第25話 腐海

「兄さまはご存知なのですか? パロキシスマス……でしたか?」

「多少は知っているよ。クレアさん、パロキシスマスのことと、現在の状況を教えてもらえますか?」


 サーヤの問いかけには情報を持っているだろう冒険者ギルドに聞いた方が早い。

 パロキシスマス復活と言っていたが、どの程度まで浸食しているかによって深刻度が変わってくるからな。

 

「パロキシスマスは三百年前に猛威を振るった四魔と呼ばれるモンスターの一角です。伝承にしか残っておりませんが、パロキシスマスの名の由来になった通り『腐食』を特徴としているとか。文献によりますと、腐魔城と呼ばれる悪夢のような陣地を構築し、その地はドロドロの腐臭漂う場所だったとか」

「……そ、そのようなモンスターがいるのですね……」


 絶句するサーヤはわなわなと唇を震わせる。

 一方で俺は心がすっと冷えていく。

 やはり、あいつか。俺の知るパロキシスマスで間違いないようだ。

 グジンシーや邪龍には及ばないが、実力が相当に高い。

 この二体を除くと人々にとって最も出会いたくないモンスタートップ2に位置付けられると俺は思っている。

 一体は不死王「真祖」。そしてもう一体は腐魔城のパロキシスマスだ。

 真祖は積極的に人を襲い、人々をヴァンパイアに変えて自分の僕としてしまう。ヴァンパイアは真祖の忠実な下僕で仲間を増やそうと人々を襲う。

 指数関数的に増えるヴァンパイアの群れはとても厄介だった。

 遠い記憶であるが、確かミネルヴァがヴァンパイアを仕留めている間に俺が真祖を斬ったのだったか。

 そしてもう一方のパロキシスマスだが――。

 

「クレアさん、陣地はもう形成され始めているのでしょうか?」

「詳しくは……レイティンから連絡が入ったのですが……途切てしまい」

「場所はレイティン領の領都レイティンですか?」

「はい。昨夜突如異臭がして……とのことでした」


 完全に滅ぼしたと思ったのだが、復活するとは。

 いや、パロキシスマスが何も一体だけしかいない固有の存在であるとは限らない。

 モンスターがどうやって発生するかなんて、俺は知らないのだから。

 一つだけ言えることは、「斬る」。ただそれだけだ。

 クレアは蒼白な顔になって、そのまま言葉を続ける。


「まだ敵の強さを推し量れておりません。ですが、災厄クラスだと収まらないことは確かです。オリハルコン、ミスリル冒険者に総動員をかけて……」

「依頼を。俺に依頼を下さい」

「いくらプラチナクラスといっても、おいそれと命を捨ててくださいなんて言えません! 相手の強さがまだ分からないのですよ」

「行ってみないことには、敵の強さなんて分かりませんよ。レイティンにいる冒険者も奮闘しているのでしょう?」

「そ、そうであってほしい、です。姉さん」

「身内がレイティンにいるんですか?」

「……ひ、秘密です。私は冒険者ギルドのスタッフです。責務は責務としてこなします」


 目に涙をためたクレアが気丈にも言い切るが、指先が震え明らかに憔悴した様子だった。

 そうか。別に依頼なんて受けなくてもレイティンに行くことはできる。

 冒険者となったから、依頼をという意識に囚われていたが、ヴィクトールはヴィクトール。自分の行動を制限する必要なんてどこにもない。

 

「サーヤ。行こう」

「はい!」


 ガタリと二人揃って立ち上がり、クレアに会釈を行う。

 彼女は口を震わせたままうつむき、必死に何かに耐えているようだった。

 

 長剣を背中に担ぎ、くるりと踵を返す。

 

「ぜ、絶対に、生きて戻ってください……」


 後ろから聞こえる彼女の弱々しい声に対し、大きく右手をあげ応じる。

 

 ◇◇◇

 

 ノイラートの郊外まで出てきた俺たちは、ミネルヴァと連絡を取ることにした。

 徒歩で行くには時間が惜しい。転移魔法ならば一瞬だ。

 

「はい。分かりました。このままここでお待ちいたします」


 ぶつぶつと独り言のように呟くサーヤだったが、これはミネルヴァと遠話の魔法で会話しているためである。

 会話が終わった彼女はこちらに顔を向け、笑顔を見せた。

 

「来てくださるそうです」

「ありがとう。待つ間にパロキシスマスのことについて、俺が知っている限りのことを伝えておこうと思う」

「はい。是非お願いいたします!」

「パロキシスマスの大きな特徴は自分の聖域……陣地をどんどん広げていくことなんだ。今まで俺たちが戦ってきたモンスターと根本的に発想が異なる」

「モンスターの街を造る領主モンスターみたいなイメージでしょうか」

「そんな穏やかなものではないかな」


 地の底から出現したパロキシスマスは自分の通り道となった地下部分を溶かし、広大な洞窟を形作る。

 洞窟の中は独特のヘドロのような腐臭を放つコケや毒々しい色をした液体がそこらかしこに存在する悪夢のような場所だ。

 そこが腐魔城と呼ばれる部分になるのだが、腐魔城を形成した後、パロキシスマスは地上部に勢力を広げようとする。

 外に街があれば、街を飲み込み辺り一帯は腐海と化してしまう。

 その中にいた生物はパロキシスマスが発する魔力と腐魔によってモンスター化する。

 モンスター化した生物はパロキシスマスに従属する存在となるが、ほぼ全て知性が低く統制されているようには見えなかった。

 だが、外敵が侵入したら積極的に排除しようと襲い掛かってきたと記憶している。

 放置すると、どこまで腐海が広がるのかは不明。広げさせたくもないからな。

 

「お、怖気が止まりません。そんな土地を私たちが歩くことはできるのでしょうか」

「サーヤなら水魔法で自分を覆えば大丈夫さ。俺は生身でも平気だ」

「平気が理由になっていません。兄さまにも水魔法をかけさせていただきます!」

「ありがとう」


 お礼と共に精一杯の柔らかな顔で彼女の頭を撫でる。

 安心させるように落ち着かせるように。

 そうしていると、彼女だけではなく自分も焦れる心が落ち着いてきてふつふつと静かに揺らぐ闘志だけが心に残った。

 

 わざわざ不安要素を彼女に伝えるか迷うが、黙っておくことにしよう。

 せっかく彼女が落ち着いてくれたのだから。

 不安要素は単純明快だ。

 それは、俺の武器である。

 デュラハンの剣は頑丈なだけでただの鉄だ。なので、腐食性の体を斬ると溶けてしまうかもしれない。

 炎の魔力が込められたファイアルビーの剣をとまでは言わないけど、せめて耐性のあるミスリル……できればオリハルコンかヒヒイロカネの刀が欲しい。

 用意している時間もない上に素材も持っていないから、今はこれで突入する以外の選択肢は存在しないのだ。

 腹を括ってこの長剣と共に駆け抜ける。

 

 様子を確かめておくか。

 刃こぼれが目立つ長剣を抜き放ち、構えてみる。

 ちょうどその時、ミネルヴァが姿を現したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る