第11話 プロローグの終わり
11-1 戦いの後で
◆
シナークはなかなか目覚めなかった。
屋敷の一部は完全に倒壊しているか、倒壊寸前で、立ち入り禁止である。ただ、まさかここまで建築業者を呼ぶわけもいかないので、式神たちが瓦礫の撤去と屋敷の再建を始めていた。
無事だった部屋、少し前にカリニアとミーシャが泊まった部屋に、シナークを運んで、ベッドに横たえた。呼吸は安定している。
実は、ラミアス先生にシナークの魔術構造式を刻み直す手術を頼んだ時、一つ、余計なことを付け足していた。
それは瞬間的に負傷が治癒する、一度きりの仕掛けなんだけど、保険の中の保険だった。
保険のはずなんだけど、どうやらシナークはそれが発動する事態に陥ったらしい。
魔術結晶はほとんど空で、今回は魔術構造式が稼働を停止していた。
襲撃事件から三日ほどが過ぎた日、ふらっとお父さんが帰ってきた。
「こいつはまた、派手にやっているね、火花」
そういうお父さんに、なんとか言い訳しようとしたけれど、気にしないでいいよ、と笑われた。
「お父さんも若い頃はいろいろあったよ。建物の一つや二つ、潰すのなんて日常茶飯事だ」
……そういうレベルでもないようだけど。
そのお父さんは荷物の中からワインを取り出し、その希少性と価値を私に説明してから、地下へ降りて行った。
それを追おうとしたら、今度はやはりふらっとお母さんも戻ってきた。
「我が家とは思えない荒れ具合ね」
そんな感想だった。言い訳しようとする私に、構わない、構わない、というのはお父さんと一緒。
「私なんて実家を五回くらい建て直させているからね。魔術師ってそんなもんよ」
……絶対に何か間違っている。
そこへ地下からお父さんが戻ってきて、ワインが一本、なくなっていると言い出した。自然とお母さんが「私は飲んでないからね」と応じているが、お父さんは遠回りしながら追及している。
もちろん、そのなくなったワインは私がラミアス先生に渡したわけだけど、今、屋敷がこんな具合で、余計なことを言うべきじゃないだろうなぁ。
結局、お父さんは追及を諦めて、食事にしょう、と食堂へ向かった。
瓦礫を踏み越えて食堂に揃って向かい、エマが料理を用意してくれる。部屋の外では重機が動く音が鳴り響いている。重機だけは魔術師仲間から借りているのだった。
食事の席で、お母さんは南米の密林の探検話をしたけど、何回もシナークの仲間の名前が出た。根性がある、とか、見込みがある、とか、そんな表現だ。
お父さんはまだ古代文明の遺跡を調査していて、何度も魔術によるトラップにはまりかけて、大変らしい。
「そういえばね」
急にお父さんがこちらをまっすぐに見た。
「例の彼、シナークくんだけど、誰が名前をつけたか、知っている?」
「え? さあ、誰かな、知らないけど。それがどうかした?」
大量の料理を片付けつつ、訊ね返すと、これはたぶん正解だけど、と前置きして、お父さんが言った。
「中東の古代文明で、英雄に味方したドラゴンの伝承があって、これに関する石碑が、いくつかの都市で見つかっている。まだ解読が不完全でストーリーは曖昧だけど、そのドラゴンの名前こそが、シナーク、なんだ」
えっと、どういうことだろう?
「つまりね、火花」
お父さんが微笑む。
「あの少年に名前をつけた人は、相当に教養がある、ってことさ。そしてドラゴンの名前をつけるほどに、彼を大事にしている」
……仲間は、家族、なのかもな。
食事が再開され、賑やかな夕食が終わり、お茶を飲みながらも話し続け、お母さんはウイスキーを飲み始めた。お父さんにも勧めるけど、お父さんはあまりアルコールが好きではない。お母さんが知らないわけがないけど、グイグイ杯を押し付けて、お父さんは抵抗を諦めて、飲み始めた。
これからは、あまりにも見苦しい展開になるので、さっさと私は部屋を出た。
一度、シナークが寝ている部屋に行くが、弱い明かりの中で、彼はまだ眠り続けていた。
そっと額に手を置いてみると、確かな熱と、魔力の気配がある。
大丈夫、回復する。
そっと部屋を出ると、そこで待ち構えているのは、意外なことにハルハロンだった。
「珍しいね、ハルハロン。どうしたの?」
「あの小僧を守り切れなかった。それを謝罪したい」
この守護霊体は、変に律儀だ。
「気にしないで。誰にも不可能はある」
「俺は……」
ぐっと守護霊体は唇をかみしめている。
「俺は、失格だ」
「落ち着きなさい、ハルハロン」
彼の前に立ち、私は背の高い彼を見上げた。
「誰にも勝てない相手はいる。あなただって生きている時、その敗北を味わったはずでしょ? 伝説の勇者として、神をその身に宿したあなたも、最後には敗北した。違う?」
そうだ、とハルハロンが低い声で言う。
「なら、気にする必要はないわ。何が、そんなに気にかかる?」
「呪いを、破られた」
そういうことか。
「あなたに神を宿らせたことで生じた「万理掌握の呪い」の事を言っているのね? あの暗殺者は、それくらい強力だったのよ。あなたも腕を磨きなさい」
「次は、負けない」
そんな言葉を残して、霧のように守護霊体は消えていった。
やれやれ、気難しいこと。
私はお風呂でゆっくりしてから、部屋に戻った。
翌朝、食堂に行ってみると、びっくりすることに床に人が倒れている。駆け寄ろうとして、それがお父さんだと気付いた。ものすごくうなされて、悲鳴のようなものをあげるが、起きない。
その様子に呆れていると、食堂に入ってきたのはお母さんだ。
「早いわね、火花ちゃん。ああ、まったく、私の旦那は、なんでこう、貧弱なのかしら。エマ、片付けちゃって」
料理を配膳していたエマが「かしこまりました」と一礼し、力強くお父さんを背負うと、食堂を出て行った。あんなになるまで飲ませるって、貧弱どうこう以前の問題では?
「シナークくんはまだ寝てる?」
「これから様子を見てくるけど、エマが何も言わないってことは、寝てると思うよ」
「医者を呼ぶ?」
ダンクリンガーさんのことだろう。彼が不憫なので、大丈夫、と応じておく。
「それよりお母さん」
挨拶もせずに納豆を掻き混ぜ始めている相手を見る。
「この山の結界と、屋敷の結界が破られているけど、もっと強化できる?」
「あなたも鈍感ねぇ、私の娘とは思えないわ」
呆れていることを目一杯表現しつつ、お母さんは白米の上に雑に納豆をかけた。
「私も旦那も、結界が破綻したからここまで来たわけだけどね、なんですぐに駆けつけなかったと思っているの?」
それは、そうか、二人が結界の破綻に気づかないわけがない。
実はね、とお母さんが笑う。
「先にこの屋敷も山も、破られると同時に、無理やりに周囲から孤立させていたの。あなたたちが戦った相手は、本当なら脱出不可能なのよ」
「え? でも、転移魔術で逃げたじゃない」
「私の旦那の浅知恵でね、わざと逃がして、追跡しよう、っていうのよ。私はこのまま内と外で押し潰そうって思ったけど、そこはそれ、旦那の顔を立てて、従ったわけ」
それは、つまり……。
考えている私に、お母さんがウインクする。
「連中は今頃、魔術学会の追跡を受けて、追いまくられているかもね。そして、この山と屋敷は、前以上に安全ってわけ。オーケー?」
「お、オーケー」
やっぱり私の両親は、すごい人だ。
まだまだ私なんて、弱いな。
お茶の入った湯飲みを手にとって、一口すすると、いつも以上に苦い気がした。
(続く)
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