第4話
蓮と初めて会ったのは、武士同士の土地争いが、徐々に高まっていた時期だった。
当時は、真面目に集団をまとめていたカスミだが、ある牢人に余計な事を口走ったらしい。
激怒した数少ない二人の家臣が、カスミがランと共に一時身を置いていた場所に、襲撃をかけたのだ。
集団を攪乱して、カスミの寝床に忍び込んだ、そう見えたのはラン達だけだったらしい。
蓮は、カスミの寝床に入り込み、その首を取った。
その後、もう一人の家臣が、攪乱に動いたのだ。
同志が起こす混乱に紛れ、蓮は悠々と、その場を去ろうとしていたのだが、それは叶わなかった。
音もなく、退散しようとしていた蓮の肩を、気軽に叩いた者がいたのだ。
振り返った若者は、侵入者にあるまじき、悲鳴を上げたのだった。
「そんなに、驚くことはないだろう。首を取ったのはお前だぞ?」
首の無いカスミは、蓮の肩を攫みながら当然無言だったが、髪を攫まれて持ち去られようとしていた首が、蓮の手の中でそう言っているのを、駆け付けたランとロンに、目撃された。
「仕方なかろう、持っていかれては困る」
呆れて、何やっているのだと問いかけたロンに、カスミは真面目に答えた。
「見つけた時に、腐っていては、大変だろう」
「ここのお掃除も、大変なんだけど」
当然、捕えられた蓮は、誰の差し金か口にすることはなかったが、カスミには心当たりがあった。
丁重な拘束を心掛けさせると、どこかに出かけて行った。
戻ってくると、仲間たちに言う。
「大きな戦にはならん場所が、まだまだ多い。だが、鬱憤は溜まっていよう。よって、余興に、人を呼んだ。その者を、手にかけられたら、側近にしてやろう」
真面目な顔で、とんでもない火種を投げた。
色めき立つ仲間たちの中で、顔を強張らせている蓮を見下ろし、カスミは真面目に続けた。
「あの者が無事、私の前にたどり着けたら、解放してやろう」
「……」
蓮はロンに任せ、ランはカスミと共に、その余興の相手を待ち受けるべく、外へ出た。
気になった事を、娘は気楽に問う。
「なあ、あのガキ、何者だ?」
「見ての通り、狼藉者だ」
「オレの弟、ってことはない、だろうな?」
無言で見返す父親に、ランは考えながら続ける。
「何だか、他人じゃないような、気がするんだ」
「そうだな。親子でなければ、それ位しか分からんか」
「……」
血が繋がっていても、その人物と顔を合わせていないと、それと分からない。
ランは、そこまで勘も鋭くないから、特にその程度しか、分からないのだが……。
蓮と父親が一緒にいた時、何やら妙な感じがした。
ロンにも聞いてみようと思ったが、部屋の掃除と蓮の見張りで、それどころではない。
「聞いても無駄だろう。ロンも、蓮と私の間の者に会ったことは、ないからな」
心を読んだかのような言い分に、ランは目を細めた。
「親父、まさかとは思うけど、オレたちに内緒で、女囲ってないよなあ?」
「囲ってはいない。だが、子供は欲しいのだ。約束があるからな」
集団を離れ、既にこの世からも、消えてしまった男との約束事。
久し振りに会った律から、人の姿を取れるその男の子供は、女子だと聞いた。
カスミは頭を抱え、嘆いたものだった。
「せめてラン、お前が、もう少し、完全な男であったならっ」
それを聞いたユウに、涙ながらに責められていたが、ラン自身は頷きたい気持ちだった。
カスミの片腕だった男の子供と、所帯を持ちたいから、ではない。
心から惚れてしまった者が、女だったからだ。
カスミもそれを知るから、それ以上嘆かなかった。
代わりにこっそりと、女の元へ、通っていたのだろう。
「……つまり、あの蓮って奴は……」
「女しか生まれなかった、と聞いたのだ。もう一人が、一向に出てこないともな。そのもう一人が、男だったのだろう。父親の血が、私と繋がっているようだ」
残念だ、とカスミは小さく言った。
そんな話をしている間に、余興の相手が姿を現した。
この国の者としては、中ほどの背丈で、自分達からすると、かなり小柄な牢人だった。
待ち受ける仲間たちは、それこそ岩の様な大男が多い。
侍は、静かにカスミの方へと一礼し、後ろに一人控えていた家臣に、何かを言いつけている。
あんな約束をして、あの中の誰かが、側近として威張り始めるのも、面倒だな、と思いつつ見ていたランの前で、侍は刀をゆっくりと抜き、前に立ちふさがった大男に、飛び掛かった。
傑物、と言う類の者が、偶にいる。
一人はカスミの父親の、母親の連れ子であった、叔父だ。
もう一人は、カスミと約束事をした、ランの母方の従兄弟。
この二人は、豪快な力技と、感覚を駆使した技を、得意としていた。
この侍は、どちらとも違う。
少なくともランは、白羽取りされた刀の刃を、その掌の中で滑らせて向きを変え、そのまま自分の重みで、手の持ち主の頭に突き刺す男など、初めて見た。
深々と、額に刺さった刀は抜かれることなく、白羽取りされた侍の隙をついて襲って来た男は、絶命した大男の剣によって斬り払われた。
「斬るのには、困らぬ数ですな。よくもここまで、このような者たちを、集められたものだ」
やんわりと侍は言いながら、剣についた血を振り払う。
たかが余興と、遊び半分で臨んでいた者は、そこで真顔になったが、半刻も経たずに血の海に沈んだ。
最後に手にしていた剣をその場に落とし、侍は真っすぐカスミの方へ歩み寄った。
近くで男を見たランは、目を丸くする。
「あれ、お前、確か……」
「ラン殿、お変わりないようで、何よりです」
微笑んだその男には、見覚えがあった。
カスミが、永く時をかけてその体を作り、十数年前にようやく動かす事が出来た、いわゆる作り物だ。
しかし……。
「何で、成長してんだよ?」
別れた時は、十を超えた位の、子供の姿だった。
あんな作り方だったのだから、絶対に人としては、やって行けないと思っていたのに、そこに立つ男は、立派な大人となっていた。
思わず出た声に、男は答えた。
「良く寝てよく食べれば、どんな子供でも、成長するものです」
「いや、あんた、うちにいた時は、食っても、成長しなかったじゃないかっ」
「ですから、良く寝ていなかったのでしょう」
ランが混乱気味に、侍と言い合っている間に、余興に臨んでいなかった面々が、ぞろぞろと外へと出て来た。
「何だか、懐かしい光景ねえ」
ロンが隣に立つ若者の、げっそりとした顔を一瞥し、問いかけた。
「あれが、お迎え?」
「……何で、来たんだ?」
顔を改めて、厳しく問う蓮に、侍は真顔になって答えた。
「お前を引き渡すにせよ、カスミ殿には、きちんと挨拶しておかねばならぬ、と思ってな」
「引き渡す? ふざけんなよ。オレは、あんたから離れる気は、ねえぞっ」
「……ほう」
男は頷いたが、その様子に、後ろに控えた家臣は無言で一歩、後ろに下がった。
逆に男の方は、前に進み出て近づきざまに、拳を若者の頭に落とした。
「では、離れた上に、カスミ殿の首を取るなどと言う、罰当たりなことをしたのは、どういう了見だっ?」
拳を落とした後、すかさず胸倉を攫んでの問いかけだが、蓮の返事がない。
「……
後ろに控えていた家臣が、静かに主に声をかけた。
その後、重と呼ばれた侍は、カスミと共に語り合い、拳を落とされた蓮は、そのままランが相手をすることになった。
その時、蓮の口からコウヒの名前が出、赤毛の叔父の息子との血の繋がりを知る。
ロンが疑うくらいに、意外だった。
なぜ、この若者に限って、血の繋がりが分かりづらいのかとは思ったが、それだけだった。
あれから時が過ぎ、少し前に再会した蓮から、その侍は鬼籍に入ったと聞いた。
だから、蓮がカスミの孫だと知るのは、もう自分だけだ。
教える方がすんなりと物事が運びそうだが、どちらに転ぶか分からない話が、その前に持ち上がっていた為、ランは躊躇ったまま策を進めていた。
「……成功したんですね」
メルが蓮と共に、仲間の中で騒いでいるのを遠目に見ながら、エンが呟いた。
その声は、色々な気持ちが混じっている。
「セイを縛るよりは、ましだろ」
「ですけど、あのまま、野に放つのも、心配の方が多くて……」
この国に向かう船の中で、小さな言い争いがあった。
丁度、近くの国に残して来たセイの祖父、ジャックの死の報告が届いた頃だ。
海の上でそれを聞き、いつもと変わらずそれを仲間たちに告げ、部屋に引っ込んだ若者を見て、不安を感じた者がいるのだ。
しっかりし過ぎている、セイの様子に逆に不安を覚え、その不安が四年で消えるのかと、エンは投げかけた。
それに同調したジュリも、何とか足を洗わない方向にもっていくことを、画策した方がいいと、そんな事を言い出した。
「何なら、ランがあの子と、所帯を持てば?」
マリアが言い出し、名案だと手を打つ者が出始めた。
「いや、それは、ちょっと……」
「あら、あなたは、セイのこと、嫌い?」
ジュリが首を傾げ、困る問いを投げるが、ランはきっぱりと言った。
「所帯を持とう、と思うほどの好き、ではないぞ」
必死でその場を収めたが、ランは落ち着かなかった。
父親がいなくなったその夜、ランは聞いていたのだ。
その日連れて来た子供が、どうやらランと同じような、母親の願いを聞いて生まれて来た子供、だったようだと。
母親の願い。
ランの母親は、初めに産んだ男の子供と、継承争いに巻き込まれた事を気に病み、自分と妹がまだ腹の中にいる時、しょっちゅう口にしていたらしい。
生まれるのなら、女の子供がいい。
それを知った時、ランはその時、すでに亡くなっていた母を恨んだ。
どう考えても、男の体の方が、しっくりと自分に馴染むからだ。
唯一、父の血を継いでいる力は、体を男にも女にも代えられるものだったが、未だに女に戻る時は、死ぬような目に合う。
初めて変わった時はその衝撃で、髪を真っ白にしてしまったくらいだ。
この国では母親を慕う意で、女として過ごしているが、いつもは男の体で気安く暮らしていた。
そんなランと同じと言う事は、ランが男としてセイと所帯を持つことも出来る、と言う事だ。
「そんなこと言うなら、お前が、セイと所帯を持てよ」
「出来るわけ、ないでしょう。あの子は、男の子ですよ」
女のランにしか託せないと、エンは溜息を吐くが、それ以前にあの若者を、弟としか見れないようだ。
ランも同じなのだが、たまにセイの顔に見惚れる時があり、それに気づいて言っているのか、ジュリもエンも、蓮を騙すよりはいいと、思っていたようだ。
ランは、己がその考えに流されるのを恐れ、蓮と再会してすぐに動いた。
カスミは出て行く前に、ランに言った。
この国は、今ランにとって鬼門だと。
ユウも、あの時そう言われ、残されるのを嫌って国入りしたが、待っていたのは好いた者との逃避行の末の、死。
はた目からどう見えようと、幸せだったのではないかと、ランは思う。
自分がどうなるかは分からないが、死ぬ前にセイの肩の荷を少しでも軽くして、蓮に謝れた後なら、悔いはないだろうなと思っていた。
そんなことを言ったら、ロンに叱りつけられるだろうが。
そこまで考えたランは、ふと顔を上げて辺りを見回した。
「ロンは? まだ帰ってないのか?」
場が、静まり返った。
「? どうした?」
「いいえ。どこかに通っているかも、しれないですね」
穏やかなエンの答えに、ランは首を振った。
「そんなはずないだろ。あいつは、女房一筋だ」
それに、もう一つ、気になることがあった。
「オキは? あいつは、どこにいるんだ?」
「あいつは、セイの所ですよ。なんだかんだ言っても、心配らしくて」
澱みない、穏やかな答えを聞き流し、女は周りの仲間たちを見回した。
「……さっき、お前たち、何をこそこそとしていたんだ? 葵が立ち聞きしていたら不味い、どんな話をしてた?」
答える弟やジュリ達は、全く変わらないが、メルの顔色が変わった。
他の者たちも正直者が多く、見据えた女の目から顔を逸らす。
「何だよ、聞かれてちゃ、困る話をしてたから、葵を口封じしようとしてたのか、あんたら」
だから、言い訳を信じて、逃がす訳にもいかないと、セイは動いたのだろう。
蓮が呆れて首を振る中、ランは無言で仲間たちが答えるのを待った。
やがて、溜息を吐いて口を開いたのは、ジュリだった。
「……もう、ロンも戻って来るから、あなたにも話すわ。今、あの人、変なものに捕まっているらしいの」
「変なもの?」
おっとりと説明するジュリの話は、とても落ち着いて聞けるものではないが、オキがそこに行っていると言う事と、少しずつ綻びを作れそうだと言う話に、胸をなでおろす。
「明日の夕方までには、きっとここに戻ってくるはず」
「そうか」
ランは得心がいって頷いたものの、妙にはっきりとした約束をしたもんだと、首を傾げた。
それに答えたのも、ジュリだった。
「だって、セイが明日の朝、あそこに向かうって、言い出すんですもの。それを止めるには、時を決めて約束しない事には、どうしようもないでしょ?」
「……」
「本当に出て来れるかは、あの人の腕次第、ですけどね」
エンが言って、早々に話を収めにかかる。
ランも頷き、それに乗った。
「そうだな。ま、それだけの間があれば、大丈夫だろ」
そして笑顔を浮かべ、仲間たちに呼び掛けた。
「済まなかったな、変な事を訊いてしまって。さ、飲もう」
その明るい声にほっとした仲間たちは、すぐに騒ぎ始める。
その様子を見届けてから、ランは改めてエン達を見返す。
その顔は、真顔だ。
「……セイは、まだ葵と一緒だよな?」
「そのはずです。酒に弱い人じゃないようなので、一晩中、捕まっているかも知れないです」
「……そうか」
頷きつつも立ち上がり、念のためにと葵に貸した部屋に向かう。
戸惑って後に続くエンと、そっと部屋の中を伺うと、意外に早く潰れて眠る葵の姿があり、その傍で正座で茶を啜る、若者の姿も見えた。
「本物、だよな」
「本物だ、間違いねえ」
呟いた声に答えたのは、いつの間にか背後に来ていた蓮だ。
危うく、声を上げそうになりながらも、ランは身を竦めて振り返る。
「な、何だ、まだゆっくりしとけよ」
小声での呼びかけに答えず、蓮は部屋の中の二人の様子を見る。
「飲む量が、多かったんだな。いつもは、程々を心掛けてるはずなのに、あのガキ、それを忘れさせちまったか」
大したもんだと、若者は小さく笑い、ランを見た。
「あいつ、無茶をやらかす奴なのか?」
「いや。そうじゃないが……」
「だろうな。あんたの方が、無茶やらかしそうな、顔になってんぞ」
その返しに内心、ぎくりとしながら、ランは笑った。
「別に、無茶はしない。頭領が動くまでもない事を代わってやるのも、補佐の仕事の内だろ?」
後ろで天井を仰ぐエンの傍で、蓮が再び笑った。
いつもの、不敵な笑みだ。
はったりの為に、自然と身についたと言うその笑顔は、ランの痛い所をつくときによく浮かぶ。
「無茶だろうが。今の自分が、そんな無茶できねえ体だって、忘れてんだろ」
「ん? 何のこ……」
言いかけて思い出し、咳払いをして頷いた。
「そ、そうだったな。お前の子供を、流すわけには、いかないな」
「……」
怪しまれている気配が、ひしひしと感じられる中、ランはわざとらしく手を打った。
「そ、そうだ。蓮、お前が代わりに、行ってみてくれよ」
「本当に、行く気だったのかよ。仕方ねえ奴だな」
まだ疑っているが、呆れの方がそれに勝った。
溜息を吐いて頷いた。
「分かった。だが、さっきの話聞いてると、オレじゃあ分が悪いぜ」
「そんなことはないさ、お前のその勘の良さ、かなり役に立つ」
ランは言いながら、先程の部屋に戻っていく。
「あの類の籠は、縄のように形が変えられるものもあるが、固さに重きを置くとすれば、網のような形に整える。そのどちらでも、作り方は同じだ」
作りたい場を中心に、その四方に
「その呪いものの強さ次第で、結界ってのは強さが変わる。だが、大概のそれは、呪いをかけた後は放って置かれる」
それは、誰かがその呪いの元を動かさなければ、解けないのが常だからだ。
「呪いの元は、紙切れ一枚の時もあれば、石やしめ縄のようなものの時もある。そういうものはな、楽に動かせるが、逆に気にならなければ、誰も触らない」
「だろうな。何か、経じみたものが書かれているなら、話は別だが」
目新しいものが多いこの辺りなら、尚更気にしないだろう。
ランは、真顔で続けた。
「だが、お前ならば、ありきたりの石や縄に見えても、呪い付きなら分かるだろ?」
「見つけたからって、触れるかは、分からねえぞ」
返した蓮も、真顔で言った。
「そういう呪いは、傍に囮がある。それこそ、大仰な経が書かれた札や、しめ縄の類で、それを触り動かしたら、軽い脅しの類が、仕掛けられてることが多い。それですら、オレは引っ掛かっちまうんだぞ。本物の結界の元の呪いなんざ、触りたくねえよ」
「引っかかるって、あの手の呪いは、触った者が正気を失うものが、多かったはずだが」
何かが縛られて、もしくは捕まえられている場を守る封印に触れると、封印されていた者に乗り移られる、という触れ込みだ。
そんなものに、一々引っ掛かっていては、命がいくつあっても足りない。
「まあ、オレだからこそ、この通り元気なんだろ。真似すんじゃねえぞ」
不敵に笑いながら返す若者に、ランは誰が真似るかと毒づき、戻った部屋の中を見回した。
この旅籠の中では大部屋の方だが、酒や料理にありつきながら騒ぐ、仲間たちの体が大きなせいで、手狭な感じがする。
これでも、この度の渡来は小さい者が多い。
「作る方も、手の込んだ仕掛けをしてるんだから、触る方も手間暇かけないとな。お前は、探すだけでいい」
「?」
「ジュラ、ゼツ。暴れるのは控えてもらうが、行ってもらえるか?」
呼びかけられて振り返ったのは、白髪の男と、銀髪の大男だ。
「まあ、そう言う約束だもんな」
ジュラが仕方なさそうに言い、ゼツが無言で頷く。
二人に頷き、ランは蓮に言った。
「見つけたら、こいつら二人に、教えてやってくれ。後は、オキとロンとこいつらに任せて、戻って来てくれればいい」
「そんだけで、大丈夫なのかよ?」
「四人で四方の呪いに、同時に触る。これが一番楽な解き方なんだとさ。親父が言ってた」
本当にそれで、大丈夫かは知らないが、ランは父親を信じていた。
「その内一人は、捕らわれてんのにか。しかも、猫まで頭数に入れてんのか」
対する蓮も、カスミの教えに異を唱えない。
「呪い慣れしているので、何とかなると思います」
固い顔のままゼツがいい、ジュラも笑いながら言った。
「ま、これで駄目だったら、本当にセイの力に頼るしかない」
「それは、させたくない。分かってくれるよな、ジュラ?」
女の呼びかけに頷き、ジュラが返した。
「オレたちに、楽をさせ過ぎるんだ、あの頭は」
そのしわ寄せは、自分に来ると言うのに。
「張り切っているわけでは、無いはずなんですけどね」
眉を少し寄せながら、エンも頷く。
「ま、やれるだけやってみてくれ。いよいよ駄目なら、オキを戻してくれ」
「分かった」
「はい」
頷いた仲間二人から、ランは蓮に向き直った。
「まだ客分なのに、使ってすまないとは思うが……」
「構わねえよ。それに、任せろとは言えねえぞ。モノがモノだからな」
「ああ。気を付けて行け」
女は弟と共に、三人を送り出した。
夜が、刻々と更けていく。
約束は約束、セイはそんな考えで、葵がいる部屋で正座したまま、夜を過ごした。
葵本人は、朝まで目を覚まさなかったが、朝、座ったままうたた寝するセイを見つけ、二日酔いが吹っ飛んだ。
「こ、こらっ。寝るなら、ちゃんと寝床で寝ろっっ」
自分は、ごろ寝だったのによく言うと、呆れ顔のセイと共に部屋を出、酒盛りしていた面々がいる部屋へと向かった。
「おはようございます」
まずエンが葵に気付き、丁寧に挨拶してからセイに笑いかける。
「ご苦労さん」
「ああ、おはよう」
欠伸をかみ殺しながら返し、セイは空いた場所に葵と並んで座った。
見るともなしに周りを見回し、気づく。
「ジュラとゼツは?」
「ちょっと、出てる」
ランに尋ねるとすぐに返事があったが、何やら落ち着きがない。
「? どうした?」
「何でもない」
何でもない顔ではないのに、女は首を振り立ち上がる。
「オレは、少し休む」
「いやその前に、蓮は? この人は、どうするんだ?」
自然な問いかけに、ランは肩越しに振り返って答えた。
「蓮は今、出てる。戻って来たら、知らせるから」
「……」
それまで面倒を見ろと言うのかと、顔を顰める若者に構わず、ランは部屋を出て行く。
「具合でも悪いのか、ランの奴?」
朝飯にありついている葵が、食べる合間に呟くが、セイは黙ったままランを見送った。
朝食を終え、葵の相手をエンに任せると、セイは自分にあてがわれている部屋に戻る。
襖を閉め、その場に座り込んだ。
廊下を伺いながら胡坐をかき、ゆっくりと目を閉じる。
うたた寝の時と、座り方が違うだけで、傍目では眠っているように見えるが、ロンの元に行かせたままの、オキの気配を追っていた。
あの分なら、朝までに綻びを大きく開けて、ロンも脱出しているはずだと思ったのだが……。
オキの気配が、妙に乱れている。
「……どうした?」
「すまん、不味い事になった」
昨日は、そんな切羽詰まったものになりようがなかっただけに、セイは思わず目を開いた。
「不味いって、どういうことだ?」
つい、声に出して訊いてしまい、慌てて廊下を伺う。
誰かが気づいて来る様子は、ない。
ほっとする若者に、オキの固い声が答えた。
「馬鹿共が、結界の元を剥がした。しかも、囮ではない方を。お蔭で、結界は破れたが、ロンが……完全に、ぶっ倒れた」
「……よく破れたな」
あの手の結界は、四方にある鍵のようなものを、同時に開けなければ、壊せない。
そんな物に触ろうとする者が、四人もいるとは、よっぽど目を引くものだったのだろう。
「その内の一人は、ロン本人だ」
「……何で?」
話が見えず、問い返す若者に、オキは答えた。
「さっき、ジュラとゼツが来た」
「……」
「四方の鍵を、壊すと言って来た。手が通せるくらいにまで、綻びは広がってたから、よせと言ったんだが、早く出たかったんだろう、ロンがオレの代わりに、鍵の一つに手をかけた」
目を見開いたままのセイに、歯軋りしながら黒猫は言った。
「ジュラとゼツと、繋ぎが取れない。ロンは、見つけた時から、弱っていたから倒れてしまったが。どうする? あいつら、何しでかすか、分からんぞ」
「すぐに行く」
言いながら、セイは立ち上がっていた。
この国で、目立つ動きはしないつもりだった。
あの二人に動かれると、目立つどころか、騒ぎになってしまう。
幸い、今は誰も、自分を気にしていない。
セイは、息を殺して旅籠を出、外へと走り出した。
蓮は、そこにいた黒猫とも、顔馴染みだったのだが、良くは知らなかった。
まさか、喋れる猫だったとは、しかも、頑固だったとは、思いもしなかった。
「ふざけるな、ランごときに言われたからと、やり方を変えられるかっ」
「お前な、頭をここに来させたくは、ないだろう?」
「当たり前だっ。だからこそ、こうして力を尽くしてるんだっ」
ジュラは、辛抱強くオキの説得をしている。
「なら、一気に結界を解いてしまった方が、早く済むだろう?」
「お前な、そのやり方は何より、捕らわれている者に、力がかかると、知らんわけではないだろう?」
「大丈夫ですよ、ロンはそのくらい、耐えますよ」
銀髪の大男が軽く言い、結界の中のロンを見た。
空を仰いで考えるその顔は、少しやつれている。
「まあ、そちらの方が、早いのは早いけど……大丈夫? ランちゃんが聞いたカスミちゃんの話、ちょっと話し方が、足りないんだけど」
「……?」
「どういうことですか?」
ゼツが首を傾げ、ジュラが眉を寄せる所をみると、知らないようだ。
だから、蓮が口を開く。
「囮で人の正気を奪い、暴れさせる呪いをかけるような奴が封じた者が、本当に悪人なのかって、話だろ?」
「そう言う事。ここも、ちょっと変よ。こうして話してるだけで、本当に体がだるいのよ。もしかしたら、質の悪い術師が、手っ取り早く、式神を捕まえようとしているのかも、知れないわ」
捕らえられる前、気配が全くなかったのも気になるが、そちらの方がありうると、ロンは言う。
「大体、質の悪い何かを封じる僧侶なら、目立つ呪いは置かん。人を襲うようなものは、尚更」
オキが言い、すぐ傍にある呪いものを見下ろした。
「見るだけで、分かる者には分かる程、質の悪い呪いを、敢て触ることは、ない」
きっぱりと言われ、二人が唸る。
「セイが気がかりなのだろうが、客を置いて約束の刻限より早く来ることは、しないだろう。だから、お前たちは戻れ。本当にもう少しで、綻びを広げられる」
「客? 何のこと?」
初耳のロンが聞きとがめ、仲間三人から交互に話を聞いて、眉を寄せた。
「男の部屋に、一晩いる約束をした、ですってっ?」
「いや、そういう話じゃあ……」
話し方がおかしかったか? と慌てて首を振るオキを遮り、ロンはきっぱりと言った。
「早く出るわよっ。あの子を、汚らわしい男に、触れさせてなるものですかっ」
「汚らわしい? あんた、葵には会ったことあんだろうが。あれほど素直な男は、いねえぞ」
素直過ぎて、鬱陶しいこともあるが、蓮はそう男を窘めた。
「それに、この手のもんを破るとなると、四人揃ってねえといけないんだろうが。この猫が使えねえのに、どう早く出るってんだ? 言っとくが、オレはやらねえぞ」
後のことが予想できる事には、手出しする気はない。
きっぱり言い切る若者に、ロンもきっぱりと言った。
「いないなら、探して揃えるだけよ」
「んな、無茶な」
呆れる蓮の前で、男は二人の若い男に言い含めている。
どうやら、通りがかりの誰かに、頼んで四人揃える気のようだ。
二人の男が頷いて動くのを見て、若者は首を振った。
「赤の他人なら、呪いで狂おうが、構わねえってか?」
「お前さんは、気にせず戻れ。無駄だと分かれば、あいつらも諦めるだろ」
意外に冷静に言う、黒猫を見下ろして頷き、蓮は元来た道を、戻り始めたのだが……。
「……おい」
感じた事のある気配に、振り返った。
思わず声をかけた先で、オキが倒れるロンを見ている。
「……奇特な奴が、いたようだな」
呟き、空を仰いだ。
「ジュラから、返事がない。全く、世話が焼ける人間どもだなっ」
舌打ちし、オキはすぐさま、セイと繋ぎを取ろうとするのを見て、蓮も動く。
「オレが行く。セイと繋ぎが取れたら、その人を迎えに来るように言え」
返事を待たずに、若者は身軽に走り出した。
それ程間を空けず、結界は破られた。
狭いものだったのなら、二人は近くにいる。
通りがかって手伝った者は、あの二人ほど厄介な狂い方はしないはずだから、後回しにすることにして、まずは夜目にも目立つ二人を探した。
一人目はすぐに見つかった。
夜空を仰いだまま固まっている、銀髪の大男を、蓮は容赦なく殴りつけた。
大きな体が吹っ飛ぶ勢いで、地面に転がる。
「目は、覚めたか?」
身を起こしたゼツが、何事かと細い目を見開いて、若者を見上げた。
「……寝てましたか?」
「ああ、寝てたな。もう一人は、どこだ?」
まだ目を見開いたまま、男は気の抜けた声で答えた。
「……あそこで、何故か刀を構えてます。どうしたんでしょうか?」
「……何が、呪いもんには慣れてる、だ? オレとそれほど、変わらねえじゃねえかっ」
まだ、目が覚め切っていないゼツに怒鳴りながら、襲い掛かって来るジュラの刃から身を避け、隙をついてその鳩尾に、拳を叩きこむ。
「ああ、悪い。手加減、忘れちまってた」
「れ、蓮……お前なあ……」
ジュラが、咳込みながら、涙目で若者を見上げた。
「このまま暴れて、この国に来づらくなっても、良かったのかよ? あんたも、この国の出なんだろ?」
「その通りだが、もう少し優しく、起こしてくれよ。夕べ食ったものが、全部出て来るかと思ったぞ」
「内腑じゃねえんだから、いいじゃねえか」
気遣いの欠片もない返事をし、蓮は二人を促した。
「あんたらは、もう帰れ。このまま夜が明けたら、流石に目立つ色だ」
「お前は?」
「あんたらが巻き込んだ人を、起こしてからすぐ戻る」
言いながら、若者は走って行く。
それを見送り、ゼツが目を瞬いた。
「巻き込んだ? 何の話でしょうか?」
「そういや、結界が破れたな。まだ、向かってる途中だったのに」
二人連れ立って、そこに向かっている途中で、結界が破られた。
何が起こったか気づく前に、二人はその破られたあおりを食らったのだ。
「……変だな、オキと繋ぎが、取れない」
今の事態を知らせようと、オキとの会話を試みたジュラが、固い声で呟いた。
無表情に息を呑み、ゼツが眉を寄せる。
「もしかして、別な呪いが?」
「まずいな。オレたちまで、捕まったようだ」
二人は顔を見合わせ、同時に夜空を見上げた。
星は煌めき、月は細い。
つまり、夜はまだ、明けないのだった。
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