第4話 竜

4-1 些細な失敗

     ◆


 私は魔術師学校の中庭で、やっぱりカリニアとミーシャと昼食を食べていた。

 というか、食べ終わっていないのは私だけで、二人はとっくに完食している。

「やっぱりまだダメなの? お泊まり会は」

 ミーシャが芝をちぎりながら訊ねてくる。芝は魔術的に改良されているので、ちぎられる側から再生していた。

 私がわざともごもご言葉にならない声で返すと、「汚い」とにべもないお言葉。カリニアはニコニコと笑いながら、手元ではハンバーガーの包みを器用に鶴に折っていた。

「やっぱり誰かがいるのね?」

 ミーシャが珍しく食い下がってくるけど、もう一度、もごもごで回避する。聞かないことにするわ、と彼女が万歳した時には、カリニアは鶴を空中に投げている。魔力が宿った折り紙の鶴は、空中を飛び始めた。

 私が食べ終わり、お茶を飲んでから、三人揃ってゼミの教室へ移動。

 すり鉢状の広い教室の真ん中で、やっぱりプカプカとラミアス先生が浮かんでいる。

「さて、子猫ちゃんたちに、課題を出すことになった」

 チャイムより早く、そんなことを言い出す。

 さすがに高等科の授業が始まって、つまりゼミが始まって一ヶ月ほどが過ぎているので、私たちはこの先生のデタラメさに慣れてきているのだった。

「どんな課題ですか?」

 カリニアがほんわかとした感じで訊ねると、ビシッとラミアス先生がまずカリニアを指差し、次はミーシャ、最後は私に指が向けられる。

「きみたち三人に、竜を討伐してもらう」

「竜? ドラゴンですか?」

 疑り深そうに聞き返したのは、ミーシャ。そのミーシャに、そうだよ、とラミアス先生が気楽な様子で頷く。

「賢竜派からの依頼もあってね、反抗派のドラゴンが一体、邪魔なようだ。とにかくその竜に対する行動をもって、きみたちの技能を認定する」

 それって、つまり、と考えた私は先生を見上げて、ちょっと笑ってしまった。

「今の話ってとどのつまり、先生がやることを私たちに丸投げする、ってことじゃないですか?」

 ラミアス先生はヘラヘラと笑って浮いている。

「これは君たちへの試練だよ。ああ、そう、火花ちゃん、守護霊体の補助があったら、減点だからね」

 去年までの雑用仕事の関係で、もうお互いのことを知っているので、はいはい、と雑に応じつつ、守護霊体の補助なんて、そんなことするもんですか、と心の中で答えておく。

 ドラゴンと接するなんて、そうあることじゃないし。

「では、君たちのリーダーを決めなさい」

 その言葉と同時に、カリニア、そしてミーシャが、私を見る。

 そうなるよねぇ、やっぱり。

「私しかいないみたいですね」

 潔くてよろしい、と先生は言って、それからこの日の午後の授業は、ドラゴンの生態や勢力争いの事情についての講義で、この内容は中等科までで習うことと大差ない。

 ただ、そこはさすがに高等科の講師の言葉だけあって、細かな指示もある。カリニアとミーシャはメモを取っていた。

 終業のチャイムが鳴り、解散になった。二人の友人とドラゴン討伐のための買い出しを後日、する約束をして、その日は解散。

 屋敷に戻ると、エマがかすかな微笑みで出迎えてくれる。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

「シナークは?」

「今日も武道場の方へ」

 私は一度、部屋に戻り、私服に着替えると武道場へ向かった。

 引き戸を開けると、床を踏みしめる音が大きく響く。シナークもこちらに気づき、構えを解いた。

「いつも一人でやっているけど、相手が欲しくないの?」

 そう声をかけると、別に、とそっけない返事が返ってくる。

 武道場に常備されている戸棚から、式神の核になる紙を一枚、取り出す。自分の髪の毛を一本抜いて、紙を投げ、髪の毛に息を吹きかけた。

 宙を泳いだ髪の毛が紙に絡みつき、空間から滲み出すように、男が現れた。見るからに屈強で、というか、ガチガチのマッチョマンだった。服装は和装で、すでにもろ肌脱ぎなので、上半身は筋肉がむき出しだった。

「これがお前の趣味か?」

 シナークがそんなことを言いながら、床を蹴る。

 この式神を倒してから、いくらでも減らず口を聞けばいいわよ。

 ニヤニヤと私が見ている前で、シナークの拳が式神の胸を打つ。

 ビクともしない。さすがにシナークが目の色を変える。

 怒涛の連続攻撃が叩き込まれたが、式神の反応は、一歩下がった、というだけだった。

 しかもその一歩は、腕を振りかぶる動作と連動している。

 ゴウッと拳が繰り出され、シナークが防御。両腕で止めるが、短く声を漏らしつつ、彼の両足は床を離れ、二メートルは弾き飛ばされる。

 ちょっとやりすぎたな。

 私は式神を消す。

 消す……。

 あれ?

 っていうか、消えないじゃないの。

 いきなり式神が咆哮する。これはとんでもないことになった。

 私は素早く巨大な背中に駆け寄り、さっと指でなぞる。私の髪の毛が引き抜かれるが、本当なら式神が消滅するはずなのに、巨体は崩壊しつつも、まだおおよそを残している。

 腕が振られる。

 私は振り抜かれる腕を片手で受け止めるけど、もちろん、無造作にただ、受け止めるわけではない。

 私の手のひらが、暴走している式神の巨大な拳を受け止めた瞬間、魔力を炎に変質させる。

 特殊な魔術で発現した炎が、式神の体を瞬時に包み、燃え上がらせ、灰も残さずに消えた。

 やれやれ。こんなところで手札を切るとは、自業自得とはいえ、愚かなこと。

「大丈夫? シナーク」

 しゃがみこんでいる少年に駆け寄ると、彼は両腕をぶらぶらと振りながら、「なんともない」とぶっきらぼうに応じる。

「ごめん、油断して、式神を暴走させた」

「だから相手はいらない、といった」

「ごめんってば。もうしない。腕を見せて」

「なんともないって」私の横をすり抜けて、シナークは武道場を出て行く。「もう夕飯だろう。俺は風呂に入ってから行く」

 私が何も言えないのは、自分の魔術の不完全さがはっきりしたからで、それは魔術師にとって、最も恥ずべきことだからだ。

 シナークが皮肉を言わなかったのも、きっと私のことを考えているんだろう。

 しまったなぁ。余計なことをするんじゃなかった。

 式神を操るのは、本来の私の特性には合わないけど、何がいけなかったんだろう? ジナーナを試すために魔力を多く流しすぎたか。魔術構造式も魔力量に見合わない不完全だったかも。

 武道場を出て、屋敷の方へ戻りつつ、頭の中ではさっき、瞬時に構築した魔術構造式を検証していた。

 ぼんやりしていたら、いつの間にか食堂の前に立っていた。いかん、いかん、こんなぼんやりしていては。

 それにちょっと、シナークと親しくしすぎでは?

 彼は私の命を狙う暗殺者で、私は極端に緩いとはいえ、彼を拘束しているわけだし。

 食堂に入ると、エマが頭を下げ、椅子を引いてくれる。自分の定位置に座り、「シナークが来るまで待つよ。お風呂に入ってから来るって」と教えておく。

 ではお飲み物を、とエマが答えるのへ、たぶん、何かを答えたんだろうけど、どう答えたのかわからないほど、私はまた頭の中の魔術構造式に熱中していた。魔術師はそれくらい、失敗を気にするのが普通だ。

 ふと我に帰ると、片手にオレンジジュースの入ったグラスを持って、口にストローをくわえてぼんやりしていた。

 目の前のテーブルには、料理が並んでいる。そしてシナークが眉をひそめて、こちらを眺めていた。

「眠いのか?」

 そんなわけあるか。

 ストローでオレンジジュースを飲み干し、はあぁ、と息を吐く。

「食事にしましょう」

「ちゃんと寝た方がいいぞ」

 だから、違うって。

 食事を食べながらも、まだ魔術構造式のことが頭にあって、この日は料理の味を思い出せなかった。それに食べる速度が全然、遅いので、シナークは自分の料理を食べ終わり、お茶を二杯飲み、まだ私が食べているので、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 結局、私はその日は、食事の後に久しぶりに書庫へ行って、式神に関する文献を漁って、深夜までかけて、問題なく機能する魔術構造式を探っていた。



(続く)

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