第9話 変わってしまった自分

9-1 新しい価値観

     ◆


 こいつは厄介だな、と博士が言うのが聞こえた。

 俺は独立派魔術師の拠点の一つで、粗末なベッドの上でうつ伏せに横になっている。あまりに粗末で、赤羽邸で使っていたベッドとはまるで違う。板みたいなものだ。

 背中に触れていた博士の手が離れ、唸り声がした。

「赤羽家っていうのは、さすがに一二九家系だな」

 起き上がった俺は、博士が渋面をしているのを目にして、手術の結果を正確に理解した。

 それでも博士はちゃんと伝える程度には義理堅い。

「シナーク、お前に焼き付けた魔術構造式は、ほとんど全て、破壊されている。で、それを復旧したいんだが、前と同じ場所に魔力の刻印を刻めないんだ。そうなると、お前の体に細かすぎるほどの魔力構造式を刻んだのが、裏目に出ている」

「もうどんな魔力構造式も、受け付けないのか?」

 かもしれない、と博士は腕組みした。

「お前の体はかなり不自然な状態になっている。魔術結晶をもう一度、接続したいんだが、それも難しい。とにかく、外部からの魔力を受け付けないんだよ。こんな現象は、見たことも聞いたこともない」

「焼却魔法、って聞いた話はしたよね。調べてみた?」

「可能な限り、情報を漁ったが、何もわからない。あるいは何か、別の名称で記録されているのかもな。例の如く、その辺りは一二九家系によく見られる、秘中の秘、奥義なんだろう。少し休もう、さすがに洞窟の中でも暑い」

 実際、博士は汗をかいていたし、俺も汗を滲ませている。

 洞窟と言っても、それほどの大きさではなく、人が四、五人入れば、それでいっぱいになる。独立派魔術師が、もしもの時に逃げ込む場所のうちの一つだった。

 外へ出る、というより、洞窟を出て、洞窟自体をカモフラージュしている魔術と工学の融合したゴワゴワした幕のようなものの影に移動しただけだ。ここは風が吹き抜けるので、少し涼しい。ちなみに、この幕は常に映像を映し続け、この洞窟は急峻な山道にあるのだけど、離れて観察しても幕のおかげで、斜面そのものにしか見えない。

「中東の昼間は灼熱地獄だな」言いながら、博士が懐からタバコの箱を取り出す。どこの会社のタバコかはわからない。「もし余裕ができたら、夏は寒冷な山の上にある別荘で過ごしたいな」

 それはいいね、と応じつつ、博士の唇のタバコから細く上がる煙を、俺は目で追っていた。

 博士と同行していた他の魔術師は、俺の帰還を知らせるためにここにはいない。独立派魔術師は、魔術通信は最低限しか使わない。通信の発信と受信で位置を知られるのを嫌うからだ。

「シナーク、お前の仕事のことだが」

 博士がそう言ってこちらを見る。まっすぐな視線に、何故か気後れして俺は目を伏せた。

「濡れ仕事をさせることになったのは、俺の力不足だと、今は思っている」

「違うよ、博士」

 言い返しながら、やっぱり俺は目を伏せている。

「俺は、魔術師が嫌いなんだ。犯罪を犯す、魔術師がね。それこそ、殺してやりたいくらいに、憎いよ」

「憎しみは何も生まない、などとは言わないさ、シナーク。少なくとも、お前は憎しみを糧にして、技能を手に入れた。ただ、やはり最後には、憎しみを捨てなくてはいけないんだ」

 どう答えることもできずに動かずにいると、博士が細く息を吐く音がはっきり聞こえた。

「俺の過去の話は、誰にもあまり話してはいないんだがね」

 そう言いながら、博士が近くの岩に腰掛けるけど、あまりに小さい岩なので、不自然な姿勢だ。だけど、その位置からなら、俺の下を向いている視線を、まっすぐに見上げることができた。

「これでも、昔は魔術師学校に通っていた。成績も良かったし、普通に高等科まで進んだよ」

 魔術師学校の話は、赤羽火花から、食事の席などで話を聞いていた。奇妙な先生の話や、心を許せる友人の話。それと、気にくわない生徒の愚痴を、少しだけ。

「高等科には、八年、在学できる。俺はとある講師の元で、勉強と研究、実験漬けの日々だった。高等科の一年生になったのは十五歳の時。で、二十歳になるまで、何の疑いも持たず、必死に魔術の探求に勤しんだ」

 博士が、口をへの字にして、口元でふらふらとタバコを揺らす。

「でもな、ある時、不意に魔術の研究を魔術師学校で続けることに、おかしさを感じた。魔術師の能力は全て魔術学会が支配している。独占しているんだ。魔術師学校も、魔術学会が運営する。それじゃあ、魔術を何かに応用する可能性は、ほとんどない。魔術学会が首を縦に振らないことは、不可能なんだ。それはおかしい。だから俺は、魔術師学校を飛び出した」

 そう話す博士の顔には、意気軒昂な様子、挑戦的な様子は少しもなかった。どこか寂しそうに見えた。

「魔術師の犯罪者がいることは知っていたし、学生時代にその手の魔術師の討伐に関わる仕事を請け負ったこともある。独立派の魔術師と接触した時も、最初に俺を迎え入れた集団は、ほとんど盗賊だった。そこを逃げ出して、また別の組織へ移り、逃げる。それを繰り返して、今がある」

「その話を俺にする意図は?」

 思わず声に出すと、意図はないね、と博士がどこか弱々しく、笑った。

「今の組織は、正義を是としている。しているが、その裏で、お前のような存在も抱えている。純粋な正義なんて、ないのかもな。そう思っただけだ。それと、お前に悪事を働かせたのは間違いだったと思う、ということになるな、最初に言った通り」

「俺は悪だとは思っていない。俺は……」

 知らず、視線に力を込めていた。

「俺は、悪を倒してきたつもりだ」

「赤羽火花もそうだったか?」

 グッと言葉を飲み込むしかない。

 数ヶ月を一緒に過ごした、あの少女は、悪だっただろうか。

 俺はただ、依頼を受けて、殺すだけが役割だ。生活を共にする理由も、会話する理由すら、なかった。理由があるとすれば、それは殺しの準備という理由しかない。

 だけど俺はただ生活し、会話し、心を許してしまった。

 なぜそうなったのかは、歴然としていた。

 それは、赤羽火花が、悪ではないからだ。

 なんとしても打ち滅ぼしたいと思えるような、相手じゃなかった。

 彼女は、善人だったのだ。

「お前の中でも、答えは出ているだろう? シナーク」

 黙るしかない俺の前で、博士が深く煙を吸い込み、プカリと吐き出す。幕の下で、どこか甘ったるい匂いのする煙が漂った。

「シナーク、正直に言えば、俺は後悔しているよ」

「後悔しないでいいよ、博士」

 自分でもびっくりするほど、頼りない声しか出ない。

「博士じゃなくて、俺が間違っているんだ。俺が、不完全で、弱い魔術師だから……」

 力なんて関係ない、と博士が立ち上がって、俺の頭に手を置いた。

「お前は今回の件で、正しいものを見つけた。そうだろ? お前の中にあった、魔術師と悪をイコールで結びつける価値観に、新しい要素が加わったんだ。それでよしとしよう。な? これからのことは、みんなで考えればいいさ」

 俺の頭を撫でくりまわしてから、博士はタバコを地面に捨てて踏み消し、洞窟へ入ろうとした。

 と、すぐそばで誰かが砂利を蹴立てる音がした。博士の手が腰の魔術師仕様の短剣に伸びる。

「大変だ、博士!」

 幕をくぐってきたのは、仲間の魔術師だった。驚かせるなよ、と博士が笑う。

「シナークが危ない!」

 魔術師の言葉に、俺と博士は、思わず視線を交わしていた。



(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る