第7話 デタラメな女性

7-1 帰還者

     ◆


 俺は赤羽邸の窓の外を、ただぼんやりと見ていた。

 ドラゴンと対面して気を失い、目覚めた時には全身がまるで自分のものではないように、ピクリとも動かなかった。

 赤羽火花の前では、どうにかこうにか、水のグラスを持ち上げて見せ、飲んで見せたが、諦めそうになる気力を叱咤して、どうにかやっただけだ。

 彼女が去ってから、式神が料理を運んできたが、式神には席を外させた。

 それから粥の入った椀の中身を食べるのに、一時間もかかった。式神は、顔を見せなかった。

 ベッドに横になると、まだ食べ物を欲している自分がいるのに気づく。でも今は無理だ。もう腕を動かすのも億劫で、何よりも、苦痛だった。

 俺は一体、どうなってしまったんだろう?

 これからもう二度と、体を動かせずに、寝たきりか?

 俺の体に博士が刻み込んだ魔術が、まったく感じられないのも不安だった。

 もしここを誰かに襲撃されれば、何の抵抗もできない。もっとも、この赤羽邸に侵入できるものは、ある程度、限定される。今はそれが最後の頼みの綱になっていた。

 赤羽火花が言うには、今は一時的に魔力が枯渇しているという。その原因はドラゴンと同時に、俺自身に刻み込まれた魔術刻印の性質もあった、と彼女は説明した。

 非常に言いにくそうに、魔術構造式に安全装置がない、とも言っていた。

 その様子から、彼女が俺に魔術構造式を刻み込んだ人を擁護する意図が見えて、俺はただ、そうか、と応じるしかできない。

 俺の感覚では、博士がそんなミスをするはずがない。たぶん、別の形で安全装置はあったのだ。おそらく、魔術結晶にそれが組み込まれていた。

 本来的に俺の家系は魔術師としての血が薄まり過ぎていたこともあるだろう。それはそのまま、魔力の量が少ない、ということに繋がるわけで、その魔力の少なさを補うためには魔術結晶が不可欠ということになるのが自然だ。

 きっと、博士は魔術結晶に安全装置を組み込んで、魔術結晶から魔力が枯渇し始めれば、そこで俺の魔術構造式は、停止する仕組みだったんじゃないのか。

 記憶を振り返れば、博士は俺に、魔力の補給を忘れるな、と繰り返して言っていた。それで今までは半年に一度ほど、仲間から魔力をもらって充填していた。前の補給からは三ヶ月も経っていないから、まだ余裕は十分にあったと思う。

 とにかく、今の俺は魔術結晶も失い、魔術構造式も失い、体を動かすための基礎的な魔力にさえ事欠いているわけで、みっともないったらない。

 横になったまま首を傾け、じっと外の青空を見るしかできないのだ。

 思わず重い溜息が口をついて出た。

 瞬間、ものすごい勢いでドアが開いた。

「ただいまー、って、こっちは昼間か」

 どうにか頭を持ち上げると、見知らぬ女性がそこにいた。服装はどこかの軍隊のような迷彩のつなぎで、腰に魔術師が使う剣が下がっている以外は、兵士に近い。剣のすぐそばに卵型の手榴弾が二つ下がっている。

 背中には大きなバックパックを背負っていて、こちらも軍隊仕様に見える。驚くべきことに、何気なく自動小銃が二丁、そこにあった。もっと観察すると、ベストを着ていて、いくつものポケットには弾倉のような膨らみも見える。とにかく、物騒ではある。

 ただ、異質なのは、その人物が頭にターバンのようなものを巻いていることと、大きなサングラスで目元を隠していることで、なんというか、砂漠の民に見えなくもないけど、服装はやっぱり兵隊で、ちぐはぐだ。

 その人物、おそらく女性がこちらをサングラス越しに見る。

「あらあら、私の娘はいつから男を囲うようになったのかしらね」

 私の娘?

 俺が疑問に支配されている目の前で、女性がターバンを剥ぎ取るように外すと、真っ黒い長い髪が広がった。広がったが、本人はターバンから舞い上がった煙みたいな細かい砂にむせて、咳き込んでいる。

「ゲホッ、エホ、エホ……で、君、名前は?」

 黒髪の女性がサングラスも外す。東洋人で、年齢は二十代にしか見えない。顔の造りがどこかで見たことがある、と思ったら、赤羽火花にそっくりなのだ。

 まだ呆然としている俺に歩み寄る女性は、まったく警戒した様子はない。それもそうか、こちらは寝た姿勢で動かないわけだし。

「魔術師にしちゃ貧弱ね。一般人?」

 非常に答えづらい質問だけど、俺が答える前に、あー、そうか、と勝手に女性が納得し始めた。

「この屋敷というか、この山の結界は完璧だから、普通の人間が侵入できるわけないよね。つまりきみは魔術師ってわけだ。で、この屋敷に来るってことは、赤羽家の誰かが目当てで、まさか夜這いでもない、となれば、暗殺、かしらね? でしょ? でしょ?」

 ……実にハイテンションな女性ではある。夜這いは聞き流して、おおよそは筋が通っていそうだ。

 俺が黙って横になっていると、女性はすんすんと鼻を鳴らす。何か臭うのか?

「エマはまだ何も作ってないわね」

 ……ここに漂う匂いで料理しているか、わかるのか?

「あなた、動けないようだけど、私の娘に手を出そうとして、逆襲されたって感じかしら? 私の娘は、私に似ていなくて力任せだから、やりすぎちゃうのよねぇ。才能があるって、不憫なことね。私くらい慎み深ければ、もっとやりようもあるのに。で、どこまで行ったの? 教えて? ねぇ、教えて? ね? ダメ? 恥ずかしい?」

 この人、大丈夫かな。

「もしかして最後まで行っちゃった? それで口外すると、私の娘に殺されるから、黙っているわけ? 言わない、言わない、誰にも言わないから、お母さんに話してみなさい」

「何もしてませんよ!」

 思わず言い返していた。調子が狂うなぁ。

 またまたぁ、と言いつつ、女性が荷物を床に下ろすと、ものすごい低い音がした。重そうだ。

「で、私の義理の息子になるあなたの名前は?」

 いや、ならないけどな。

「シナークです」

「シナーク……?」

 急に女性が真面目な顔になり、眼を細める。何か変なことを言っただろうか?

 黙って見つめ合う形になるが、やっぱりこの人は、どこかこちらの調子を狂わせる気がする。

 真面目な顔がニコッと笑顔に変わり、バックパックを漁り始める。

「つい三日前に珍しい蛇を見つけてね、ハブ酒みたいにすると良いって現地の人に聞いたのよ。で、無理を言ってアルコールももらってね、それがちょっと乳酸飲料みたいなテイストの濁ったお酒で、ま、良いか、って具合な判断で、放り込んでおいたんだぁ。ちょうど良い具合だと思うよ」

 訳がわからないが、乳白色の濁り酒に蛇が沈められているのは、ホラーでしかない。

 っていうか、まだ未成年だし。ここは日本の国内なので、お酒は二十歳になってから、が常識のはずだけど、この女性には常識が通じるのだろうか……。

「まぁ、一杯飲んでみなさいな」

 取り出された木の器に、怪しさしかない焼き物のボトルから、まさに濁り酒が注がれる。ボトルの口からちょっと蛇が覗いたりして、気の弱い人間が見たら卒倒したかもしれない。

「あの、子どもなんで」

 どうにか言い訳をしたが、女性はキョトンとして、不思議そうに言う。

「最後までやったんでしょ? 大人じゃない」

「やってませんって! 何も!」

 まあまあ、と言って、寝ている俺の口に器が押し付けられ、何の嫌がらせか、鼻をつままれたので、口を開けるしかない。

 とんでもない味の液体が喉を抜け、一瞬で体が燃えるように熱くなった。

 視界が急にぼやける。女性が何か言っている。

 やりすぎたかな、と聞こえた気がしたが、理解する前に俺は眠りに落ちていた。

 というか、気絶したんだと思う。



(続く)

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