何があったのか分かったらしい。

 固い顔で頷き、エンが入った部屋の方へと目を向ける。

「流石に、堪えたみたいね」

「ランの遺言だからね。見守れとまでは言われなかったけど、あいつは出て行かなかった」

 セイは、出かけた時から持っていた傘を手に、廊下を歩きながら、この後の事を尋ねた。

「船の用意を進めているわ。日が昇るまでに、この国を出ましょう」

「ああ」

 それまでに、あの部屋に残した者が起きるかどうか。

 そんなことを考えながら、自分にあてがわれた部屋へと向かったが、途中で葵に捕まった。

 若者を見止めた大男は、少し顔を歪め、咳払いした。

 こちらは平気なのに、酒友達だったと言うだけの男が、まだ会って間もない自分に、同情してくれているようだ。

「その、大丈夫、か?」

 本当に、調子の狂う人だと、思わず苦笑しながら、セイは頷いた。

「あんたの方が、大丈夫じゃない顔してるよ」

「そうか。まあ、元気出せよ。ちゃんと食って、ちゃんと寝るんだぞ」

「ああ」

 顔が緩んでいる若者を、何故かロンが、目を剝いて見守っている。

「お、いた。お武家さん、やっぱりいないようだ……」

 ジュラが、葵に走り寄ろうとして、立ち止まった。

「そうか。どこ行っちまったんだろう? つうか、オレは、どうやって帰ればいいんだ?」

 ここに残らないのであれば、蓮に送ってもらおうと、葵は考えていたのだが、その若者の姿が見えない。

 気安くなったここの者たちにも頼んで、探していた所だった。

「どうしたんだ?」

 自分を見たまま固まったジュラが、全く動く気配がないので、セイは葵に尋ねてみた。

「蓮が、いなくなっちまったんだ。まさか、オレを、ここに押し付ける気じゃねえよな?」

「……それは、困る」

 思わず、セイは本音を漏らした。

「何だとっ?」

「だって、行く先々で、迷っていなくなるような人、一々探すのも、大変じゃないか」

「そこまで、ひどくねえよっ」

 本人の強い言い分は無視し、セイは目を剝いたままのロンに、声をかけた。

「この人を送って来る。どこかの山だったよな?」

「いえ、ちょっと、待って」

 我に返った男が、その言葉にようやく返した。

「蓮ちゃんを見つけ出して、引き渡せば、すむことでしょ? まだ近くにいるはず。探すわよ、ジュラちゃん?」

 ロンは呼びかけた男が、固まったまま動かないのを見て、溜息を吐いた。

「ああ、そうよね、これは仕方ないわ」

 呟いて、男は精一杯の力で、自分の両手を打った。

 盛大な音に、ジュラが我に返り、周りで秘かに固まっていた仲間たちも、目が覚めたように辺りを見回した。

「……どうしたんだ?」

 突然、大きな音を立てた男に、セイは眉を寄せただけだ。

「何でもないわ。目立たない子を集めて、この島の外も探してみるから」

「ああ、頼む……?」

 この場にいた者が、慌てて動き出すのを、若者は眉を寄せながらも見送った。

「遠くには行ってないって、いつから姿が見えないんだ?」

「さっきは、いたんだ。あの、蓮に化けてた奴の亡骸を、運び出した時までは」

「……刀は?」

「刀?」

 葵は首を傾げてから、ああ、と頷いた。

「蓮が持ってた奴か? お前んとこの人が、船出した後に海の中に沈めるとか、言ってたぜ」

「どこにあるのかは、分かるか?」

「いいや、お前んことの人が、持って行ったぜ。あの男が持ってた方は、蓮がどっかで売るとか言ってたが」

「……」

 画策、し過ぎたか。

 セイは、舌打ちしそうになる。

 そう、あの時セイは、男の手に握られた刀と妖刀を、すり替えた。

 本来の妖刀は浄化し、何の変哲もない刀の方に、その気配を刷り込ませておいた。

 あの本物の妖刀を、本来の持ち主に返しがてら、釘を刺しに行くつもりだったのだ。

 蓮は分かっているのか否か、本物の妖刀を、持ち出してしまったのだ。

 あれを、万が一興味本位で抜かれては、不味い事になる。

 葵の前だと言う事を忘れ、セイは無言で外へと歩き出した。

「お、おい、どこ行くんだ?」

 追いかけて来る大男に構わず、外へ出た若者に、控えめに声をかけた者がいる。

「もし、この宿に、お泊りの方でしょうか?」

 声の方へ目を向けると、幼い娘が、自分を見上げている。

 その顔は怯えで引き攣っているが、何とか逃げずに立っている。

「私の事か?」

「はい。わが主が、あなた様に申し上げたい儀があると、仰せです」

「……私に?」

 目を見張るのは、意外なせいだ。

 あの連中の中にいると、自分はどう見ても仲間の上に立つ者には見えないようで、紹介の度に驚かれる位だ。

 つい、訊き返すと、娘は頷いて、小走りに走り出した。

 その場に立ち尽くす若者に気付いて、一度立ち止まって振り返ると、またすぐに走り出す。

 ついて来いと、言われているようだ。

 仕方なくその後に続くと、葵も後に続いて走り出す。

「あんたは、宿にいてくれ。蓮が戻ってきたら、すぐに引き取ってもらわないと」

「その、蓮の事かも知れねえぞ、あの娘っ子の主の話が」

 そうだろうとは思うのだが、色々話しずらい事もありそうで、葵は引き離しておきたかった。

 だが、もう仕方ない。

 二人は小走りで娘に追いつき、やがて傘を被った侍らしき者の前に立った。

 エンよりは小さいものの、この国では大きい方に入る、そんな背丈の細身の浪人だったが、傘を取った顔は意外に若く、整ったものだった。

 物腰も柔らかく、静かに一礼すると、セイを見つめた。

「なるほど、あなたなら、全ての術を通さぬ力がありそうだ。初めてお目にかかる」

 そんな、侍の腰の物を見つめ、セイが返す。

「あなたが何処のどなたかは知らないが、それを差していると言う事は、あなたがそれの持ち主か?」

 ロンたちの目を誤魔化し、変哲のない刀に見せたはずの物が、妖刀本来の気配でその腰に差さっていた。

「話せば長いのだが、よろしいか? こちらは、少し時がかかろうとも、あなたに頼みを通せるのであれば、構わぬ覚悟でここにいるのだが」

「その長い話の間に、こちらに更なる災厄がないのなら、聞かせてもらう」

 無感情に頷いた若者に頷き返し、侍は静かに語り出した。

 この妖刀が、悪さをするに至った経緯と、蓮のその後の動きを。

 クロと名乗ったその侍は、話し終わって息をつくと、改めて切り出した。

「このような事を頼むのも心苦しい、だが、私としては、主の遺言を疎かにする蓮を、止めなければならぬと、そう思っている」

 重は死の間際まで、蓮の呪いのかかった体を、気にしていた。

「寿命もなく、時すら理不尽に止められ、死ぬことすら叶わぬ体になっている。主はそんな蓮に、まずは己の故郷を訪ね、本当に、母を殺めたのか、確かめてこいと申された」

 葵が、口の中で声を殺した。

 無言のセイを見下ろしながら、クロは真剣な顔で続ける。

「これは、主の最期の願いなのだ。それを疎かに、奴は、あなた方の元で亡くなった者の弔いを言い訳に、ある屋敷への奇襲を、画策している」

「ある屋敷って、まだ術師がうようよいるかもしれねえ、あの屋敷か?」

 葵が青くなるのに頷き、クロは言った。

「だが、私の案じるのは、その事ではない。蓮は、あの場で、無駄になるであろう行いを、しようとしている」

 己の命を、かき消そうとしている。

「……私に、どう止めろと?」

 わたわたする葵の横で、セイは静かに問いかけた。

 答える侍は、ゆっくり首を振る。

「分からない。だが、何とかできるとしたら、こちらの集団の頭しか、思い浮かばなかった」

「カスミなら、それが出来たかもしれないけど、私が出来るとは思えない」

「蓮が使うその策は、下手したら、この島にまで及ぶかも知れない、災禍だ。それを、防ぐのは、私と姉が、この命を持ってやらせていただく。あなたは、どうか、蓮を……助けてやってくれ」

 思わず目を見張り、セイはその言葉を繰り返した。

「助ける?」

「私たちでは、余りに近すぎて、それが叶わない。遠すぎる者たちでも、とてもできる事ではない。だが、あなたなら……」

 目を見張ったままの若者を見返し、クロは微笑んだ。

「何故か、それが出来るような気がする。あなたとは初めて顔を合わせる上に、術師のなりそこないの私が言うのもおかしいが……あなたは、蓮と同じ気配がある」

「……」

 そのまま目を細めるセイに、侍は困ったように笑い、頭を下げた。

「すまない、余計な事を言った。許せぬのなら、この場で命を絶ってくれても、構わぬが……」

「そんな面倒な事、したくない。それよりも、本当に出来るのか? この島や近くの町に、災禍が及ばぬように、防ぐことが?」

 セイが無感情に尋ねた。

 頭を上げたクロが、意外そうに目を見開きつつも、頷く。

「私は兎も角、姉は、とても頼りになる方だ」

「なら、そうなったときは、頼む」

 セイは、手にしたままの傘を頭に被った。

「あの武家屋敷で、いいんだな?」

 言いながらも、傘の中の顔は、険しくなっていた。

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