8-3 それでこそ

     ◆


 私は昼休みになるのと同時に、小走りで図書館へ向かった。

 これは以前、利用した図書室とは違って、本物の文献が保管されている。敷地の一角に立つ巨大な建物で、蔵書の数は計り知れない。

 一階で十人ほどが待機している司書のうちの一人に、調べたいことについて話すと、司書の間で共有されている魔術結晶に組み込まれた記録装置から、書籍の情報が吸い出される。情報といっても、建物の何階のどこの棚にあるかがわかるだけだ。

 この図書館にある書籍の類は、情報化されずに、書籍の形で保管されているわけだ。中には極めて珍しい稀覯本などもあり、それは特別に書類を提出しないと、触れることはできない。地下にそんな書物がやはり数知れずあるとも聞いている。

 私は階段を駆け上がり、司書に教えられた棚へ急いだ。早くしないと、お昼休みが終わってしまう。

 棚の前をウロウロして、やっとその書籍が見つかった。魔術を使った通信に関する技術書で、実際には雑誌のようなものらしい。棚にはバックナンバーが並び、一角を占拠していた。

 魔術通信の専門誌、という、マイナーな上にマイナーな分野だ。

 雑誌を素早く確認して、目当ての情報を探す。目で追っているとあまりに時間がかかる。

 勉強のために組み立てた魔術構造式を起動すると、私の手の中で、高速で本がめくられていく。それがピタリと止まったページには、私が意識したワードが含まれている。

 一回目は外れ、再び魔術を起動。二回目も外れ。三回目も外れ。

 四回目で、やっと目当ての記事にぶつかった。

 魔術通信を広範に傍受するテクニックに関する記事である。

 えっと、これは……、わかりづらいなぁ。

 やはり魔術で記事自体を意識の中にコピーし、また別の記事、さらに別の冊子の別の記事へと、飛んでいき、必要と感じれば意識に焼き付ける。

 そうこうしているうちに、昼休みも半分が終わってしまい、慌てて本を棚に戻し、走るのも面倒になり、図書館にある何かの個室のドアで魔術通路を形成、そこを抜けると、中庭へ通じるドアの一つを通り抜けた形になった。

 おーい、とミーシャが手を振る。カリニアも小さく手を振った。

「目当ての情報は手に入ったの? 火花ちゃん」

 カリニアがいつものようにハンバーガーを片手に、訊ねてくる。まあね、と応じながら、私は座り込んで、お弁当を膝の上で開いた。食べ物の交換が行われて、素早くかき込んでいく。お嬢様なんだからもっと落ち着いて、とミーシャは苦笑いだ。

「火花ちゃんが来るまでに、ミーシャちゃんと予定を合わせていたんだけど、お泊まり会、この日はどうかな?」

 カリニアがメモを一枚、こちらに差し出す。お弁当箱を離さず、箸も置かず、魔力の流れで受け取り、目の前に漂わせる。行儀、行儀、とミーシャがまた笑う。

 メモに書かれている三つの日付は、どれでも良さそうだ。一番近い日付は一週間後だった。

「たぶん、その三つならいつでもいいよ。でも今、お母さんが家にいて、もしかしたら鉢合わせするかも」

 カリニアが目をキラキラさせる一方、ミーシャはげんなりしている。カリニアにとっては憧れの竜追跡者で、ミーシャにとってはややこしい人、というイメージだと、私もさすがに知っている。

 それからお昼休みが終わるまで、私たちは、私のお母さんの話題でひとしきり盛り上がり、おしゃべりを止めないままラミアス先生の教室へ移動した。

 授業はつつがなく終わり、私は早めに屋敷に帰った。エマが迎えてくれる。

「お母さんはまだいる?」

「ええ、いらっしゃいます。寝ておられるかと」

「昼間からお酒を飲んでいるわけ? 困った人だなぁ」

「明後日にはまた仕事に戻られる、ともおっしゃっていました」

 それは何より。明日一日くらいかけて、お酒を抜く、となると良いんだけど。

 私は夕食の前にお風呂に入り、湯船の中で記憶に焼き付けた雑誌の記事を検討し、思考錯誤しつつ、魔術構造式を組み立てていく。頭の中に収めると、細部がわからなくなりそうで、実際の空中に魔力を投射し、目に見える形で魔術構造式が出来上がる。

 湯気の中に真っ赤な線が、直線と曲線で精密な紋様を描いていく。

「なぁに、それ?」

 急に声をかけられて、危うく魔術構造式が崩れそうになる。

 入ってきたのはお母さんだった。湯船に入ってきて、私の横でお湯に身を沈める。

「通信関係の魔術構造式ね」

 さすがに一目見ただけで、それくらいは見抜けるのだ。お父さんもお母さんも、きっちりと魔術師学校を卒業しているし、その後も経験豊富、百戦錬磨だし。

「魔術通信を傍受する魔術構造式なんだけど、まぁ、見様見真似、っていうか、サル真似、かな」

 自虐的なジョークを言ってみるけど、お母さんは、立派、立派と笑っている。

 それからは、ここはこうすると良い、とか、こういう工夫もできる、とお母さんの魔力が私の魔術構造式の一部を書き換えたり、別の構造式と置き換えることになった。

 珍しく、何も余計なことを言わないのが怖いけど、魔術構造式は私の考えていたものよりはるかに洗練されて、強固なものになった。

「っていうか」お母さんがこちらを見る顔は呆れている。「これじゃあ、世界中の通信を取り込んじゃうわよ」

「自動でいくつかのワードを検出するように働く仮想思考体を稼働させるつもり」

「それで彼氏の状態を知ろうってわけね」

 やっといつものお母さんが戻ってきたな。

「彼氏じゃないよ、そこははっきりと、強く強く、念を押すけど。ただ、あのままどこで死んでも関係ありません、という感じではいられないかな」

「あなたの不手際で、彼の魔術結晶が失われたから、責任を感じているの?」

 責任、か。

 その言葉は、本当の意味もわからないうちから、両親に聞かされていた。

 魔術師は、人間でありながら、普通の人間以上に大きな責任を負う。

 魔術は世界を変える力で、極めれば極めるほど、その魔術の行使に伴う責任は、大きくなるのだ。

 そして魔術師は、責任を放棄してはいけない。

「私にも責任があるのは、事実よ、お母さん」

 堅苦しいわね、と言いながら、お母さんは私の肩を叩いた。お湯が跳ねる。

「でもそれでこそ、私の娘ではあるわ」

 二人ともがのぼせかかった頃、私が構想してお母さんが手助けしてくれた魔術構造式は、完成した。



(続く)

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