8-2 噂の中の暗殺者

     ◆


 家に帰って、部屋で制服から着替えて、シナークに与えていた部屋に行ってみた。

 部屋には生活感はあまりなく、ベッドも整えられている。その上に私が与えた服が、丁寧に畳んで置いてあった。エマがそんな無駄なことをするわけもないので、シナーク自身がやったんだろう。

 ドアを開けてそんな部屋の様子を眺めて、でも踏み込むことができないまま、私はそこに立ち尽くしていた。

「お嬢様」

 背後からエマが声をかけてきた。まったく気配に気づかなかったので、肩が震えた。

「何?」

 振り返ると、いつもより少し無表情に近いエマが、「お部屋はいかがしますか?」と訊ねてくる。

 もう一度、部屋の中を見て、決めた。

「このままにしておきましょう」

「何か、予定があるのですか?」

 珍しいことに、エマは冗談を言ったようだ。反射的に、ないない、と笑いながら応じていた。

「まぁ、そのうち、片付ければいいわよ。それだけのこと」

「本当に?」

「エマ、お母さんに変な思考を植え付けられていない? 大丈夫?」

 謙虚に、失礼しました、と頭を下げてから、お夕飯の支度が整っています、と告げるエマ。

 もうそんな時間か。

 食堂のドアを抜けると、いい匂いが漂う。漂うけど、アルコールの匂いが混ざってる。

「遅い遅い、早く食べましょうよ」

 琥珀色の液体の注がれたグラスを傾けつつ、私の母、朱花が椅子にふんぞり返っている。やれやれ、この人は酒が手放せない人なのだ。

 自分の席に私が座る前に「いただきまーす」と素早くお母さんが箸を手に取り、ローストビーフを口に運んでいる。口の周りにソースがついて、まるで子どもみたいだが、実年齢は四十近いはず。

 お父さんもだけど、私の両親はいつまで経っても歳をとらない。魔術師だから、というわけでも、何かしらの魔術を行使しているわけでもなく、純粋にそういう遺伝子らしい。ちなみにお爺様は年相応に外見も老いている。

「なんでもボーイフレンドの部屋の前に佇んでいたとか?」

 くちゃくちゃと牛肉を噛みつつ、お母さんがそんな風に話を向けてくる。

「ボーイフレンド、という単語を直訳すると、男友達、となるとすれば、確かに友達だったかもね」

「彼氏じゃないのぉ? 火花ちゃん」

「ただの友達みたいなものよ、お母さん。まぁ、私の命を狙う友達というのも、非常に珍しくはあるけど」

 そういう愛の形もあるのねぇ、などとお母さんがこちらをニヤニヤとした顔つきでみる。

 命を狙う愛の形ってなんだ?

「ねえねえ、どこまでいった感じ? あなた、清楚なふりして大胆でしょ? 何回くらいやったの?」

 ……この母親は、やはり人格が破綻している。酒の飲み過ぎじゃないのか?

「何もしてませんからね、断じて。指一本、触れされていません」

 あぁ、もう、私も何を言っているんだか。

「お母さん、そこはむしろ娘の貞操を心配するのが、正しい親のあり方だと思うよ」

「私、常識とか当たり前とか、大嫌い。エキセントリックが好きな単語ナンバーワンよ」

 それはそうでしょうよ。

 まだしつこく変なことを聞いてくる自分の母親に辟易しつつ、やり過ごしていると、急に真面目な話題に進むから、油断ならない。

「あの少年が本当に暗殺者なら、さすがに放り出すのは無責任じゃないの?」

「仲間のところに戻るって言ってたから、その仲間がなんとかするでしょ」

「火花ちゃん、あなたはまだ知らないみたいだけど」

 珍しく、そっとテーブルにグラスを置いて、お母さんが身を乗り出す。

「私たちの前の世代では、「黙らせ屋」なんて呼ばれていて、今の呼称は知らないけどね、とにかく、凄腕の暗殺者集団がいる。魔術師を相手にする濡れ仕事をする連中とは、格が違うわよ」

「黙らせ屋、って、口を封じるってことでしょ?」

「黙らせ屋の仕事は、濡れ仕事に失敗した暗殺者を処刑することが本業。連中は超一流の魔術師であるのと同時に、絶対に姿を見せないわ。姿を見た人間は、まさしく黙らされている、死んでいるのよ」

 お母さんが言いたいことは、わかってきた。

「シナークが、その暗殺者に殺されるって言いたいのね、お母さんは」

「そうよ。シナークくんの今の戦闘力で、やり過ごせるとも思えない」

「仲間がいるんだから、独立派の魔術師でも、抵抗できるんじゃない?」

 私の娘はアホねぇ、とグラスを手に取り、グビグビと液体を飲み干す母親の目が、瞬間、峻烈な光を放つ。

「黙らせ屋は一騎当千、そこらの独立派魔術師の集団なんて、問題にしないわ」

 まるで見たような口調だった。言葉にする前に、そこはさすがに母と娘だけあって、お母さんに私の考えは読まれたらしい。

 五年くらい前ね、とお母さんが顔をしかめる。

「私の同僚に、ちょっとしたトラブルを抱えた奴がいた。で、半分逃げ回るみたいな具合で、私にくっついていたのよ。夜だったけど、なんの予兆もなくて、急にキャンプ地の一角で魔力が走った。それはその、トラブルを抱えた仲間の魔力の気配で、私は反射的に飛び起きて、彼らに気づいた」

 エマがお母さんのグラスに液体を注ぐ。

「瞬きをした瞬間に消えたけど、まるで魔力の気配がしない。完璧に隠蔽していて、攻撃した瞬間さえ、魔力を漏らさない魔術師なんて、滅多にいないわ。その上、私が見ている前で、その暗殺者は消えていて、私の仲間も、消えていた」

「どういうこと? 連れ去られたの?」

「それは知らないけど、何年経っても何の噂もない。死んだんでしょうね。死体を残さないどころか、あいつの寝ていたテント自体はほとんど損傷もなくて、切れ目が一筋あったけど、そこに残っていた魔力の痕跡は、あいつの痕跡で、暗殺者を辿るための痕跡、存在の残滓が、まったく見えなかった」

 そんなことがあるだろうか?

 私も魔術師学校に入って長いけど、大勢の教授や講師と接していて、魔力や魔術の気配を隠蔽している人もいるけど、まったくのゼロ、というのは見たことがない。

 暗殺者が、自分の身元を追われないために、特別に魔術を作り出し、特化させたんだろうけど、そんな魔術を作ること、使用すること自体が、まさに闇の中で仕事をするためとしか思えなかった。

 お母さんが話しているのは、シナークのような立場の魔術師とは違う、もう一つの形の暗殺者なんだ。

「あなた、もう彼を放っておくつもり?」

「それは……」

 お母さんが嬉しそうに笑う。

「やっぱり二人でよろしくやってたんじゃないのぉ? 淋しいんでしょ、あなた。そんなせつなそうな顔しちゃって! あらまぁ、私の娘がそんな年頃になるとは、私、感激だわ。でもお父さんは血相を変えるでしょうねぇ。その顔をぜひ、しっかりと観察したいなぁ」

 ……やっぱり、この親は、ダメだ。

 私はまた元の酔っ払いモードになった、正気を失っているとしか母親の言葉をかわし続け、さっさと料理を胃に流し込んだ。



(続く)

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