9-2 襲撃
◆
ありえない、と博士が新しいタバコに火をつけつつ、首を振る。
「確かにシナークは、暗殺者に狙われる可能性がある。だが、ここの座標は隠蔽されている」
「しかし広域の魔術通信に警告のメッセージが無数に立っている」
「誰がシナークや俺たちへの攻撃を、そんなに声高に叫ぶ? 何かの偽装で、本筋は別じゃないか?」
飛び込んできた魔術師は、白猫、と呼ばれている男で、博士の部下の一人だ。
彼が言うには、魔術通信のそこここで、独立派魔術師への襲撃がある、というメッセージが立っているというのだ。独立派魔術師の集団は無数にあるから、俺にも真意は計りかねる。そもそも俺は魔術構造式を焼かれてしまって、魔術通信の仔細を確認できない。もどかしい思いだ。
「とにかく、用心した方がいい。すぐに獅子と黒豹がここへ来るらしい。シナークを守るためだ」
「獅子まで来るのか? それは大げさじゃないか」
わからん、と白猫が言おうとしたが、その時、博士が彼の足を蹴り払っている。
鈍い音と同時に幕が切り裂かれ、刃が白猫の頭が寸前まであったところを走り抜ける。
もう一条の光となった二本目の刃が俺を狙ったが、それは博士が引き抜いた短剣が受け止めている。
「逃げろ、シナーク! 走れ!」
地面が揺れ、地響きがする。
俺は切り払われた幕の下から転がり出て、走り出しながら、背後を見た。
真っ黒い服装の人間が二人、と思ったが、黒一色の戦闘員の装備を身につけているようだ。黒もただの黒ではない、おそらく姿を消す隠蔽魔術に最適化された素材だろう。
白猫も剣を抜き、博士と並んで、二人の男を押し留める。
俺も戦いに加われたらいいのに、今の俺には戦闘力がない。
前を向いて走り続けようとして、慌てて足を止めた。
先ほどの二人と同じ、黒い装備で身を固めた人間が一人、立ちふさがっている。
反射的に、腰の軍用ナイフを抜いた。ただのナイフではなく魔術で強化されているが、俺自身がただの人間では宝の持ち腐れだった。
それでも、抵抗しないで好きにさせるつもりもない。
ナイフを構えて間合いを図る俺に、相手は堂々と歩み寄ってくる。手には刃さえも黒く塗られた、片刃の剣がある。光を反射しないので、どれほどの切れ味かは判然としないが、なまくらではないだろう。
呼吸を計られないように、わずかに下半身に余裕を持たせ、いつでも飛び込めるようにする。
攻撃できるとすれば、一撃だけだ。
一撃は一撃でも、当てられる確率は低い。
十中八九、飛び込んだところで、逆に切られるだろう。
それでも、ただ切られるよりはマシだ。
間合いに男が、入ってくる。
何か、大きな影が頭上を横切った。見上げる余地はない。
飛び込もうとした。
したが、それより前に、頭上から何かが落ちてきた。
目の前の男が跳ねるように間合いを取り、落下してきた巨体が俺の前に着地している。
「大丈夫か? シナーク」
「獅子!」
その巨躯の男は、俺に体術と剣術を仕込んだ独立派の魔術師だった。仲間からは獅子と呼ばれ、身体強化の魔術に長け、物質創造もこなす理想的な戦闘向きの魔術師だ。
「シナーク、掴まれ、飛ぶぞ」
言いながら、俺を抱え上げた獅子が跳躍する。人間の限界をはるかに超えた跳躍は、二人の体を十メートルは舞い上がらせている。
落ちる、と思った時には、グンと横向きの力が加わり、何かが俺と獅子を掴んでいた。
「大鷲?」
魔術と工学の合作である特別なグライダーを使って飛行するのを得意とする魔術師、大鷲が俺と獅子を捕まえて、飛んでいた。
眼下では、岩山の斜面がズルズルと滑り始め、洞窟のあった方へ雪崩れていくが、見る見る土砂の量が増え、地滑りと化している。
それが俺の見ている前で博士と白猫を飲み込む。
叫ぶ間もない。あまりに大鷲の飛ぶ速度が速く、土煙が立ち上ったこともあり、二人の様子はすぐに確認できなくなった。
獅子が何か、言おうとしたようだった。
瞬間、地面から、真っ黒い帯が走った。それがグライダーの羽の片方を、半ばで断ち割っている。
ぐらりと傾いた時には大鷲が「防御姿勢!」と叫んだが、吹き荒れる風に、声が巻き込まれ、乱れる。
傾いたグライダーが不時着する寸前に、獅子が自ら俺を抱えて大鷲を離れた。大鷲がわずかに高度を取り戻すのを、不思議とはっきり理解できた。
俺自身は獅子とともに着地し、大鷲は離れた場所に落ちたようだった。やはり岩場で、隠れる場所はいくらでもある。
走ってくる黒い影。例の襲撃者だ。身体機能を強化する魔術を行使しているのだろうが、それでも早すぎる。
獅子を中心に魔力が吹き荒れ、彼の体がひとまわり大きくなった錯覚。それを肯定するように、彼の全身が、複雑な形状の鎧で覆われていく。物質創造の魔術だ。
黒い影と獅子が衝突。弾き合い、再び衝突。
宙に舞うのは、獅子の鎧の一部だ。
倒れ込んだ獅子の頭で、兜が二つに割れ、血が散る。
顔面を真っ赤に染めながら、再び全身を完璧に覆い、獅子が飛び込んでいく。
俺はただ、見ているしかできない。
俺が原因で、俺のせいでこの状況があるのに、ただ見ているだけか。
情けない。
俺は、間違っている。
目の前で弾き飛ばされた獅子が、倒れ込んで、地面を転がり、ゆっくりと上体を起こす。だがなかなか起き上がれない。見れば、胸を切り裂かれ、鎧の下から血が激しく流れている。
黒い影のような男の片手で、無から短剣が生まれ、投擲する動き。
狙いは、獅子だ。
俺が標的のはずなのに、俺はいつでも殺せる、ってことか。
怒りと同時に、体が動いていた。
走り、獅子と襲撃者の間に割り込もうとする。
間に合え。
間に合ってくれ。
短剣が、ゆっくりと襲撃者の手を離れ、獅子に飛んでいく。
遅く見えるのに、その緩慢に宙を横切っていく短剣より、俺の方が更に遅い。
間に合わない。
くそ!
絶望しても、足を進めた。
絶望しても、足を止めるわけにはいかない。
短剣が止まった時、俺は何が起こったか、わからなかった。
時間が止まったかと思った。
しかし俺は動いている。
割れた面貌の奥で、獅子が目を見開いている。
彼の前に、若い男が現れていた。
人間じゃない。
「みっともないものだな、小僧」
そう言った男が掴み止めていた短剣を襲撃者に投げ返す。とんでもない速度だったが、それを襲撃者は上体を反らすだけで避ける。
俺はやっと獅子の横に駆け寄り、乱入者を見上げた。
「ハルハロン、どうしてここに?」
「私を召喚した火花に聞け」
不服そうに赤羽火花の守護霊体、ハルハロンが顔をしかめる。
彼の手元に刀が生まれ、「離れていろ」と言い捨てて、その姿が霞む。
黒と、ハルハロンの刃の銀がからまり合い、残像を残して斜面を駆け上がり、駆け下りる。
「あれは、なんだ?」
「守護霊体だ、獅子。今のうちに、早く」
俺は獅子に肩を貸そうとした。
その俺を、ぐっと、獅子が押しとどめた。
「そううまくはいかないようだ」
やはりいつ現れたのか、気づかぬうちに今までの三人と同じ漆黒の装備の人間が三人、俺と獅子を囲むように立っていた。
だがもう一つ、変化がある。
俺と獅子が見ている先で、空間が歪む。像が波打ち、耳鳴りがする。
「久しぶりね、シナーク」
空間を渡って現れた少女を、俺はよく知ってる。
魔術師学校の制服のまま、そこに立っているのは、赤羽火花だった。
(続く)
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