4-4 孤独な箱入り娘

     ◆


 食堂へ行くと、珍しくのんびりとシナークがお茶を飲んでいた。香辛料っぽい匂いがするから、チャイティーだろう。

 私に気付くと、ちょっと表情を引き締めて感情を隠すあたり、まだ私には懐いていない小動物、って感じ。

「ただいま。今日は何か、面白いことはあった?」

「この屋敷の中にしかいないんだ、毎日、同じだよ」

「例えば、庭の花が変わってきたとか、風が少し熱を持ってきたとか、ないの?」

「お嬢様は詩人だな。それも一流の家系の教養か?」

 まさか、と笑って、私は自分の席に着く。すぐに温め直した料理が、エマの手で運ばれてきた。

「ただの私の趣味よ」

「高貴な人間の趣味、って感じだ」

 違う違う、と応じつつ、すぐに「いただきます」と手を合わせて、箸を手に取る。今日は炊き込みごはんだ。魚の出汁のいい匂いがする。

「どう違うんだ?」

 そう訊ねてくるシナークこそ、どこか優雅だが、まぁ、同じ皮肉をやり返すのも、ちょっと安直かな。

「私がこの屋敷にいて感じるのが、花とか木々の葉とか、風とか、空とか、雲とか、雨とか、雪とか、太陽とか、それくらいだからかな。それ以外がないのよ」

 きょとんとした顔になり、こちらを見るシナーク。片方の眉を持ち上げて見せて、炊き込みごはんをかき込む。

 両親が私への教育への熱意を失った、というか、何か見切りのようなもをつけた十歳頃から、私はこの屋敷に一人でいることが増えた。

 他に人間はいなくて、式神たちが身の回りのことをしてくれる。

 赤羽家はお爺様の方針で、あまり他の魔術師の家系と関係を構築していないので、私を訪ねてくる魔術師もほとんどいないし、私が訪ねていける魔術師もいない。一般人の知り合いも当然、いない。

 なので私は、魔術学校と、この屋敷を往復するだけで、孤独な日々を過ごした。

 学校では私は特別視されていて、近づいてくるのは何かを企んでいる奴か、からかって私に恥をかかせようとするような奴らばかりで、本当に信用できる友人は、なかなかできなかった。

 そんな中で、カリニアとミーシャに出会えたのは、本当に幸運だったと思う。

 その後はお泊まり会があったりして、この屋敷に人の気配が濃厚になることもあったけど、普段はやっぱり、私一人の生気しかないので、どことなく、くすんで見えるし、色彩が薄いようにも見える。

「なんでこの屋敷を出て行かない?」

 マグカップを傾けつつ、シナークが訊ねてくる。そうよね、と私は頷く。

「私としても、いつか独り立ちする気になれば、どこかで魔術師か一般人かはわからないけど、人の間で生きていくつもりよ。まぁ、あと数年ってものかな」

「お前の実力なら、今でももう、一人でやっていけると思うけど?」

 痛いところを突いてくるなぁ。

 正直に話さなくても良かったんだけど、ちょっと気持ちが緩んでいたんだろう。気づいたときには言葉にしていた。

「今は、お父さんとお母さんが帰ってくる場所を、残しておきたくてね」

 口にしてから、シナークに家族の話題は禁物だったかも、と気付いたけど、もちろん、どんな魔術師でも言葉を元には戻せない。

 ただ、私が予想したような反発はシナークの気配には混ざらなかった。

 真面目な顔で、しかし視線をマグカップの中に向けている。何か書いてあるのかな? ものすごく真剣な顔だ。

 しばらく眺めていたけど、シナークが顔を上げないので、私は食事に集中した。

 やっぱり私が食べ終わる前に、シナークはお茶を飲み干し、「また明日」とボソッと言って、食堂を出て行った。

 なんか、シナークの奴も、考え事をしているって感じ。

 私が食事を終えてお茶を飲んでいる時、いつも通りにエマがシナークの昼間の過ごし方を教えてくれる。今日もいつも通り、訓練と訓練と訓練、みたいな様子らしい。

 草花を眺める余裕なんて、ないか。

 私はお嬢様の箱入り娘で、彼は在野の暗殺者だし。

 私はお風呂にシナークがいないことをドアノブにかかっているプレートで確認して、中に入る。素早く裸になって、汗をさっさと流して湯舟に飛び込むように入った。

 あごまでお湯に沈みながら、反射的に息を吐いてしまう。

 どうも今日は、色々なことがありすぎて、疲れている。

 九頭龍の陣のことを思い出し、少し反省する。

 あの大魔術は赤羽家に伝わるもののうちの一つで、あの炎はただの炎ではない。

 魔力を焼き尽くす火炎なのだった。

 だから私の炎が駆け抜けた後、あの炎に飲まれたカリニアが構築した氷の壁は瞬時に消えたし、ミーシャの弓も消えたわけで、さらに言えば、あの場にいた私を除く全ての魔術師が、魔力の大半を食い尽くされて、魔術を行使できない状態だった。

 私自身もわずかに魔力が残っていたと言っても、九頭龍の陣を発動することで、ほとんどゼロに近かったから、やっぱり諸刃の剣なのだ。

 別の選択肢があれば、別のやり口があったはず。

 それが今回、はっきりした課題だ。

 暇を見つけて、赤羽家に伝わる文献を当たっていくとしよう。もっと別種の、使いやすく、効果的な魔術の記録がどこかに残っている可能性がある。たまには真剣に勉強してもいい。学生なんだし。

 一度、魔術構造式を描くことなく、雑に湯温を上げて、ダラダラと汗を掻くことにした。

 頭の上でタオルでまとめてある髪の毛の後毛から、汗が雫になって落ちる。

 全身を洗って、お風呂を出たときには、だいぶ遅い時間になっていた。

 自分の部屋に戻り、ここのところの日課をやることにした。

 アンティークな造形の勉強机に向かい、椅子に深く座って、机の上の古びたラジオに手を置く。

 ラジオ自体はつい半月ほど前、物置から発掘したもので、壊れていて使い物にならない。ただ、形としてなら意味がある。

 電源を入れていないけど、私の魔力でラジオが起動する。強引に焼き付けた魔術構造式が起動し、スピーカーから音が漏れ始める。

 本来は暗号化されている魔術通信だけど、その暗号は力任せに破っている。それでも、まず言語が私には馴染みのない中東の言葉で、それもまた魔術で無理やりに翻訳させる。

 やっと理解できても、短い符丁によるやりとりで、全体は判然としない。

 しかしこれは私が記録しておいた今日一日の、シナークとその仲間のやりとりで、私は何重もの隠蔽を無視して、それを傍受しているわけだ。

 でもこの行為にはあまり深い意味はない、と自分では思っている。というか、むしろ後ろめたいかもしれない。

 わかることは、シナークがまだ仕事を諦めていないようだということで、それを確認する程度の意味は、この行為にはあるのだけれど、手間がかかる。

 シナークにはまだ、別の道に進む余地があるのか、ないのか。

 闇の中じゃなくて、光の中を進むような可能性が。

 ま、ゆっくり考えればいいか。

 ラジオをから手を離すと、スピーカーはピタリと鳴り止んだ。



(第4話 了)

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