第10話 戦いの幕は切って落とされた

10-1 隔離と戦闘

     ◆


 私は魔術師学校の廊下をウキウキと歩いていた

 とりあえず、当面の問題は解決したし、シナークも力を取り戻しつつあるし、良い方向へ進んでいるじゃないか。

 どこか浮かれた気分のまま、午前中の授業を真剣に受けて、お昼休みになる。

 中庭へ降りるため、他の生徒たちの流れに混ざって、階段を下りていく。

 一階にたどり着き、さて、中庭へ、と思った時、それが前触れもなく起こった。

「痛っ!」

 思わず声が漏れる。

 右手、その人差し指の爪が割れている。

 それは緊急事態をと告げる怪我だった。赤羽邸のある山の結界が破れた時、こうなることを両親から聞かされている。

 まさか、襲撃されている? 帰らなくちゃ!

 中庭に背を向けて、一番近いところにあった教室のドアに、魔術通路を形成するべく魔力を流し込む。

 勢いよくドアを開けるが、そこは物置だった。邸の物置ではない、魔術師学校の物置。

 なんで? 魔術通路が形成できていない。

 一度、ドアを閉じ、再び魔術通路を開く。開いたのは一瞬、すぐに巨大な力がそれを揉み消してしまう。

 これじゃあ、帰ることすらできないじゃないか!

 意識の中にある魔術構造式に、破綻寸前まで力をかけるけど、それでも通路は開かない。

 どうやら相手は相当な使い手だ。

「ハルハロン!」

 声に応じて、守護霊体がすぐそばで実体化した。

「シナークとの接続は維持されている?」

「わずかな細い線だが、生きている」

 その言葉を受けて、私はすぐに決断した。

「あなただけでも、邸へ行ける?」

 何やら考える素振りの後、ハルハロンは首を振った。

「俺が実体化するレベルの魔力の経路を形成できないだろう。お前とシナークは、ほぼ完全に分断されている」

「でも細い線が生きているって……」

「俺の一部を送ることは可能、というレベルだ」

 なら、そうしなさい、と私は即座に命令した。ハルハロンの姿が消える。

 私は繰り返し、魔術通路を開く努力を続けながら、意識の中では超高速で魔術構造式を書き換え、より強力で、安定性のある魔術通路を形成するべく、試行錯誤を始めた。

 前にシナークと一緒に魔界に落ちてから、勉強を重ねてきたし、実験も続けた。

 それが実ってくれるといいのだが。

 ドアを開けた時、空間がかすかに歪み、それきり、歪みは消える。

 地団駄を踏みたいのを抑えつつ、また一から始める。


     ◆


 俺はちょうど昼食を食べ終わって、廊下を歩いていた。

 頭が痛くなるほどの耳鳴りが響き、「なんだ?」と思わず声が漏れていた。

 廊下を玄関の方へ向かう。そこが一番、見晴らしがいいからだ。

 玄関の巨大なドアのすりガラスの向こうに、人の影が見えた気がした。かなり離れているが、人だろう。

 そっと開けると、一人の若者が立っている。やはり屋敷を囲う柵の向こうに立っている。

 真っ黒い髪をした長身の男で、しかし、腰には剣を下げている。

 襲撃者? どうやって山に入り込んだ?

 見ている前で、男がぐっと腰を沈め、剣を抜く姿勢をとった。

 斬撃は一瞬だった。

 と言うより、抜き打ちどころか、納刀さえも見えなかった。

 男が姿勢を戻した時、ぐらりと傾いたのは、格子でできている門扉だ。

 一度の斬撃のはずが、門扉は八つに解体されて、地面に散らばった。

 悠然とした足取りで男がこちらへやってくる。

「邸の奥へ」

 そう言ったのは、いつの間にか俺の横に進み出て、そしてすり抜けていくエマだった。

「エマ、逃げよう。敵う相手じゃない」

「時間稼ぎも、仕事のうちでこざいます」

 その言葉と同時に、エマが駈け出す。

 初めて見る、人間ではないものの機動力だった。

 が、不可視の斬撃が彼女の体を腰で二つに断ち割っている。

「式神風情が」

 二つになって地面に転がるエマを横目に、こちらへ男が進んでくる。

 しかしエマは、その程度では死なないのだ。

 男の背後で、腰から上を再生した一人と腰から下を再生した一人、つまり二人になったエマが飛びかかる。

 振り向きざまに、超高速の刃が迎撃。

 二人のエマは、今度はバラバラに解体された。

「くどい!」

 男が構えを取る周囲で、しかし今度は十人を超えるエマが身構えている。

 一斉に全方位からの攻撃。これならどれほど剣術を極めていても、防ぎきることはできないだろう。

 俺がそう思った目の前で、十体のエマに男は抵抗しなかった。

 組みつかれ、爪を立てられたはずだ。噛みつかれもしたかもしれない。

 ドン! と低い音が響いた瞬間、目の前で起こったことに、俺は我が目を疑った。

 十体のエマが引き裂かれ、分解され、消えた。周囲にパラパラと散ったのは、式神の核になる呪符だろうか。

「余興は終わったぞ、小僧」

 俺は今度こそ、屋敷の中へ駆け込んだ。

 廊下を走り、少しでも襲撃者と距離を取ろうとする。

 それでも、足を止めざるをえなかった。

 目の前に、例の男が立っている。二人いるのか? そもそもどうやって俺の前に先回りした?

 素早く腰にいつも下げている軍用ナイフを引き抜く。構えを取る俺に男が目を細める。

「抵抗しても無駄だ」

 男はまるで感情のない、低く響く声で言った。

「お前の実力では、勝てまい」

 やってみなくちゃわからない、と言いたかった。しかしそんな強がりも言えないほど、実力差は歴然としている。

 どう踏み込むべきか、刺し違えることは可能か。

 そう考えた時には、迷い、逡巡を見透かされたように、男が消えている。

 軍用ナイフを立てた時には、それを握る手、手に至る腕、腕が繋がっている肩と衝撃が同時に突き抜け、体が捻れるように回転する。

 甲高い音を置き去りに、俺は勢いのままに壁に叩きつけられていた。背中が衝突した瞬間、肺の中の空気が全部吐き出される。

 倒れこむ前に、足が無意識に床を蹴り、横へ。

 掠めるように走った三度の斬撃が、壁を切り刻み、一部が崩壊する。

「すばしっこくはある」

 男がそう言いながら、切っ先を俺の鼻先に突きつけた。息が苦しく、倒れこんだ姿勢は、とても次の動きには繋げられない。そもそも俺の手にある軍用ナイフは、刃が根元から折れ、武器として機能しない。

「愚かだったな」

 その言葉と同時に、すっと剣が差し込まれる。

 死を意識した時、目の前で光が瞬いた。

 それが男の剣を弾き、危険を感じたのか、間合いをとらせることにもなった。

 空中には見たこともない剣が浮いており、俺に掴んで欲しいという意図が、はっきり見えた。

 柄を掴み、立ち上がる。

(無事? シナーク)

 その声は火花だが、この剣はハルハロンの剣だろうとわかった。何かしらの魔術で俺と火花を繋げているらしい。

「どうなっている?」

 どうにか質問すると、焦った口調で返事があった。

(あなたとハルハロンの繋がりを辿って、ハルハロンの魔力をそっちへ流している。別の魔術師のせいで、今、その屋敷は周囲から完全に隔離されているの。私ですら入れないわ)

 つまり、援軍はほとんどない、ということだ。

(ハルハロンが具現化できればいいんだけど、魔力を流すのにも苦労しているわけ。だから、あなたがハルハロンを使うのよ)

「ハルハロンを使う?」

(彼の肉体になってあげて)

 それはまた、ぞっとしないな。

 だが、他に選択肢もない。

 わかったよ、と答えて、俺は剣を構える。

 目の前で、長身の男も剣を構え、わずかに間合いを調整した。

 空気が、張り詰める。



(続く)

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