6-2 救命
◆
まずは、とラミアス先生が言いかけた時、まさか、と口から言葉が溢れた。
「おいおいおいおい」
先生がシナークの体をうつ伏せにして、パーカーを引き裂く。
露わになった少年の背中の真ん中が、真っ黒くなっている。
違う、そこにあったものを、私は見ている。それも今日、ついさっきに。
そこには、綺麗に輝く魔術結晶が埋め込まれていたのだ。
それが今、全ての光を失い、そして目の前で粉々になり、消えていく。
「せ、先生、これって……」
「時間はないって、ことだね。ドラゴンは彼の魔術結晶を、代償として奪っていったんだ」
先生が顎に手を当てて、呟く。
「代わりの魔術結晶を用意する暇も、接続する暇もない、となると、やはり最初のやり口しかないな」
「最初のやり口って何ですか?」
それはね、と先生がウインクしてくるけど、どこかぎこちない。
「シナークくんの魔術構造式を全て焼き払う、っていうことだよ」
「魔術構造式を、焼き払う、ですか?」
「今、彼が意識を失っているのは、魔術構造式が常に彼の中で作用していて、一人でに魔力を吸い出しているからだろう。本来なら、彼の体に組み込まれていただろう魔術結晶が、魔力を供給したんだ。しかし今は魔力をごっそりと抜き取られ、その上、魔力の源になる魔術結晶もこの通り、崩壊した。彼はもう、魔術構造式に送り込む魔力が底をついていて、それでも魔術構造式に力を吸い取られ続けていることになる」
そんなことはありえない、と反論しようとした。
だってそんな魔術構造式は、安全を度外視している。本来の魔術や魔術構造式は、使用者の命を奪うような事態にならないように、安全策が講じられる。
ただ、シナークには別の事情があったかもしれない。
彼は暗殺者で、彼に魔術構造式や魔術結晶を施したのは「独立派」とかひどく言えば「ダスト」と呼ばれるような、はぐれ魔術師なのだ。
そんな魔術師が、安全を考慮しない、というのはありそうなことだ。
ありそうなことだけど、そんなに酷いことをするだろうか。
だって、シナークは彼らの仲間で、家族なのに……。
そんなことを考えている暇もないんだ。今は、シナークを救わなければ。
「どうするんですか? 先生」
「きみの血筋に宿る、例の炎を使うしかない。できるだろう? 火花ちゃん」
「「魔術焼却」の炎、ですよね。今、少し私も魔力が……」
私もハルハロンに魔力を消費し、その上でドラゴンに魔力を奪われたばかりで、回復しているのは全力の一割程度だ。
先生もそれには気付いているはずだ。しかし私以外に、最適な行動、最善の行動を取れるものはいない。
「きみが万全じゃないのは見ればわかるよ。でもまずは、シナークくんの魔術構造式を停止させる必要がある。僕が魔力経路を構築するから、そこへきみが炎を流し込めばいい。もちろん、僕の魔力経路ですら焼き払われるだろうけど、気にせずにやってくれ。急ごう」
ラミアス先生らしくない素早さで私の手首を掴み、もう一方の手は、シナークの首筋に触れている。
私の意識の中に先生の魔力が流れ込むと、その時にはシナークの中の魔力の流れがよく見えた。
私は意識の中で、魔術構造式が起動する。
赤羽家に伝わる秘伝の魔術構造式と、それを稼働させる素質を持つ赤羽家直系の血に宿る、特殊な魔力。
私の魔力が「魔術焼却」と呼ばれる性質を帯びて、まずラミアス先生に走る。
それが「精密機械」と呼ばれることに納得するしかない、まさに精密なコントロールで、ラミアス先生の導きでシナークへ流れ込む。
シナークの魔術構造式へと私の魔力が流れ、瞬間、私の中の魔術構造式が私の魔力を変質させる。
かすかに呻いたのは、ラミアス先生だ。
シナークは何も言わないけど、彼の首筋の肌に、黒いシミが生まれる。
私はそれ以上、目を開いている余裕もなく、極端に少ない魔力を必死にかき集めるべく、目を閉じて自己の内側に集中した。
焦げ臭い匂いがする理由は無視して、ラミアス先生の魔術経路さえも焦げ付かせながら、私は必死にシナークの魔術構造式を焼いていく。
どれくらいの時間が過ぎたのかわからないほどの高い集中と、内面への没入。
最後の最後まで魔力を流し込んだ時、よし、と低い声で言ったのは、ラミアス先生か。
私はやっと目を開けて、汗の滴が目に入って、反射的に閉じた。パーカーの袖で目元を拭い、やっと視界がはっきりする。
まだ意識を取り戻さないシナークの背中には、黒い筋が一面に、極端に精緻な文様の連なりとなって無数に浮かび上がっている。
それは私が魔術構造式を焼いた痕跡だった。元からそれだけ複雑な魔術構造式が、シナークには刻み込まれていたのだ。人間業とは思えない、繊細な仕事だった。
ラミアス先生の方を見ようとして、急なめまいによろめいた。
そっと支えてくれたのは、そばに控えていたエマだった。
「疲れたかい? 僕も疲れたよ」
そう言うラミアス先生は、どこか青い顔をしながら、両手を揉んでいたが、すぐに白衣のポケットに突っ込んだ。まるで隠すみたいに。それから先生はじっと、覗き込むようにシナークの顔を見た。
「とりあえず、シナークくんの魔術構造式は機能を停止している。もう再起動することもないようだね。魔力が極端に枯渇している状態だけど、あとは自然に回復するのを待つしかないかな。目を覚ますのには相当に時間が必要だろう」
「私が、魔力を流し込んでもダメですか?」
「急に魔力を流し込むのはショック症状を引き起こす、と魔術学会の医者たちが、魔術師への治療法をまとめた論文の中で発表していたはずだよ。少しずつ流し込めば、あるいは回復を早めるかもしれないけど、今の火花ちゃんにそんなに魔力の余裕があるとも思えないけど?」
それは、そうだけど……。
「少しは反省しなさい、火花ちゃん」
白衣のポケットから先生の右手が飛び出して、ぽかっと私の頭を打って、またポケットに戻っている。顔を見ると、真面目な顔をしている。
「魔術通路が破綻することくらい、シナークくんの魔術構造式を把握していれば、想像がつきそうなものだよ。そもそもこの屋敷に忍び込んだんだろう? それなら、それ相応の力量があることも、はっきりしている。さすがに魔界に落ちるのは想像できないけど、しかし、魔術通路の破綻は想像が可能だ。今回の件は、きみの見通しの甘さや、油断が招いたんだ」
「はい……」
その通りだと、素直に思えた。
先生に言われるまでもなく、海に向かった時も魔術通路は一度、破綻した。なのに帰り道の魔術通路が破綻することはないと、私は思い込んでいた。
強化したから、補強したから、大丈夫だろうと甘く見たのだ。
「反省したかな?」
正直、私は泣きそうだった。
全部、私が招いて、シナークがこんなことになって、どうしたら良いんだろう?
「返事は?」
「はい、反省しています」
どうにか答えると、頭を撫でられた。
「許すとしよう。シナークくんの命を奪いかけたのがきみでも、それを救ったのもきみだ。大目に見て、自分で自分の始末をつけた、としておこう」
グリグリと私の頭を強く撫でてから、先生は、腹が減ったなぁ、と言いながら、エマの方を見た。そっと私から離れて、エマが「何かご用意いたします」と頭を下げた。
エマが調理室へ消えると、ラミアス先生は椅子に腰掛け、あーあ、と天を仰いだ。
不意に、気づいたことがある。
「先生はどうして、私自身に魔術通路が破綻する可能性が予見できたことを、知っているのですか?」
「え? なんのこと?」
「さっき、そんなことを言いましたよね? それに、シナークが屋敷に忍び込んだことも、知っているようでした。なぜですか?」
それはねぇ、まあねぇ、そうだよねぇ、などと先生はなかなか答えず、その後の言葉は、
「僕はワインが飲みたいなぁ」
だった。
誤魔化したいらしいから、あまり深追いしても悪いので、私はもう追及しないことにした。
先生は私がシナークを救ったように口にしたけど、先生がいなければ、私だけだったら、何もできなかったはずだ。
今頃、シナークは、死んでいたはずなのだ。
「お土産でご用意しますね」
私がそういうと、うんうん、とラミアス先生は満足そうに頷いた。
エマが戻ってきて、新しいテーブルを素早く用意し、先生の前にスコーンをいくつかと三種類のジャムを置いた。マグカップにコーヒーも注がれて、湯気が上がっている。
「気が利いているね、僕は紅茶党じゃなくて、コーヒー党なんだ」
その言葉に、エマが嬉しそうにかすかに微笑み、「旦那様もです」と答えている。
私はその時、やっと気づいた。
マグカップを持ち上げる先生の指先が黒く染まっている。今も指先が黒いけど、見ている前で肌色へ戻っていく。超高速の、治癒系の魔術だろう。
私の炎の経路になった先生も、無事では済まなかった、ということらしい。
感謝の言葉を胸の内で意識しつつ、ちゃんとしたワインを用意しよう、と私は席を立ってお父さんが管理している地下のワインセラーへ向かった。
(続く)
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