第6話 償い

6-1 賢竜派

     ◆


 目の前の銀髪が美しい青年は、人間じゃない。

 私は思わず体を強張らせて、彼をじっと観察した。年齢は二十代に見えるが、そんなのは形だけだ。

 ドラゴンが人間の姿になることは、魔術師の間では知れ渡っている。

 ただし、本当に人間の姿をしたドラゴンはそれほど目撃例がない。一部を除いて、だけど。

 ラミアス先生が穏やかに訊ねる。

「あなたの名前は? 僕はオースン・ラミアス、彼女は赤羽火花、彼の名前は、あー、聞いていない」

「シナーク」

 シナークが短く答える。

 私たちをぐるりと見たドラゴンの男が、ひび割れた声を発する。

「私の名前はアエロゲニン」

「年齢は?」

 即座に先生がドラゴンに質問する。かなり場違いというか、この人は緊張とか動揺とか、ないのだろうか。

 アエロゲニンと名乗ったドラゴンが、わずかに顔をしかめる。ここまで無表情だったが、そういう表情はできるらしい。

「六〇〇を超えていると思ってもらえればいい」

「それはすごい。しかし人間にはなりきれていないね」

 今度は一転、挑発するようなラミアス先生に、アエロゲニンは眉をひそめる。

「なぜだ?」

「声が不自然だよ。気づかない?」

 その言葉を受けて何度か咳払いすると、澄んだ声がアエロゲニンの口から出た。

「これでどうだ? ラミアス」

 良いね、と親指を上げた拳を突き出す先生に、またアエロゲニンが嫌そうな顔をする。もしかして先生は何か、相手をからかいにからかって、話題を変えたいのかな。

 アエロゲニンは黙り、それからまず私、次にシナークの方を見た。

「人間が魔界に入り込んだことで、私はここにいる。お前たちの行動は、賢竜派と悪魔の関係に、大きな問題を起こしていることを、理解しているか?」

 賢竜派と悪魔の関係?

 ドラゴンに聞き返そうとするが、それより先にアエロゲニンが答えた。

「人間と悪魔は基本的に接触しない。現代では、と前置きする必要があるが。それでも悪魔は人間の世界を常に狙っている。すでに魔術師たちも忘れ去っているようだが、古い時代、人間とドラゴンと悪魔の間で、ある種の協定があった。それは形を変えながらも今も継続されている」

 私の中にある疑問に、ドラゴンが答えていく。言葉にしていないのだから、これは、心を読まれている?

「人間の魔術師としての力が弱まっていくのに直面し、それを憂いた魔術師たちは、賢竜派と新たな関係を結んだ。賢竜派が悪魔への防壁となり、その代償を魔術師は賢竜派に支払っている。魔術学会の秘密のひとつだから、私からは詳細は口にしない。どちらにせよ、今、悪魔は賢竜派と釣り合いを取っている。その釣り合いを、お前たちは破壊している」

 私は何も言えずに、まじまじと目の前のドラゴンの男を見た。

 まったく知らない話だった。誰も教えてくれなかったのだ。

 悪魔の存在は文献で読んでいたけど、実際に見たのもつい数時間前が初めてだし、自分が魔界に入り込むことも、想像だにしなかった。

 身を守るためとはいえ、私とシナーク、そしてハルハロンは、悪魔と戦ったのだ。

 アエロゲニンが言っている、釣り合いを破壊した行為は、間違いなく私たちの行動に起因している。そこだけは、疑いようがない。

「あれは事故だよ」

 ラミアス先生が口を挟む。その先生を前に、アエロゲニンが少しだけ目を細めた。ラミアス先生は平然と続ける。

「たまたま魔術通路が破綻して、二人は迷い込んだだけだと思う。意図的に魔界に踏み込むなんて、今の魔術師の技量ではできないさ。例え、魔術学校が誇る才能の持ち主でもね」

 それは、私のこと?

「そちらの少年の魔術は確かにイレギュラーで、残念ながら魔術師学校も、それ以前に魔術学会もおそらく把握していない。そこは僕も謝罪するしかないけど、責任を取るのは、どうしたらいいかな……」

「魔術学会の管理不足ではないのか?」

 かすかに責めるような色のある声に、ラミアス先生が眉をハの字にする。

「魔術学会は万全ではないんだよ。全ての魔術師を完全にコントロールして、全部の知識を把握するのは、無理だね」

「人間の魔術師も、落ちたものだ」

「上層部に今のお言葉、ちゃんと伝えるよ」

 不愉快だ、という顔で、改めて、アエロゲニンが私とシナークを見る。

「二人から相応の代償があることを、賢竜派は望んでいる。今すぐにだ」

 代償……?

 そう思った途端、ドラゴンが頷く。やはり心を読まれている。

「魔力をいただこう。悪魔たちは純粋な魔力で成り立っている。お前たちが破壊したものを、お前たちの力で贖う。正当で、公平な代償になる」

 魔力って……。でも、シナークの魔力は……。

 もらうとしよう、といきなりアエロゲニンがこちらに手を向ける。手のひらが私に真っ直ぐに向けられた。

 途端、ぐっと引き寄せられるような錯覚。

 何かが体から抜けていく。何かじゃない、魔力だ!

 普段では感じないほどの魔力の消費に、全身が重くなる。こんな消費量は、ハルハロンに全力を出させた時くらい、もしかしたらそれを超えているかもしれない。

 座った姿勢なのに、上体が傾き、テーブルに肘を置いて倒れそうになるのを支える。

 ドラゴンが手のひらを握る。目に見えない魔力の流れが途絶え、思わず息が漏れた。息を吸いたいのに、倦怠感がひどくて、それさえも辛い。

 こんなに魔力を奪われたら、シナークは死んでしまう。

「次はお前だ」

 アエロゲニンがシナークに手のひらを向ける。

 やめて!

 叫ぼうとしても、声が出ない。体が動かない。今にも腕から力が抜け、テーブルに倒れ込みそうだった。

 シナークが目を見開き、顔を強張らせる。その表情が苦しげに歪み、体が揺れて、脱力していく。

「なんだ」アエロゲニンが呟く。「形だけの魔術師か」

 どういう意味か、誰も訊ねない。

 シナークの全身から力が抜けきり、ゆっくりと倒れ込んだと思うと、人形のように椅子から落ちる。体が痙攣し、目は見開かれたまま、瞳の焦点がなくなっていく。

 私はどうにか椅子から降りて、シナークに触れる。すでに痙攣は終わり、瞳は半分閉じられたまま、止まっている。

「確かに代償を受け取ったぞ、魔術師よ」

 椅子からアエロゲニンが立ち上がった。私は彼を睨みつけるが、ドラゴンは平然としている。それもそうか。人間の一人、しかも小娘一人なんて、彼からすれば雑草のようなものだろう。

 アエロゲニンは私から視線を椅子に座ったままのラミアス先生に向けた。

「下手に手出しをしなかったことを、褒めておこう」

「やりすぎれば」

 そうラミアス先生が答える。

 瞬間、彼の前に置かれてたマグカップが、誰も触れていないのに爆ぜて粉々になった。

「僕も黙っていないよ、アエロゲニン」

「人間風情が強がりを」

 どこか爬虫類じみた笑みを見せてから、アエロゲニンは背を向けて、ドアへと向かう。

「二度と会うこともなかろう、魔術師たちよ。そして小娘、二度目はないと思え」

 私たちが見ている前で、アエロゲニンはドアを開ける。その向こうは、魔界の景色に酷似した、真っ暗闇だった。

 そこへドラゴンが消え、ドアが閉まる。

「大丈夫かい? 火花ちゃん」

 椅子を蹴倒して、ラミアス先生がテーブルを回ってこちらへやってくる。

 でも私は先生を見る余裕はなかった。

「シナーク、シナーク!」

 彼はもう動かず、反応もしない。

 すぐ横にラミアス先生が膝をつき、シナークの肩に触れ、まずいな、と呟く。

 そして少年の体を抱え上げると、

「きみの力が必要だ、火花ちゃん」

 テーブルの上にシナークを寝かせた。

「私の力、ですか?」

「きみにしかできないんだ。僕も手助けしよう」

 思わず唾を飲み込みながら、私は頷いた。



(続く)

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