第8話 放り出さない少女
8-1 不可解な感情
◆
シナークの部屋で魔術の気配が起こった時、私は自分の部屋にいて、反射的に振り向いていた。でも当然、壁があるのだから、私の部屋の壁が見えるだけだ。
制服を整えて、廊下へ出ると、エマが待っていた。
「シナークは行ったみたいね」
確認するつもりでそう訊ねると、はい、とエマが頷く。
「魔術通路が一瞬で彼をこの結界から離脱させました」
「彼は……」
言いかけて、ぐっと口をつぐむ。
どこへ行ったのか、と聞こうとした自分は、何をそんなに気にしているんだろう。
シナークは自分でここを出て行くと言ったし、その方法もある、と言っていた。なら彼はきっと、仲間のところへ戻ったのだ。今まで彼を育てて、一緒に過ごした仲間の元へ。
ここにいても、彼は完全には馴染めないだろうとは、想像していたし、なら出て行くだろうとも自然に思っていた。
それでもその自然な流れに抵抗するべきではないか、と思うのは、彼が魔術師ではなくなってしまったということに対する私の責任と、普通の人間の力しかない彼を、正体がわからないながらも絶対に彼を狙う存在から守るべきではないかという、うーん、使命感のようなもの、それがあるわけで。
ため息をついて、忘れることにした。
制服が乱れていますよ、とエマが素早く直してくれる。制服もちゃんと着れないとは、私も動揺しているのかな。
「行ってくるね。お母さんをよろしく、エマ」
「承知しました。行ってらっしゃいませ」
頭を下げるエマを残して、いつも通り、自分の部屋の隣の部屋のドアを開ける。
ドアの向こうは、魔術師学校の廊下だ。午前中の授業を受ける教室に向かう途中、すれ違う生徒たちは特にいつもと変わらない。
午前中の授業をどうにかこうにかやり過ごして、お昼休みになった。
中庭でカリニア、ミーシャと三人で車座になる。
魔術師学校はその性質上、午前中の授業と午後の授業の進行速度にズレが出ることがままある。
ミーシャと私は同じ学年だから、同じような内容の授業を受けているはずだけど、言語が違うので同じクラスではない。
ミーシャとカリニアは同じ言語で同じ授業を受けているとは聞いている。しかし、カリニアは一年留年しているにも関わらず、魔術師としての能力で留年したので、午前中の授業ではカリニアはミーシャより先に進んでいる。だからミーシャとカリニアは同じ教室で授業を受けていない。
その辺りの事情で、ミーシャは昼食の時、カリニアに午前中の授業のわからないところを聞いている。私の英語力ではわからない部分が少しあるけど、世界史についてだと察しがついた。
大きな弁当箱を抱えるようにして食事をしつつ、二人のやり取りを聞き、でも思考は食事とも二人とも別のところに行っていた。
シナークのことが頭を離れない。
なんでかな。
もう私の元から去ったわけで、私が関わる理由はなくなった。
ただの他人同士に戻ったわけだ。
でもどうしても割り切れない何かがある。友情とは少し違うかな。家の猫が産んだ子猫を、どこかの里親に渡したような感じ? 猫にしては凶暴だし、子猫でもないわけだけど。そもそも私は猫を飼ったこともないし。
「考え事しているわね、火花」
ミーシャの言葉にそちらを見ると、苦笑いだ。カリニアはおろおろしている。
「紙を食べているわよ」
紙……。
何か硬いものが口にあると思ったら、お弁当箱の中の仕切りでもある紙の容器を食べていた。バツが悪いけど、慌てるのも癪なので、ゆっくりと口から取り出し、「美味しかった」と言っておく。私のジョークに、二人が失笑する。
「それでさ、火花ちゃん」カリニアが話題を切り替える。「火花ちゃんのおうちに泊まりに行くの、まだダメ?」
「ああ、その話? うーん、今はお母さんがいるけど、良いと思うよ。すぐにまた仕事に行くでしょうから」
そう答えると、カリニアとミーシャが視線を交わす。
「今まではなんでダメだったわけ?」
ミーシャが少し目を細めて、訊ねてくる。正直に言っても信じてもらえないだろうけど、少し脚色するか。
「ちょっと物騒な奴を、屋敷に閉じ込めていたのよ。で、いなくなったから、もう問題ない、ってこと」
「物騒って何よ?」
「物騒は物騒かな。でも私の実力は知っているでしょ? 生半可な物騒なんて、焼き払っちゃうのよ。で、相手も諦めて、さようなら、ってこと」
「殺したんじゃなくて?」
「殺しは一般人も魔術師も、犯罪よ?」
どうかねぇ、とミーシャが嬉しそうに笑う。私をからかえるのが楽しいんだろう。
「焼き殺して、骨にして、砕いて庭に蒔いたんじゃない?」
「それだったら焼かずに普通に殺して、死体を肥料にするべく、庭にまくわね」
食事中にやめてよぉ、とカリニアは涙目になっていた。さすがにミーシャも今は顔をしかめている。面白いジョークのつもりだけどなぁ。
ちょっとお母さんに近づきすぎている気がする。
私も人格が破綻しないように、気をつけなくては。
食事が終わり、お泊まり会の日程を調整しながら、ゼミの教室へ向かった。すり鉢状の教室に入ると、天地逆転の状態で、ラミアス先生が浮かんでいる。空中に何かが浮いていると思ったら、巨大な茶色い水滴で、コーヒーに見える。
私にだけ見えるように、彼がぱちっとウインクしてくる。私は視線で、つい一昨日の礼を改めて伝えた。
ゼミでは魔術構造式を掛け合わせる実習が行われ、私たち三人が次々と魔術構造式を生み出しても、先生は必ず綻びを見つけ、しかも綻びの中でも全体が崩壊するような綻びなので、先生がそこを突くと、魔術構造式は全体が崩れ落ちるように雲散霧消した。
必死に作業を続けるうちにチャイムが鳴った。
帰ろうとした私を、ラミアス先生が呼び止めたので、カリニアとミーシャには先に行ってもらった。すり鉢状の椅子の群れの中でに、二人きりになる。
「あの少年はどうなった?」
「元いた場所へ帰りましたよ」
「そんなに早く回復したの? お父さん、ではなく、お母さんが帰ってきたのかな」
ご明察です、というと、それ以外にはないからね、と先生は笑う。
「賢竜派からの連絡があって、悪魔はあの一件を水に流すと決めたようだ。ハルハロンを飲み込むのも諦めたらしい」
「ハルハロンを飲み込む?」
そうか、あれ以来、ハルハロンは私のそばに現れていない。
私が賢竜派のドラゴン、アエロゲニンに魔力を吸い出されて、彼も休眠状態に入ったと思っていた。
「ハルハロン、聞こえている? ハルハロン?」
呼びかけると、頭の中で微かに雑音が走る。
(聞こえている)
良かった、無事だったらしい。
そんなことを思うと、散々だったよ、と頭の中で声が響く。
(悪魔と戦って生き延びるなど、我ながら出来過ぎだ。もっとも、守護霊体ではなく生身なら、死んでいたがね)
「どうした姿を見せないの?」
(お前の魔力を食い過ぎるからだ。自分が今もまだ腹ペコだとわかっているだろう)
それは事実だった。私はまだ、絶好調の時の魔力の半分程度しか、体に蓄積されていない。守護霊体と契約を続ける力はあっても、彼が具現化して姿を見せれば、さすがに疲れるだろう。
「迷惑をかけたわね。ゆっくり休んで」
(そうさせてもらおう)
ハルハロンの気配が消える。ラミアス先生が穏やかに微笑む。
「守護霊体にも感謝した方がいいよ、火花ちゃん。ハルハロンという特殊な存在がいなければ、今頃、きみもシナークくんも、行方不明のままになっていた」
「ええ、はい、それは」
「引き止めて悪かったね。また明日、ここで会おう」
頭を下げて、私は部屋を出た。
この前の一件では、本当に多くの人に迷惑をかけた。
全て、私の未熟さ故だ。
少し落ち込んだ気持ちで廊下に出ると、二人の友人がそこで待っていてくれた。
二人が笑って、「ちょっとお茶でも飲もうよ」と言ってくれる。
その一言がさりげないのに、強く、私を支えてくれた気がした。
(続く)
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