第35話 死線
「兄さま。赤い線とは?」
「極みの型とでも言えばいいのかな。剣技には第十まで技があるんだけど、最初の技が流し斬りなんだ」
「第一の理とおっしゃっておりました」
「うん。流し斬りは剣の理において、もっとも習得が容易く、基本中の基本になっている。第一の理から順に剣技を習得していくのが常なんだよ」
「理解いたしました。兄さまは修行するならば基本から、を実践されたのですね」
「その通りなんだけど、だだひたすらに流し斬りを繰り返していたら、ある日、変わったんだ」
「それが赤い線なのですか?」
「うん。俺がこれまで幾度となく振るっていた流し斬りは、本当の意味で流し斬りじゃあなかった。見えたんだ。赤い線が。ここを斬れと言わんばかりに」
そう。見えたんだ。
いつものように基本である流し斬りを放っていたら、唐突に目に浮かんだ赤い線。
導かれるように赤い線に沿って剣を添えると、世界が変わった。
驚くほど自然な動作で、これまでにない速度で流し斬りが決まる。
その時俺は、「流し斬りが」完全に入ったと確信した。
『講釈はもうよいか? 赤い線……某は死線と呼んでいるが、死線は不死者だろうが不定形生物だろうが、何でも斬る。魂というべきものか、存在というべきものか分からぬが、ただ肉を斬るわけではない』
待ちくたびれた様子のセキシュウサイが木の棒で肩を叩き、あくびを押し殺したように首を回す。
あの棒がただの棒でないことは、先ほど奴が見せた通りだ。棒は仕込み刀になっていて、必殺の居合を放つことに特化している。
「赤い線……対象の存在そのものを斬る技と捉えればよいのでしょうか? 地ずり斬月で滅ぼせなかったパロキシマスもそれで」
「そんなところだな」
セキシュウサイの焦れた様子など意にも介せず、サーヤは自分の考えをまとめるかのように俺に問いかけてきた。
対する俺は彼女に向け静かに頷きを返す。
『随分と余裕ではないか。某はお主と同じ高さにまで昇ったのだぞ。此度はそうやすやすと敗れはせぬ』
「例え赤い線が見えようと、『斬らなければ』効果を発揮しないのでしょう? 兄さまには私がいます」
確かにサーヤの言う通りだ。
青の障壁のような欠点はあるにしろ、完全に打撃を無効化されてしまうと剣が通らない。
赤い線はあくまで道しるべであり、実際に斬らねば対象は無傷のままであることは当たり前の事実である。
だが、魔法も絶対ではない。
完全防御であったり、無効化であったり、と強力な効果を発揮する魔法には必ず何か綻びがある。
青の障壁の場合は、一度きりしか効果を発揮しないうえに軽い衝撃でも魔法が解けてしまうといった風に。
だから俺は――。
「サーヤ。こんな時に身勝手で、無理な願いだとは分かっている。だけど……」
「……やはり、兄さまは。いえ。兄さまのことです。単に死合ってみたいというわけではないのですよね」
「うん」
「ですが、絶対に絶対に」
「分かっている。俺とサーヤは二人で一人だろ。だから」
「はい!」
華が咲くような笑顔を浮かべ、サーヤは俺の右手を両手で握りしめる。
彼女からそっと手を離した俺は、真っ直ぐにセキシュウサイを睨みつけた。
『お主なら必ず一人で向かってくると確信していた。さあ、心行くまで死合おうじゃないか』
「望むところだ。その前に一つ教えてくれ」
『対価か。よかろう。某が知っていることなら語ろうではないか』
「セキシュウサイ。いや、お前だけじゃなく、パロキシマスも真祖も、確かに滅ぼしたはず。何故復活できたんだ?」
『薄々お主も感づいておろう。グジンシーの
「ソウルスティールの応用か。魂を再び、肉体に戻したのだな」
『そのようなものだ。復活までに少々時間がかかるのが難点ではあるがな。復活の対価としてグジンシーと盟約を結んだというわけだ。これで良いか?』
「スッキリしたよ。やろうか」
勝負は一瞬で終わる。
俺が斬られるか、セキシュウサイを斬り伏せるか。
赤い線が見える者同士の戦いは、先に斬った方が勝つ。二度目はない必殺の剣だからな。
赤い線を斬れば、確実に息の根を止めることができるのだから。
……待てよ。
いや、今は雑念を捨てろ。
目の前の敵に意識を全て向けなければ、命はない。
サーヤと約束しただろ、俺。だから、俺はここで死ぬわけにはいかない!
俺ならばやれる。
奴を……斬る!
『ダイダロス。いざ尋常に』
「俺はヴィクトール。ダイダロスではない、ヴィクトールだ!」
『お主の誇り。確かに受け取った。ヴィクトール! セキシュウサイ、全身全霊を持って参る!』
「行くぞ、セキシュウサイ」
薄紫の刀身を持つ刀――月下美人を下段に構えたまま駆け出す。
対するセキシュウサイは棒の柄に右手を添えたまま不動。
だが、必ず奴は先に攻撃してくる。何故なら、俺は直接刃を当てなければならないのに対し、「抜刀つばめ返し」は斬撃を飛ばす技だ。
お互いに「赤い線」が見える状況ならば、先に攻撃を当てた方が勝つのは道理である。
普通に考えれば、技の差により俺が絶対的に不利なことは明らか。
そこが分かっていたからこそ、サーヤも二人で戦うことを想定していたのだろう。
だが、ここを乗り切ることで俺は何かが見える気がしたんだ。
なあに、相手の出方は分かっている。やれるかではなく、やるんだ!
彼我の距離は30メートルから20メートル、更に5メートル進んだところでついにセキシュウサイが動く。
『奥義 抜刀つばめ返し……』
仕込み刀が閃き、地面から砂を巻き上げながら斬撃が飛ぶ。
ゾクリ……。
こ、この感覚。
濃厚な死の気配とでも言えばいいのか。ああ、俺はこのまま死ぬんだと不思議と納得できるような。
諦めの境地が先にくるような感覚。
これが、赤い線に囚われるということか!
だが!
見えた! 赤い線が。
斬撃に目を凝らし、構えた刀を下段から上段に振るう。
「剣技 第一の理 流し斬り!」
斬撃に奔った赤い線に刀を添えると、音も立てずに消滅する。
『な……』
「不可思議なことじゃあない。赤い線とは『存在を消す』。ならば、攻撃を消滅させることだってできる」
そう言いながらも足を止めず、ついにセキシュウサイに刀が届く距離まで迫った。
『ならば再び斬ればよい。剣技 第八の理 つばめ返し!』
「剣技 第一の理 流し斬り!」
奴の狙いは俺自身か。
先ほどと同じ死の気配が俺を襲う。
つばめは二度鳴く。一の太刀を躱しても、弧を描いた剣筋が再び舞い、二の太刀がすぐに飛んで来るのだ。
……と通常ならば一撃目で相手の態勢を崩し、二撃目で仕留め切る技なのだが、赤い線があるとなるとまるで話は違ってくる。
少しでも掠ったら最後、そもそも赤い線がある限り回避は不可能なのだ。
赤い線とはそういうもの。
だが、問題ない。
もちろん、こいつと心中する気もない!
月下美人が狙う先は仕込み刀だ。
「完全に……入った」
仕込み刀がバラバラになって崩れ落ちる。
対する俺と月下美人は無傷。
『剣を狙うとは……』
「お前も知っていただろう? 赤い線から逃れるためには攻撃を完全に無効化するしかないって。斬撃でも見せた。予想できないわけじゃあないだろ」
『ふ……まだ足りなかったか。某には剣に奔る死線は見えぬ。此度も足りなかったが、生きてきた中で最も充実した死合だった』
「さらばだ。セキシュウサイ。剣技 第一の理 流し斬り」
『見事なり。ヴィクトール!』
三度目の流し斬りはセキシュウサイを二つに裂く。
ずるりと崩れ落ちる彼に背を向け、月下美人を鞘に納める俺であった。
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