10-4 業火

     ◆


 倒れている俺の周囲で、見知らぬ魔力が渦巻いた。

 そこはさすがに、刃帝も距離を取る。

 魔力が一瞬で炎に変質し、その炎の中から飛び出してきたのは、火花だった。

「どうやら戻れたわね」

 咳き込みながらそう言っている彼女の周りを、炎の帯が取り囲んでいる。

「閉鎖迷宮を倒したのか」

 刃帝の言葉に、かもね、と応じて、しかし火花は俺のすぐそばに後退する。

「相当につらそうだけど、大丈夫」

「ちょっとした」どうにか声を出す。「事故にあったようなもんだ」

「ハルハロンに治癒させるわ、すぐだから耐えてね」

 そう言い残し、立ち上がった火花は刃帝と向かい合う。

 そこでまた別の魔力の流れがあり、刃帝のすぐ後ろに、少年が出現した。こちらは傷だらけで、体のそこここが煤けている。

「そちらさんもつらそうね」

 からかうように火花が言うが、少年は答えず、刃帝の横に並ぶ。

「兄貴、ドラゴンが守護している。楽じゃないよ」

 少年の言葉に、「切り捨てれば問題ない」と刃帝が応じる。

 火花が何をしているかと思えば、自分の周りを流れる火炎に手で触れている。炎のゆらめきの中に手を差し込んでも、手が焼けているようでもないし、熱も感じていないようだ。

 どういう炎だ? 炎の形をした、別のものか?

 それを観察している間にも、俺の体に魔力が注がれる。ハルハロンだろう。どうにか上体を起こす。

 素早く刃帝が剣を鞘に戻し、構えを取る。

「気をつけろ、火花!」

 警告は、遅かった。

 鋭すぎる踏み込み、火花のすぐ目と鼻の先に、刃帝が立っている。

 裂帛の気合いと同時の、居合。

 見えない力が爆発し、屋敷の壁が崩れさる。ガラスは全部、すでに割れていた。

 その力が、火花の周囲の火炎すら、吹き消す。

 吹き消すが、火花はそこに立っていた。

 彼女の手がすっと振られると、刃帝が身を捻って後退する。

 空間を瞬くようにして焦がしたのは、超超高熱の糸のように見えた。

 一本だったそれが分裂し、それぞれに複雑に動き始める。刃帝が人間離れした身のこなしでそれを回避するが、光の糸は屋敷の床、天井、壁を切り裂き、彼を追尾。

 ついに糸が刃帝を捉え、両断。

 だがその姿が消える。

 まったく別の場所に出現した刃帝が逆襲、のはずが、再び後退。一瞬の差で、彼がいたところを瞬きするよりも早い時間で追尾した糸が焼き払う。

 超高位の魔術師同士の戦闘は、赤羽邸を廃墟に変えつつあったが、それでも決着がつかない。

「ややこしいわね」

 そう呟いた火花がさっと手を振ると、全てを切り裂いていた光の糸が消えた。

 刃帝、そしてそれを補助している少年が、並び立ち、火花の動きに注視する。

「もう終わりにしましょうよ」

 そう言った時、俺は確かに、火花の瞳が赤く光ったのを、見た。


     ◆


 私は自分の中に宿る、桁外れの力を、完璧に制御する自信があった。

 本当に、今は何の不安もない。

 この戦いも、目の前の強敵も、私が支配できる。

(名前を聞いていないわね、ドラゴンさん)

 私の手にある短剣を通じて、流れ込む魔力に問いかけると、返事がある。

(私の名前は、アルカジーク)

(オーケー、アルカジーク。やりましょうか)

 崩れかけている屋敷の廊下の熱が、ぐっと上がる。

 私は自分の魔力、そしてアルカジークの魔力を解け合わせていく。同時にアルカジークの魔力が変質、私のそれに同化していくのがわかった。

 今までに操ったことのない、膨大な魔力が、場を支配する。

 剣を下げた襲撃者の姿が消える。閉鎖迷宮もだ。

 逃げたわけじゃない、魔術結界を応用した、姿の不可視化。魔力の気配さえ消えているから、まったく別の空間を渡って、私に肉薄するんだろう。

 周囲の魔力の状態が、視線をやらなくても、克明に理解できた。

 だから、かすかな揺らぎ、ほんのかすかなノイズさえ、手に取るようにわかった。

 空間が裂け、飛び出してきたのは剣を持った閉鎖迷宮。私の短剣がそれを受け止める。

「兄貴!」

 閉鎖迷宮の視線の先を思わず追いかける。

 背後。

 いない。

 空間の切れ目は両側。片方は欺瞞。

 さすがに良い連携をする。

 私は背後を見た姿勢から、右か左、どちらかから来るもう一人に対処しないといけない。

 果たして、相手は右側から来た。そちらへ振り向きざま、火炎を放射。

 が、違う、飛び出してこない。

 姿を見せて、剣を突き出しているのは、逆の側。今は背後。

 切っ先だけが、私がブラフと見た切れ目から飛び出してくる。

 それも、ただの剣ではなく、魔力が凝縮された、一目で防御不能な一撃。

 そう、防御不能だと、彼も思っただろう。

 だけど今、この場では、防御も攻撃もないのだ。

 全てを私が、支配しているのだから。

 火炎が全てを飲み込んだ。

 少年も、剣士も、魔力の刃、空間の切れ目も、全てをだ。

 赤羽家に伝わる特殊な火炎、焼却魔術が、桁外れの力で吹き荒れる。

 魔力の剣が一瞬で消え去り、剣そのものさえも燃え上がらせ、その炎は剣士へと到達する。

 その時には閉鎖迷宮も炎に包まれたが、彼の方が深刻だ。空間の裂け目から魔術結界に火炎が流れ込み、その火炎は閉鎖迷宮の内面を吹き荒れている。

 絶叫する閉鎖迷宮を、砕け散った剣を捨てた剣士が回収、距離を取る。

 周囲には炎が溢れ、全ての魔力が消え去り、私とアルカジークの魔力の融合した空前絶後の力で、満ちている。

 剣士と少年をどうすることもできる。

 殺すつもりはないが、魔力を奪い、昏倒させ、魔術学会へ差し出すくらいはできるだろう。

 そう思って、一歩踏み出した時、ゆらりと彼らの像が歪んだ。

 どこかから魔力が流れ込んでいる!

 焼却魔術がその魔力を焼き払うが、すでに魔術構造式が発動し、二人の襲撃者はごっそりと消え去っていた。

 くそっ!

 思わず毒づきつつ、痕跡を確認するが、今、目の前で起こった転移魔術は、何の残滓も残していない。

 逃したか。

 私はため息を吐いて、魔力を自分の内側へ戻していく。

「アルカジーク、ありがとう」

 空中に漂う火炎を、私は見上げる。ゆらゆらと揺れる炎は、ドラゴンの魔力が形を持ったものだ。

(お前のことを見守っていよう、魔術を焼き払う少女)

「それは、どうも」

 炎は大きく揺れたかと思うと、不意に消えた。

 おっと、ドラゴンよりもシナークの様子をみなくちゃ。

 視線を向けると、シナークが立ち上がろうとして、その横に実体化したハルハロンがいて、肩を貸している。

「無事みたいね、シナーク」

「お陰様でね。しかし、限界だ……」

 部屋に行きましょう、と言いかけて、やっと事態に気付いた。

 屋敷が、めちゃくちゃじゃないか。

「ちょっと片付けが必要ね」

 思わず途方にくれる私が見ていないところで、ハルハロンがシナークに声をかけている。見れば、シナークが気を失って脱力していた。

 これはいよいよ、いけないな。

 いつの間にか、夕日が西の山に沈もうとしていた。



(第10話 了)

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