7-2 酔っ払いは語る

     ◆


 どこかで誰かがしゃべっている。

 ひっきりなしで大声で、しかも時折、大声で笑っている。

 不快感の中で目を覚ますが、喉が焼けるように痛い。何か、変なものを飲んだかもしれない。胸焼けというか、胃痛もする。ともすると胃がひっくり返りそうなほど、具合が悪い。

 目を開けたいのに、目元も腫れぼったい。それでもどうにか、視界が滲みながらも、像を結び始めた。

 そこには普通の服に着替えた例の女性が椅子に座っていて、式神を相手に何かを飲んでいる。

 急に記憶が蘇った。蘇ったが、今にも胃の中身を吐き出しそうで、理解したくない。

「あれ、起きたわね」

 杯を傾けながら、女性がこちらに気づいた。ニコニコと嬉しそうに笑っている。

「あのお酒はロックで飲むものじゃないわね。色々と試したけど、グレープフルーツジュースで割るといいとわかったわよ。割合は二対一」

 どうでもいい情報だけど、あの変な濁り酒にグレープフルーツジュースを混ぜたがる精神が理解できない。

 飲む? と杯がこちらに向けられるので、首を振るが、ぎこちなくしか動かない。

 ぐいっと杯を干すと、式神がすぐに酌をする。女性がこちらに向き直った。

「エマからおおよその話を聞いたわ。まぁ、私の娘にしてはよくできたことに、暗殺者をかくまうとは、まったく、見上げた根性だと思った。で、仲良く過ごしていて、トラブルに陥った、と。なにやってんのかしらねぇ、私の娘は」

 赤羽火花が全て悪いわけではないが、それをうまく説明する自信が、俺にはない。

 女性が杯を傾けつつ、一人でしゃべり続ける。

「元は魔術師の暗殺者で、トラブルが収まってみれば、ただの人間で、しかも動けないとは、恐れ入った。私だったらもっとうまくやるだろうけどなぁ、まだ未熟なのね、私の娘も。あれでも箱入り娘になりそうだったから、うまく方針転換したつもりなんだけど、ダメかしらねぇ」

 箱入り娘、ね。そう言えなくもないな、今の赤羽火花は。

 そんなことを思っている俺の顔を見て、女性がクスクスと笑う。笑うが、すでに酒臭いのに気づいた。昔から俺はあまり酒臭いのが好きじゃないんだけど、しばらく赤羽火花くらいしかそばにいなかったので、久しぶりの感覚だ。仲間たちは機会があるごとに飲んでいた。

 今、急にその仲間たちの顔が頭に浮かんだ。

「面白い魔術構造式を刻まれたみたいね。ぜひ、勉強させてもらいたいけど、何と交換する?」

 杯片手にそう言われて、俺は少し考えた。

 考えたが、博士の考案した魔術構造式は、誰にも教えたくないという思いが強固になるだけだった。

「教えませんよ」

「私があなたにイイことをしてあげても?」

 この人は頭がどうかしているのか?

 冗談、冗談と笑いながら、こちらへにじり寄ってくるが、逃げたくても逃げられない。式神が離れて見守っているので、乱暴狼藉を働かない、と願いたい。

 こちらに手が伸びてきて、何をされるかと思ったら、額に手を置かれた。

 急に記憶が蘇る。それも十年以上前の記憶だ。

 まだ両親と姉と一緒に貧しい暮らしをしていた。あの時、俺と姉は風邪をひいて、ひどい熱を出したんだった。薬を買うこともできず、両親はただ、神に祈ってた。

 どんなに貧しい家でも神を意味する刻印が柱に刻まれていて、それを拝むのだ。

 繰り返し拝んだ後、母が俺の額に手を置いた。ひんやりとした手だった。

 そして、目元を泣きはらしていた。

 今、なんでそれを思い出すのか。目の前の、母とは似ても似つかない女性が、俺の記憶でも探っているのか?

「熱はないわね」

 そう言った声が、記憶の中の母の声なのか、目の前の女性の声なのか、わからない。

「魔術師の家系というのは、さすがに私でもわかるわ。こういうの、蛇の道は蛇、とでも呼べばいいのかしらね。たいした才能はないようだけど。よくこの山の結界を突破できたわねぇ。元はすごい魔術師だったのかしら?」

 あっという間に母親の顔がかき消えた。

 現実に戻ってきた、と思うと、不思議に安心した。何に安心したのかも、わからないまま、ただ安心した。

「良い医者を知っているんだけど、呼ぼうか?」

 顔を覗き込まれる。母親の顔を重ねたから、妙に照れくさくて、自然と顔が熱くなった。

「そんなに恥ずかしいことでもないよ、安心しなさい。私の娘も小さい時は、もう、頻繁に熱を出して、それはもうしつこくて嫌がらせかと思ったわ。お爺様はカンカンに怒るけど怒るだけだし、旦那はアタフタして使い物にならないし。私が手配して何度も医者を呼んで、赤羽家を救ったのはこの私よ、実質的にはね。その時のことを今、思い出していたところ」

 とにかく喋る人だな……。

 杯の中身をもう何度目かわからない豪快な動作で干して、勢いよく、ほとんど叩きつけるようにテーブルに置いた。そしてすっくと立ち上がるが、ふらふらとたたらを踏んでいる。

 大丈夫かよ。俺を心配する以上に、自分自身が。

「じゃ、医者を呼んで参ります」

 ほとんど性質の悪い酔っ払いだった。

 ドアを開けて女性が出て行くと、式神がテーブルの上を片付け始める。視界の隅にガラスの容器に満たされた、変な色合いの、なんというか、黄色がかっていながら薄く濁っている液体が見えた。しかも何か、細くて長いものが沈んでいる。

 見なかったことにしよう……。

 と、またドアが開いた。女性がドアを開けて出て行ったのはつい三十秒前なのだ。どこの医者を連れてきたんだ?

「名医を連れてきたわよ!」

 女性が俺の視界に戻ってくるが、連れているのは、若い男で、見るからに怯えていた。

「や、やめてくださいよ、赤羽夫人、ご主人に殺されてしまいます」

「その前に私が殺しちゃうわよ?」

「ぶ、物騒だなぁ、殺すだなんて……」

 連れてこられた男は、背広を着ているけど、どこかヨレヨレで、似合っているとはお世辞にも言えない。背広を着せられている、という感じだ。

「この少年を診察しなさいよ、ダングリンガーくん、報酬は秘境で手に入れたお酒よ」

「お酒はあまり好きじゃないんですよぉ、赤羽夫人。前も話したでしょ? あなたに付き合って酔い潰されて身包み剥がれた仲間の噂、よく聞こえてますよ」

「あれぇ? どこかの医者が意味不明なことを言っているなぁ? 殺しちゃおうかなぁ?」

 ダングリンガーと呼ばれた青年が汗を途端にダラダラと流しながり、なんでもありません、と直立の姿勢になった。その肩をポンポンと叩く女性は、俺から見ても恐怖以外の何物でもない。何も言わずに肩を叩くだけにする辺りが、余計に悪質だ。

 言葉以上の脅迫の形がはっきり見えた。

 不憫なことである。



(続く)

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