9-3 脱出

     ◆


 赤羽火花が腰に下げていた剣を引き抜く。

 屋敷の武道場にあった剣のうちの一振りだと、鍔の形状でわかった。細かな意匠が施されているので、特徴的なのだ。

「そちらさんが、シナークのお友達?」

 黒で統一された三人に視線を向けながら、短く赤羽火花がこちらを見た。獅子のことを確認しているのだろう。

「仲間だ。どうしてここがわかった?」

「ま、私も馬鹿じゃないってことね」

 その言葉の瞬間を読まれたんだろう。黒い三つの影が、霞む。

 赤羽火花が引き裂かれる未来が、はっきり見えた。

 見えたが、三つの影が縫い止められたように、停止する。

 全身に赤い雷光が走り、その雷光の発生している原点は、赤羽火花の手にある剣だ。

「これで少しは話せそうね」

 剣に魔力を流し込んで、魔術結界の一種だろうものを展開しながら、堂々と赤羽火花がこちらを振り返る。俺が支える獅子の体が熱を持つ。彼の手持ちの治癒魔術が発動しているための発熱で、全身から湯気が上がり始めていた。

「こちらから名乗るけど」赤羽火花が片膝をついて、獅子と俺に視点の高さを合わせる。「私は赤羽火花。一二九家系の一つ、赤羽家に連なるものよ。シナークを助けに来た」

「助けてもらって、申し訳ない」

 苦しそうな発音で、獅子が応じる。

「俺は獅子と呼ばれている。これでも、シナークの師の一人だ」

「オーケー、獅子さん。あなたたちが狙われているというより、シナークが問題だと思うけど、私には保護する用意がある。どうする?」

 保護する用意?

 獅子がわずかにこちらに視線を送り、それから赤羽火花を見る。

「どうやら俺たちがまとまっていても、連中にも勝てなければ、あなたにも勝てそうにないな」

「物分りが良くて助かるわ。シナーク、どうする?」

 どうすると言われても、俺には判断がつきかねた。

 俺がここからいなくなれば、襲撃者は手を引くだろうか。

 俺が赤羽火花の元へ行くということは、仲間たちと別れるということになるのか。

 何を選べばいいか、すぐに判断できない。

 あまりにいろいろなことが、同時に起きすぎている。

「独立派魔術師は、私が安全なところへ放り出すわ。南米の密林の中にいいツテがあってね」

 ……そのツテがなんだか、すぐにわかった。

 それが理由ではないが、しかし、迷っている暇はない。

「頼む、赤羽火花。俺たちを、助けてくれ」

 頼まれた、と笑みを見せて、赤羽火花が振り返る。三つの黒装束は、まだ赤い雷光の結界に捕縛されたままで、動きがぎこちない。

 そこへ、すっと赤羽火花が剣を掲げる。

 今の俺でも感知できるほどの、強烈な魔術の気配。雷光が爆発的に膨れ上がり、盛大な火花とともに三つの影が弾き飛ばされる。

「さすがにこの剣は優秀だわ」

 そんなことを言いながら、まだ赤羽火花は莫大な魔力を放射し、それが渦を巻き始める。

 周囲一帯の魔力の流れさえも巻き込んで、まるで赤羽火花に全てが吸い込まれるような錯覚すらあった。

 行くよ、と赤羽火花の声がした時には、体が沈む。まるで地面が解けたような感覚。

 そんなはずはない、と思って下を見た時には、本当に俺の体が地面に沈もうとしている。慌てる時間もないほどの速度で、両足、腰が沈み、腹、胸と地面の下に落ちていく。

 もがこうとしたが、なぜか全身が動かない。金縛りとは違う。これは、座標が固定されているのか。

 首まで沈み、頭が勢いよく落ち込んだ時、俺は全く別の場所に屈み込んでいた。

 いつの間にか見慣れてしまった、赤羽邸の廊下。窓から夕日が差し込んでいる。

「大変だったね。まったく、こんなことになるとは」

 剣をさっと振ってから、素早く鞘に戻す赤羽火花は、言葉の通り、ホッとしている様子だ。

「獅子はどこへ行った?」

「彼は南米よ。お母さんが受け取っているはず。あの魔術の気配の様子では、大怪我でも無事に治癒しているでしょう」

「他にも仲間がいた」

「私の魔力が及んだ範囲では、獅子さんの他にあなた以外で、三人までは感知できた。その三人も無理やりに南米に飛ばしておいたけど、ダメだった?」

 三人ということは、大鷲、白猫、そして博士だろうか。

 赤羽火花に頼み込んで、仲間と話をさせてくれ、と危うく口にしそうになった。

 でもどうにか、ギリギリのところで思い止まった。

 俺は彼女に、頼りすぎている。俺と、俺を守ろうとした仲間を、まとめて助けたのは赤羽火花なのだ。

 彼女がいなければ、俺も、仲間も、今頃は生きていなかっただろう。

「何か言いたげね、シナーク」

 そう言われて、俺はまだ屈み込んだまま、ぐっと唇をかんだ。

「言いたいことは、言ったほうがいいわよ」

「……すまなかった。ありがとう」

 ふぅん、と小さな声で言ってから、赤羽火花は俺に背を向けたようだった。

「夕飯の支度をするようにエマに頼んでおいたから、いつでも食べれるわよ。その前に、まずはお風呂に入りなさい」

 のろのろと顔を上げる俺に、少し離れてこちらを振り向いている赤羽火花が見えた。

 夕日の中で、彼女はさっきまでの戦いと血の気配を感じさせない、柔らかい笑みを見せていた。

「おかえりなさい、シナーク」

「……ただいま」

 急に、ストンと何かが落ち着いた自分がいる。

 仲間は大事だ。もしかしたら、仲間は全てかもしれない。

 でも俺から仲間といる資格は失われ、今、俺がいられる場所は、赤羽邸しかない。

 そしてそこの主人を俺は信用し、信頼さえし始めている。

 もう何も言わずに赤羽火花が廊下を去っていき、俺はゆっくり立ち上がり、前に使っていた部屋に向かった。ドアを開けてみると、出て行った時のままの部屋がそこにあった。

 ベッドに触れてみて、急にあの山岳地帯の拠点での、硬いベッドのことが思い出された。

 俺が受け入れられ、俺が育った、俺の世界。

 今、俺が見ている世界とは、まったく違うそこから、俺は消えようとしている。

 どこにも属さない今の俺は、不安定なようで、どこか気が楽でもあった。

 自分の責任を自分で負うだけの、余計なものを背負わず、余計なものを守る必要もない。それが自然なはずなのに、いつの間にか忘れてしまっていた感覚だった。

 しばらくベッドに触れたまま、動けない俺がいた。

 素早く風呂に入り、服を着替えて食堂へ行くと、赤羽火花がすでに待ち構えていた。

「これからのことは、食事をしながら、ゆっくり考えましょう」

「ああ」言葉は自然と続いた。「ありがとう、火花。頼ってばかりで、すまない」

 目をパチパチとさせた後、穏やかに火花が微笑む。

「少しは私たちも、同等の立場に立ったらしいわね、シナーク」

 どういう意味だろう?

 彼女の言葉の意味がわからない俺に、早く食べましょうよ、と火花は声をかける。

 席について、二人でユニゾンするように「いただきます」と口にする。

 食事と、作戦会議が始まった。



(続く)

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