4-3 再構築

     ◆


 小さな輝きだったドラゴンから立ち上る光が、あっという間に花火みたいになった。

「すごい……」

 思わず声が漏れるほど、現実とは思えない光景だ。

 しかし光はすぐにピークを迎え、消えていく。

 最後に残ったのは真っ黒くなった巨大な生命だったもの、その変わり果てた姿だ。

 もしかして、とカリニアが呟く。私とミーシャも気づいていた。

 これはただのドラゴンの死ではない。

 そもそも私たちどころか、大抵の魔術師は基礎知識として知っているだけの、非常に珍しい事態が起ころうとしている。

 ドラゴンは基本的に、不死であると言われる。寿命がないのだ。

 一歩、二歩と私たちが距離を取るのと同時に、何か低い音が響き始めた。地鳴りのようだが、同時に何かが軋む音を伴っている。

 目の前で、ドラゴンだったものがズルズルと動き始め、小さくなっていく。地面がビリビリと震えるが、それは空気の震えどころか、魔力の震えさえも伴っている。私は、そしてきっとカリニアとミーシャも、体が芯から震える感覚を味わっているだろう。

 目の前で、真っ黒い卵になってしまったドラゴンだったものが、私たちが見ている先で、ひときわ強い衝撃を伴って、ひび割れる。

 卵のようなものが崩れ、その卵さえも本体に吸収される。

 小さなドラゴン。人間よりわずかに大きい、翼の生えたトカゲみたいだ。

 意外に可愛い。

 しかしそれも一瞬、甲高い声でドラゴンが鳴いたかと思うと、物理的な限界を超えて、膨れ上がるように体が巨大になる。

 数秒後には、墜落する寸前と同じ大きさ、十メートルを超える巨体がそこにあった。鱗は以前にも増して美しく光り輝く赤。

 長い首の先の頭がこちらを見る。その途端、私の体が動かなくなる。強烈な金縛り。指先すらピクリとも動かないし、瞬きさえも止まっていた。心臓が止まらないのが不思議だ。

 私はこの先の展開を考えるのを拒絶して、ドラゴンが肉体を再構築する場面に出くわす人間は珍しいんだよなぁ、などと現実を直視しないことに必死だった。

 こうなっては、殺されてもおかしくない。

 ドラゴンからすれば、自分を攻撃していた魔術師と私たちには、それほどの差はないはずだ。

 賢竜派と呼ばれる魔術師と友好関係を築きつつあるドラゴンたちならともかく、このドラゴンはそんな賢竜派とは逆の路線を行く、反抗派のドラゴンでもある。

 失敗したなぁ、とやっと自分の失態に気づいた。

 あんなはぐれ魔術師たちに九頭龍の陣をぶつけるんじゃなかった。あの大魔術は、このドラゴンと相対するときのために、温存するべきだった。

 今からもう一度、九頭龍の陣を組み立てようにも、妙な素振りを見せれば、このまま目の前のドラゴンに殺されるだろう。太い指の先の爪の一撃でもいいし、今のまま人間の魔術師など簡単に凌駕するその眼力で、私を即死させることもできる。

 なんとか逃れる術はないか、とさすがに現実を考え始めた私の眼の前で、ドラゴンが鳴いた。

 まるで、甘えるような声で。

 甘えるような声?

 ドラゴンが頭を下げ、鼻先でカリニアを軽く押し、べろりと舌で彼女を舐める。ヒェッとカリニアが声を漏らす。金縛りにあっているんじゃないのか、と突っ込もうとした時には、私も、ミーシャも、自由になっていた。

(魔術師に助けられるとは、思いもよらなかった)

 声が頭の中に響く。魔力会話は人間の魔術師も使うものがいるが、ドラゴンからの声には全く雑音がない。

(肉体を再構築するところを狙われれば、今頃、我の命は失われていたはずだ。感謝しよう)

 もう一度、ドラゴンがカリニアを舐める。よだれでベトベトになりながら、カリニアはガタガタ震えている。目の前のドラゴンは、氷の壁で自分を守った魔術師が気に入ったらしい。

 しばらくカリニアをからかうドラゴンを眺めていると、ドラゴンも気が済んだらしい、首が元の位置に戻り、こちらを見下ろす。

(友好の証に、これを渡そう)

 首をたわめ、フゥっとドラゴンが息を吐く。何気ない息の吹き方だが、突風が吹き、私たちはそれぞれにスカートを押さえている。

 と、目の前の空間に何かが凝縮され、赤い点が生まれ、それを包むように白銀の金属が覆っていく。

 やがて、そこに銀色の短剣が生まれていた。

(お前たちの未来の幸運を願う。さらば)

 空中に固定されていた短剣が落下するのを、慌てて掴んだ時、ドラゴンが翼を羽ばたかせる。風が吹き、砂が舞い上がる中で、巨体が不自然な動きで浮かび上がるのは、実際に空気を打って浮かび上がったのではなく、魔力を浮力に変換しているからか。

 何度も翼を振って、高度を取ったドラゴンはゆっくりと円を描いて私たちの上を旋回してから、さらに高く舞い上がり、どこかへ消えていった。

 へなへなとミーシャが座り込み、「死ぬかと思った」とぼやく。

 カリニアを見ると、くしゃみをしている。まだよだれまみれでびしょ濡れだった。私はくすくす笑いつつ、回復してきた魔力を使って、熱風でカリニアを乾かしてあげる。

 よだれの成分らしい正体不明の粉まみれになりながら、「夢みたい」とカリニアが呟く。

「九頭龍の陣はもっと温存しなよ、火花」

 ミーシャにそう言われて、不可抗力よ、と私は応じる。

「あの、自称はぐれ魔術師たちの技量は、私たちと同等なんだから、手加減してたらやられていたわ」

「かもしれないけど、あの大魔術は、諸刃の剣だってわかったよね?」

 そうなのだ。もしさっきのドラゴンが私たちを始末しようとしていたら、その時は対処法が何もないのが実際だった。それは九頭龍の陣の持つ根本的な性質による。

「それはね、わかってはいるけどさ。二人に無用な危険を強いて、悪かったと思っている」

 反省しているならよろしい、とミーシャが笑う。

 私たちがドラゴンが消えた方を見据えた時、唐突に景色が変わり、そこは例のすり鉢状の教室だった。

 空中に浮かんでいるラミアス先生は嬉しそうだ。

「ドラゴンはどうだったか、三人でレポートを出すように」

 どうやら本当にどこかで見守っていたらしい。ならレポートもいらないと思うけど、これも学業と思って、耐えるとしよう。

「それと、その短剣は、それぞれ大事に保管するように。超一級の品だぞ」

 私たちは無意識にそれぞれが一本ずつ握りしめていた短剣を見た。

 触れているだけで、ものすごい純度と強度の高い魔力を内包しているのはわかる。

「嘘とか夢じゃないのねぇ、これがあるってことは」

 ミーシャが呟き、これを見てよ、とカリニアが自分の体を覆う粉を示す。

 その日は、私は帰る時間を遅くして、カリニアとミーシャと一緒に、魔術師が経営する喫茶店に行って、軽食を食べた。カリニアはさすがにあのままではお店に行けないので、一度、寮に帰っていたけど。

 三人でワイワイと飲み食いしているうちに、太陽が傾いてくる。

「じゃ、私は帰るわよ。レポートの件は、魔術通信でやり取りしましょう」

 はーい、と二人が手を振る。私は適当なドアに触れ、魔術通路を形成し、そこを抜けた。

 抜けた先は、見慣れた場所、赤羽邸の廊下だ。後ろ手にドアを閉めて、どこかから漂ってくる料理の匂いで、さっきまで食べ物を食べ散らかしたのに、また空腹感を感じた。

 まぁ、九頭龍の陣を使ったら、こうなるか。

 エマが静々と、こちらへ近づいてきて、「お疲れ様でした」と笑う。

 まったく、疲れたわよ。

 でも、悪くはなかった。


(続く)

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