8-4 幸運
◆
魔術構造式は出来上がったその日の夜から、全世界の魔術通信を断片的に傍受し始めた。
魔術構造式を私の意識から完全に切り離して、これもお母さんが提供してくれた魔術結晶が、自動で魔力を供給している上に、魔術結晶自体に仮想思考体が組み込まれていて、それだけで稼働する。
検索しているのは、お母さんが言うところの「黙らせ屋」の仕事の情報だけど、彼らは絶対に情報を漏らさないはずで、つまり、ただ傍受して特定のワードを探し続けても、意味はない。
そんなことでは、何も引っかからないのは、目に見えている。
なので、次にやったのは、過去の暗殺事件の前後の通信を過去に遡って閲覧し、そこでやり取りされた情報の共通点を探すことだった。
でもこれもやっぱり、空振りだろう。
私が黙らせ屋の立場だったら、そんな共通点を残しはしない。
「やっぱり、私の娘にしては考えなしねぇ」
仕事に復帰すると宣言していた日の朝、お母さんがマグカップを傾けながら、食事に勤しんでいる私に、そう声をかけてくる。私はチラッと視線を向けるけど、お母さんはホットドッグを豪快に咀嚼してる。
「黙らせ屋を探すなんて、普通、考えないし、そもそも不可能ごとよ」
「でも、何もしないわけにいかないし」
パンケーキを三枚まとめてナイフで切って、フォークで口に押し込むようにする。ちょっと我ながら、行儀が悪いかも。
お母さんは気にしたようもなく、頷いている。昔から、お行儀よく! と口にするのはお母さんではなく、お父さんの役目だったな。
「そんな居ても立っても居られない娘に、プレゼントがあるわ」
プレゼント?
私が首を傾げている前で、ホットドッグを全部、口に入れてムシャムシャ顎を動かして、お母さんは服のポケットから一枚のカードを取り出した。
テーブルの上を滑ってきたそれが、眼の前で止まる。
数字の羅列が並んでいる。二行になっていて、かなりの桁数だ。
しかもただの文字じゃない。魔術を利用した文字で、たった今も、数列の一番隅、最後に当たるんだろう数字が変動する。増えたり減ったりしている。
「これ、何の数字?」
「シナークくんがいる座標よ」
危うくパンケーキが喉に詰まりかけた。咳き込みつつ、どうにかコーヒーでパンケーキを飲み込む。
「な、なんで、あいつがいる座標がわかるわけ?」
「それは、まぁ、お母さんもちょっとは娘の彼氏の居場所を知っておく必要があるかな、と思って。重要な事態が発生して、父親がどこにいるかわかりません、っていうのはシャレにならないしね」
……そういうあんたの発言がシャレにならないよ。
ぐっと飲み込んで、もう一度、数列を見る。お母さんの言っていることも、正しいようだ。数字が変動しているのは、今もシナークは動いているからだろう。桁数が多いのは、それだけ精密だってことを意味するらしい。
お母さんがズズッとコーヒーをすする。
「その座標を襲撃することを、奴らは必ず打ち合わせる。つまり火花ちゃんは情報のやり取りを待ち伏せして、黙らせ屋どもの動きを把握できる。どう? お母さんの気遣いも、たまには役に立つでしょ?」
「う、うん」
素直に頷けないのは、気遣いにも色々あるな、と思ったからだけど、さすがにそれは黙っていよう。
「ありがとう、お母さん」
「赤ちゃんが生まれたら、真っ先に知らせるのよ」
……やっぱりデタラメだ、この人は。
食事が終わり、私が制服に着替えて廊下に出ると、ちょうどお母さんもやってきた。服装は迷彩柄のつなぎで、背中に巨大なバックパックを背負ってる。腰には魔術師の標準装備の剣があり、バックパックには昔ながらのロシア製か中国製のアサルトライフル。
「じゃ、元気でやりなさいね、私の娘よ。あなたが学校に行ったり男を引っ掛けてお楽しみなのに、お母さんは南米のジャングルの中に逆戻りだわよ。いるのはむさ苦しい男どもと、蛇と、蚊と、ヒルと、毒ガエルと、毒蜘蛛だけで、泥水の中を腰まで浸かって行軍して、寝る時はハンモック、食事は保存食と来た。女の生活じゃないな、我ながら。やってられないわねぇ、文明的な暮らしがしたいわ」
一方的にベラベラ喋りつつ、お母さんは私の横を抜け、ドアの一つの前に立つ。
そこでどういうわけか、ビシッと軍隊風の敬礼をした。
「私の娘の健闘を祈る! じゃあ、また今度ね」
あっさりとドアを開け、お母さんはそこに消えた。ドアが勢いよく閉まり、なんというか、途端に静かになった気がした。嵐が去った後みたいな感慨があるなぁ。
「お嬢様、お時間が」
すっかり存在がかき消されていたエマに促されて、やっと私も正気を取り戻していた。
お弁当箱を受け取り、お母さんが消えたばかりのドアノブを掴む。
「行ってきます」
私がそういうと、「行ってらっしゃいませ」とエマが頭を下げた。
それから数日は、何事もなく過ぎた。カリニアとミーシャのお泊まり会があって、つまり、シナークと別れてから十日近くが経過したことになる。
魔術結晶は稼働を続け、全世界の魔術通信から、指定された情報が含まれていないか探り続けて、でも何の反応もなかった。
お母さんが残していったカードは私の手元にあって、数字が変動し続けていることから、おそらくシナークはまだ生きているんだろう、と確認することだけはできた。
季節は梅雨時になろうとして、晴れる日が減り、曇った日が多くなる。
その日は、梅雨の始まりを告げる雨で、いっそ気持ちのいいような豪雨だった。
学校から帰った私は中庭で咲き始めた紫陽花の花を見ながら部屋に入り、机の上に置かれた魔術結晶が明滅しているのに気づいた。思わず駆け寄り、通知を開封する。
ビンゴ、なのかな?
ヨーロッパの地方都市から、東南アジアの密林のあたりへの魔術通信に、私が網を張っていた座標に近い位置を伝える通信が送られていた。私とお母さんが組んだ魔術構造式が、自動的に暗号を解析していた。
暗号解析には、以前の暗殺事件の前後の情報が自然と加味されている。全く同一の暗号化ではなくても、癖や特徴が引き継がれて、それがきっかけで暗号を破れたらしい。
誰の幸運かは知らないけど、胸の内で私はお母さんに感謝した。
通信相手の情報を探るが、すでに魔術通信の上からは消えている。一人なのか、複数人なのか、もう何もわからない。
ただし、シナークに警告することはできる。
できるけど、あぁ、そうか、シナーク自身は魔力をほとんど失っている。
素早くお母さんがくれたカードを確認し、シナークのいる位置をもう一度、確かめる。
彼はアフガニスタンに帰ったままで、赤羽邸からははるかに遠い。私が魔術通信を送って、どうなるだろう。問題は彼がそれを受け取れるかどうか、ということになる。
いや、やってみなくちゃ、わからない。もしかしたら彼の仲間が、シナークの魔術師としての能力を回復させた可能性もある。
私は自分の中に保存している魔術通信の魔術構造式、その中でも、一番強力なものを選択し、魔力を流し込んだ。
届いて。
お願い。
目をつむり、魔力が世界中へ走っていくのを、私は幻視した。
(第8話 了)
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