10-2 異空間

     ◆


 私はドアノブを握ったまま、じっと魔術を行使し続けた。

 屋敷の様子はわからないけど、事態は変わっちゃいない。超強力な魔術師による攻撃と、妨害。

 早く屋敷に行かなくちゃ……。

 何度目かわからない魔術通路の形成が、唐突に成立した。

 できた!

 ドアを開けて中へ飛び込む。赤羽邸の廊下だ。

 ピタッと足を止めた理由は、何か。

 どこかで人が争う音がする。でも、何かが違う。

 反射的に横っとびに逃げた私の首筋を、何か冷たいものが掠める。

「いい反応するねぇ」

 声はしたが、相手はいない。もちろん、私に攻撃していた相手だろうけど、声はやや高音で、少年のそれだ。

「どうしてここがあんたのお屋敷じゃないとわかった?」

「何年、ここで生活していると思っているの?」

 そう言いながら、私は自分がここに出てきたドアをさりげなく確認。閉まってしまっている。

 周囲を警戒しながら、ドアに飛びつき、それを開いて中へ飛び込んだ。もちろん、魔術通路を形成してからだ。

「だから、逃げられないよ」

 出た先は、また廊下だった。さっきとは中庭を挟んでいる別の廊下。

 完全に魔術結界に取り込まれたらしい。

「僕はこれでも、「閉鎖迷宮」って呼ばれていてね、さてさて、逃げられるかな?」

 閉鎖迷宮?

 私はドアを後ろ手に閉じ、魔術師学校の生徒の標準装備でもある、小さな剣を腰の鞘から抜いた。最低限の魔術師の装備で、魔力を増幅させ、指向性を与えることができる。

 シナークを救出するときは、家に伝わる宝剣を使ったけど、あれと比べれば、頼りないどころの話ではない。

 それでも今の私には、力が必要だった。

 壁から何かが飛び出してきた、と思った時には、それは壁から生えた腕だった。

 回避して、廊下を駆け出す。次から次へと、壁が溶け、無数の腕に変わる。気色悪い光景だ。

「悪趣味な魔術師ね!」

「悪夢だと思って、諦めてね、お姉さん」

 最悪!

 窓を開けて、中庭へ逃れる。二階なので、相応の高さがあるが、即効性の身体強化魔術の力で、難なく着地。

 頭上を振り仰いで、さすがに私は唖然とした。

 屋敷の全体が、中庭に向かって、崩れ落ちてくる。外壁が激しく剥落し、窓が同時に全て割れる。

 逃れる術がない。

 しかし、これは現実ではない。

 私の中で、この空間に囚われてから練り上げ続けていた魔力を、解放する。

 最初は小さな、それこそろうそくの火のような、小さな火が起こった。

 それが、全てを飲み込むほどに膨張するのに、それほどの時はかからない。

 火炎は中庭を満たし、吹き上がる。勢いのまま、今は私を押しつぶす雪崩になりつつある屋敷にぶつかった。

 短い間、屋敷の崩壊を炎が支えるが、短い静止の後、逆に炎が屋敷を押し返した。

 建物の構造物が全部まとめて、内側にではなく、外側へ崩落した時、そこは屋敷一つを内包してもあまりある巨大な真っ暗な空間で、やがて屋敷だったものも消え、私は暗闇に一人、立っていることになる。

「さすがにやるね。これだから一二九家系は、侮れない」

 少年の声はするが、姿はやはり見えなかった。

「それでは、こういう趣向はどうだろう」

 その言葉の後、闇の中を、無数の黒い帯が走った。見えないのは、背景が黒だからじゃない、速いからだ!

 一本、二本と回避するが、三本目が脇腹を掠め、四本目が胸の中心を貫通する。

 強烈な痛み。

 シナークは、無事かな?

 そんなことを思いつつ、胸の灼熱に、私の思考は目まぐるしく、巡り続けていた。


     ◆


 俺は襲撃者の剣を、どうにか凌ぎ続けていた。

 本来の俺の身体能力だけなら、負けていただろう。武装の面でも、襲撃者の手にある剣は、強度、切れ味、ともに抜群で、並の剣では楽々と破壊しただろうことは疑いない。

 しかし俺にはハルハロンの力が部分的に宿り、また、剣は相手の武装に劣らない逸品だった。

 屋敷の中をかけながら、二人の刃が周囲を破壊していく。

 窓ガラスも、壁も、ドアも、床も天井も、切り刻まれる。

 それなのに俺たち二人は、どちらも相手の斬撃をその身に受けず、つまり、拮抗しているのだ。

 手数では明らかに俺の方が少ない。拮抗は拮抗でも、こちらが守勢になっている。

 さっと相手が身を引いたので、俺は危うく飛び出しそうになった。

 違う、引いても、そんな隙はない。構えを取り直し、荒くなった呼吸を整える。体に刻まれた魔術構造式はフル稼働で、その上、ハルハロンの運動能力を全てではないが再現しているので、疲労が強すぎる。

「お前の実力を認めよう」

 襲撃者がそう言って、わずかに剣の構えを変える。

「俺は、仲間から「刃帝」と呼ばれている。俺の剣を、防げるのなら、防いで見せろ」

 刃帝と名乗った男が、すっと大きく構えを変え、頭上に切っ先を向ける。

(気をつけろ!)

 頭の中でハルハロンの声。剣が盾に一瞬で変わる。魔力が供給され、盾が形状を変え、俺はそれを両手で構えた。

 剣が、振り下ろされる。

 刃帝の剣、その刃が、一直線に伸びる。

 盾と切っ先が当たった瞬間、しかし何かが俺の胸を貫いている。

 切っ先は盾が止めている。これは、何だ?

 胸を見下ろすが、傷はない。血も流れていない。

 それなのに、灼熱の苦痛。

 すっと刃帝が剣を引いた。その動きと同時に、見えない剣が、俺から引き抜かれる。

 痛みが胸を中心に、全身に伝わる。

 意識が急に遠のく。腕から力が抜け、盾が床に落ち、転がった。

 立っていることができなくなり、膝をつき、声も出せないまま、俺は倒れていた。

 頭のどこかで、誰かが呼びかけてくる。

 これは、ハルハロンか? それとも、刃帝の声か?

「所詮は、三流」

 そう聞こえた瞬間、怒りと同時に、何故か力が湧いた。

 指先が震え、力が入る。

 しかし武器は……。

 ハルハロンの気配が、俺の体の周囲を漂う。いよいよ俺の意識ははっきりと形を取り戻し、体の不具合もそれほどない。

 目の前に真っ黒い靴がやってくる。刃帝が、俺にとどめを刺そうとしているんだろう。

 チャンスは一度だ。

 耳を澄ませ、集中する。

 跳ね起きたのは、視界の外の相手の、わずかに殺気が強くなった時。

 身を捻った時、切っ先が俺の体を掠めて、床に突き立つ。

 俺の何も持っていなかった手に、剣が出現、握り締める。

 腕が最短距離で、刃を走らせた。

 刃帝が距離を取るのと同時に、俺も姿勢を取り戻し、立ち上がることはできないながらもしゃがんだまま、警戒することはできた。

 全身が唐突に重くなる。呼吸が苦しい。意識が明滅。

「魔力の剣に貫かれて、死んでいるはずだ」刃帝が呟く。「何が作用した?」

「よく知らないな」

 剣を構え直す。ハルハロンの魔力、ひいては火花から流れてくる魔力が、俺を癒していくが、とてもじゃないが、万全ではない。

 しかし、何が起こったんだ? 俺はまるで、死んだようだと、自分でもわかる。

(シナーク)

 ハルハロンが呼びかけてくる。

(お前の体を俺に渡せ)

「何だって?」

(お前を生かすためには、それしかない。火花がすぐにやってくる。それまでを凌ぐのが最適な選択だ)

 どうやら、考えている暇はないらしい。

 刃帝が踏み出す前に、俺は決断していた。

「任せる、ハルハロン」

 全身に、魔力が流れ込み、その不自然な魔力の奔流が、まるで血液が沸騰するように感じ取れる。

 俺の手にある剣の切っ先が、かすかに光を放つ。


(続く)

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