第30話 サーヤの覚醒

「う……」


 サーヤを背負い、倒れそうになりながらも地上まで出てきた。

 そこで待っていたミネルヴァに彼女を託した後、意識が遠くなったんだ。

 パチリと目を開けたら、ふわりといい香りが漂ったかと思うと柔らかな暖かい感触が俺を包み込む。


「サーヤ」

「兄さま!」

「傷を癒してくれたのか」

「はい! ですが、兄さまが中々目覚めず、心配しておりました!」

「魔力切れもあったから、また二日とか眠ったままだったのかな?」

「一日と半分です。シーツは二回取り換えさせていただきました」


 涙目で寝たままの俺をシーツ越しに抱きしめたサーヤ。

 体に痛みは残っていない。長期の睡眠があり魔力も完全に回復している。

 彼女の背に腕を回し、頭をあげた。

 やんわりと彼女から体を離して、首や腕を回す。うん、大丈夫そうだ。

 

「服までかえてくれたのか。体も拭いて?」

「は、はい……失礼かと思ったのですが……兄さまの装備は腐食で溶けていましたので」

「悪臭漂っていただろうに。何もサーヤがやらずとも」

「わ、私がやりたかったのです! だって、兄さまが私を護ってくれたんだもん」

「ありがとう、サーヤ」


 彼女の頭を撫で改めて礼を述べる。

 しかし、二度もシーツを替えるとはよほどいやーな臭いを発していたのだろうか、俺。

 自分の腕を鼻に近寄せ、くんくんしたが特に変な臭いはしない。

 自分で気が付いていないだけかもしれないけど。


「兄さまが、ご自分の」

「あ、ごめんごめん。俺ってそんなにやばい臭いだったのかって、それを拭かせてしまってごめんな」

「い、いえ。そのようなことは、あ、安心できますし」

「え?」

「な、何でもないんです! 何事もなく目を覚まされて何よりです」


 ここまで動揺するほどやばかったってことか。いや、俺自身の肉体がアレだったわけじゃあないはず。

 パロキシスマスが悪いのだ。俺じゃあない。

 ぐううう。

 その時、間の悪い腹の虫が自己主張してきて、思わずサーヤと目を合わせて笑ってしまった。

 

 ◇◇◇

 

 俺が寝かされていたのはレイティン中央商店街の外れにある宿屋の二階部分だった。

 家主は既に他界していると聞いて暗い気持ちになってしまう。だけど、彼らの息子が生き残っていると聞いて少しだけ心が軽くなった。

 パロキシスマスの爪痕は街全域に及んでいるようで、半ばほどで朽ちた家屋、城壁、蝋を溶かしたように上部三分の二ほどを失ってしまった街の象徴である城……と痛々しい限りだ。

 それでも生き残った人はもう活動をはじめていた。

 通りにはまばらであるが、人が行きかい宿屋の窓から見える露天には野菜が並べられている。

 宿屋の一階はレストランになっていて、シェフはいないがサーヤがキッチンに入って食事を出してくれた。

 

「スープとパンにレタスだけですが」

「ずっと寝ていたからこれくらいが丁度いい」


 もしゃもしゃ、もぐもぐ。

 しばらく無言の時が続き、じっと俺を見つめたまま時折唇を震わせるサーヤにこちらから話かけることにした。

 

「サーヤ、聞いて欲しいことがあるんだ」

「兄さま、私、兄さまにお話したいことが」


 声が重なったことにお互いくすりとくる。


「俺から語ろうか」

「いえ、私のお話を聞いてくださってからの方が、と思います」


 意を決したようにキュッと顔を引き締めたサーヤは静かに語り始めた。

 

「正直に申し上げます。私は魔法が好きではありませんでした」

「そうだったのか。無理に魔法を使わせちゃっていたな」

「いえ、好きでなかったのは兄さまと修行をする前までです。何もない私でも魔法だけは使うことができる。だから、使えるものは使おうと」

「うん」


 サーヤは魔法を使うことに対し、ずっと違和感を覚えていたのだそうだ。

 努力しても努力しても魔法を使うことができない俺と真逆の悩みを。

 俺が魔法を使うことができないことはダイダロスの記憶が教えてくれた。なので、もう魔法に対する拘りもわだかまりもない。

 彼女は魔力さえあれば、文献で読んだだけでも高位魔法でさえ使いこなせてしまうのだそうだ。

 だから、短期間に第八階位まで使いこなせるようになった。

 異常なまでに魔法が使いこなせることを彼女は忌避していたという。それでも、俺のために彼女は魔法を習得し、使ってくれたんだ。

 

「パロキシスマスとの戦いの中で気を失いました。頭を強くぶつけて、そのことがきっかけで分かったのです」

「違和感の正体に?」

「はい。私は魔法を学んでいたのではなかったんです。最初から『使えた』んです。ただ私が使おうとしなかっただけで」

「……それって」

「兄さまと同じだったのです。私の魂にも前世の記憶が刻まれていたんです。兄さまと同じという点においてだけは喜ばしいことなのですが……」


 魔法は技術だ。知恵と経験によって魔法を使うことができる。

 なので、肉体に左右されることが無い。だから、魂に刻まれた彼女の記憶によって彼女は見たことのない魔法でも息を吸うように使うことができたってわけだ。

 前世の記憶を思い出すことは、そこまで忌避することなのだろうか。

 彼女はうつむき、涙を浮かべ指を震わせている。

 テーブルの上に乗せていた彼女の手をそっと自分の手で包み込む。

 はたとなった彼女は顔をあげ、訴えかけるように声を絞り出した。

 

「私はマグノリア・アーチボルトでした。彼女のグジンシーを倒したいという執念が、ダイダロスである兄さまの元に私を導いたのでしょう。同じ時期に魂が肉体に入ったのですから。マグノリアには運命を調整できる力があったのだと」

「アーチボルト。大魔導士アーチボルトか」

「はい。私が兄さまに惹かれたのも憧れたのも、ついて行きたいと思ったのも全て……」

「それは違う。サーヤ。出会ったのが宿命だったとしても、俺はマグノリアであれば一緒に行動したいなど思わなかった。俺がダイダロスのままであれば、孤高を貫いた。だけど、違うだろう、サーヤ。俺たちは」

「兄さま……ですが」

「サーヤは俺のことをダイダロスと呼ばないだろう。俺もサーヤのことをアーチボルトなんて呼ぶつもりはない。サーヤはサーヤ。ヴィクトールはヴィクトールだ。その想いは確かなものであり、決して宿命なんかじゃない」

「はい! やっぱり、兄さまは兄さまです!」


 ようやく笑顔を取り戻してくれたサーヤから手を離す。

 続いて、握りこぶしを作り彼女へ向けた。

 華奢な彼女の拳と俺の拳をコツンと打ち付けあい、お互いに微笑む。


「俺たちは俺たちだ。だけど、ダイダロスとアーチボルトの想いを受け継いでいる」

「はい。ダイダロス様の、彼女の意思を継ぐことと私が私であることは別のことです。もちろん、兄さまも」

「決着をつけよう。彼らの想いに」

「私たちなら必ずできます」


 グジンシーを討伐する――。

 俺とサーヤの言葉が重なった。

 

「すまん。誓った後でバツが悪いんだけど、剣がないんだ……こればっかりは」

「私の魔法で剣を精製することはできますが、一度振れば消えてしまいます。これでは長い戦闘に向きませんよね」

「スターバーストだったか。あれは凄まじい術だった。ここぞという時にお願いしたいと思っている」

「もちろんです! 兄さまのお役に立つことこそ、サーヤの望みです」


 スターバーストがあっても、攻撃を受け止めたらその時点で消えてしまうんだよな。

 武器、ソウルスティールと二つの課題をこなさねばならない。期限は限られているから、悠長にしている暇なんてないんだ。

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