10-3 激闘

     ◆


 私は無数の黒い帯に串刺しにされ、空中に縫い止められている。

「呆気ないね」

 声と同時に、少年が闇から出てくる。

 まだ十代くらいの、私と同年代の男の子。服装は黒で統一されているけど、武闘派ではないようだ。

 こちらの顔を覗き込んでくる。

「赤羽家直系と聞いていたけど、こけ脅しだなぁ」

「どうかしら」

 私の言葉に、少年が動きを止める。

 私は、彼の背後に立っていた。手には短剣を持っているけど、突きつけたりはしない。

 それはここではまったくの無駄なのだ。

「いつの間に、こちらを逆に騙したんだい? お姉さん」

 振り返った少年に、肩をすくめてみせる。

「これでも一二九家系の直系でね、並じゃないのよ」

 首筋にひんやりした感触。

 脅しなどという生半可なことを、今度は少年も選択しなかった。

 私の首が落ちる。

「タネのバレている手品はつまらないでしょ?」

 また、私は私の首を落としたばかりの少年の背後に立っている。舌打ちをして、こちらを振り返った彼は、苦虫を噛み潰したような顔だ。

「あなた」私は手元で短剣を弄びつつ、声をかける。「閉鎖迷宮とか名乗っていたけど、私が大昔に、小耳に挟んだ噂そのものよ」

 彼、閉鎖迷宮は黙っている。

「一二九家系の、クラウンクロウ家は、私でもよく知っている。あの家系は幻術に特化した家系だったわね。で、十年くらい前に、その傍流の家系にいやに才能のある子どもがいた。だけど、当主の不義の子じゃないか、とも噂されていたわね」

 もう一回、舌打ちをした閉鎖迷宮の周囲で、魔力が渦巻くが、それはただの発露だ。

 そもそもここは彼の構築した魔術結界の中で、言ってみれば、周囲全部が閉鎖迷宮の魔力で構築されている。

 それも、私と魔力比べすることを避けるために、私の感覚に浸透し、魔力の解放を本能的に抑えさせている。

 まったく、いやらしい上に、巧妙だ。

「僕は、僕さ」

 閉鎖迷宮がそう言って、どこか嗜虐的な笑みを浮かべる。

「今の話を、口にしたことを後悔させてやる」

「いよいよ本気、ってことね」

 減らず口を、と彼が呟いた途端、真っ黒い影が私に取り付き、体のそこここをまるで見えない虫が食い荒らすように、影が侵食していく。

 私は自分の魔力を意識した。いつもと同じ感覚なのに、把握できる魔力量が少なく、ちぐはぐだ。

 だけど、少しでも魔力を意識できれば、それで十分。

 操れる限りの魔力を完全に掌握し、体に流していく。影が奪った体の部分が、回復を始める。

 私はまだ魔力を放出していく。いくが、枯渇の気配。構わずに放射を継続。

「自滅か」

 嘲笑うように閉鎖迷宮が口にする。

 自滅なんてするもんですか。

 私の迸る魔力が発火する。私の体を炎が取り巻き、周囲を白く染める。

 痛みも熱もない。

 ただ私自身を焼き払った炎が、私に閉鎖迷宮が浸透させた束縛系の魔術をも焼き払う。

 胸の奥から突き上がるように、本来の魔力が蘇ってくる。

 閉鎖迷宮がまた舌打ちをして、姿を消す。

 逃がすものか。

 私の魔力の炎が体を離れ、世界を焼き始める。焼却魔術の力を宿した火炎は、先ほどの影による私への侵食を逆襲し、空間自体を食い潰し始める。

 ギラリ、と何かが光る。

 慌てて避ける私を掠めた刃が、私の炎を薙ぎ払うと、炎が掻き消される。

「僕の世界だぞ、ここは。消すことだって、自由なんだ!」

 消す、か。

 どうやらこの結界から私の火炎をどこかへ飛ばしているんだろう。

 これじゃあ、いつまで経っても、世界を破壊できない。

 やるしかないな。

 魔力の総量を意識して、余力を残して、それでも莫大な量を放出する。

 世界自体が軋んだ気がした。

 炎がさかしまの雪となり舞い踊る。

「勝負だ、赤羽!」

 少年が叫ぶ。

 私の周囲に刃が無数に生まれ、すべての切っ先はこちらを向いている。

 力くらべは、望むところよ。

 頭上で火炎が渦巻く。刃も増え、もう総数を把握できない。

 私は片手を天に向け、勢いよく、下げる。

 剣の全てが、雪崩を打って私に押し寄せた。

 魔力同士が、衝突する。


     ◆


 俺は自分の体がひとりでに動くのを、半分は感嘆の中で、半分は体の限界からくる苦痛の中で、じっと観察して、耐えていた。

 刃帝と俺の肉体を操るハルハロンはまったくの互角だ。

 廊下で戦っていたのが、壁が激しく切り刻まれ、崩落してできた穴から二人は中庭に下りている。

 花壇が破壊され、木の枝がバラバラになり、幹が切断される。

 ハルハロンはさすがに刃帝の攻撃を巧みに回避している。

 先ほどの一撃は、魔力による一撃、つまり物質では基本的に防げない。あるいは魔力障壁で防げるかもしれないが、ハルハロンはもちろん、俺だってそんな冒険はしたいとは思わない。

 徹底的な回避と、斬撃の交錯。

 湿った音ともに、俺の左肩が裂ける。しかし浅い。

 逆にハルハロンの剣も、刃帝の肩に当たっている。鎧が割れ、すっ飛ぶ。

 二人が向かい合うが、あれだけの激しい機動を繰り返した後でも、どちらも息を少しも乱していない。もっとも、俺自身は、自分の肉体が限界を超えて稼働しているのを知っている。

 ハルハロンだって感じるだろうが、余裕がないのだ。

「伝説の勇者、ハルハロンと剣を交えたこと、誇りの一つとしておこう」

 そう言って、剣を鞘に収める刃帝。

 ここで終わりじゃない。最後の一撃がくるのだ。

(シナーク)ハルハロンが呼びかけてくる。(死んでも俺を恨むなよ)

 恨むぞ、と言いたかったが、そんな余地もない。

 ぐっと腰を落とした刃帝の手が、腰の剣の柄に触れる。

 ハルハロンが手の中の剣を変化させる。細い刀身で、真っ白い色をした不思議な金属でできている。

 気迫が、俺とハルハロンを飲み込む。

 わずかな緊張。

 その刹那に、刃帝が踏み込んでくる。

 ハルハロンが遅れた。寸前の緊張からくる動揺は、俺のせいかもしれない。

 この敗北は、俺の敗北だ。

 目の前にいる襲撃者、その殺気が俺を貫く。

 剣が、振り抜かれる。

 叩きつけられた力は、見えない壁が全身を打ったような、圧倒的な力だった。

 体が地面を離れ、そのまま宙を舞う。

 激しく建物の壁に叩きつけられ、つき破り、廊下に転がり込む。

 意識が曖昧になり、取り戻され、また不確かになる。体を動かすのも、不可能だった。内臓、筋肉、骨、すべてに異常があるようだ。魔術構造式がひとりでに稼働し、治癒が進むが、ダメージが重すぎる。

 瓦礫を踏み越え、刃帝がやってくるのを、俺は倒れたまま頭だけ動かして、見た。額からの出血が目に入り、視界が赤く染まる。

「万理掌握の呪い、破れたり」

 そう言って、いつかのように、すぐそばに刃帝が立つ。

 俺には、選択肢がない。


     ◆


 炎と刃のせめぎ合いは、ほんの一瞬だ。

 すべてがドロドロに溶け合い、魔力同士の混沌がそこにあった。

 血に宿る力、その本能がぶつかり合っている。

 どこかで少年が悲鳴をあげた。

 私はぐっと、耐えた。

 私という存在が理解する世界が、真実と偽物に引き裂かれていく。

 自分はどこにいる? ここはどこだ?

 どこに帰ればいい?

 魔術から意識へと、幻術が流れ込んでくる。

 焼き払うしかない。

 でも、何を?

 混乱が奥底深くで吹き荒れ、何もわからなくなる。

(恩人を助けなくてはならないな。それが我らが流儀)

 唐突に、私でもハルハロンでも、シナークでも、閉鎖迷宮でもない声が、私の中に宿った。

 光が目の前で瞬く。

 短剣が浮かんでいる。

 私の持ち物でも、屋敷の部屋にあったはずだ。

 いつか助けた、反抗派のドラゴンが残した、短剣。

 強大すぎる魔力が迸り、それが私の魔力と瞬間で同期する。

 炎が吹き荒れた。

 真っ赤な、全てを焼き尽くす、劫火が。


(続く)

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