3-4 独立派

     ◆


 人気のない山岳地帯で、獣の咆哮が響く。

 その中に紛れるように湿った音を立てて一度に、全部で五人の魔術師が倒れ伏した。灰色の地面に真っ赤な血が広がっていく。

「残酷なことを」

 そう言って俺の横に身を屈めた男がいる。

 サングラスをかけていて、服装はローブを着ていて、よくわからない。その男の他に仲間だろう男たちが現れる。全員が手に剣を下げていて、まるで現代ではなく過去の世界から現れたようだった。

 獣がまた咆哮を上げるのと同時に、男たちが剣を掲げる。

「待て! 救えるかもしれん!」

 声を発したのは俺の横にいる男で、彼が手を伸ばしたその先、魔獣の周囲で雷光が弾ける。

 六歳の俺には詳細はわからなかったが、この男が魔術師であるのは理解できた。

 彼の手から雷撃がほとばしり、魔獣が悲鳴をあげる。

「やめて! お姉ちゃんを殺さないで!」

 思わず腕に抱き着くけれど、俺もまた雷撃に弾き飛ばされる。

「離れろ、小僧! お前の家族を救うためだ!」

 俺が見ている前で、雷撃によって魔獣の体が解体され始める。雷撃魔術と別系統の魔術を複合した、超高等テクニックだと、今ならわかる。

 当時の俺が見たのは、魔獣の中から、姉の姿だけが分離されていく光景だった。

 助かる、そう思った。

 俺の耳に、ダメか、という呟きが聞こえた気がした。

 魔獣の体が、唐突に輪郭を失い、塵となって消えていく。そして姉だけが残り、ただし姉もまた塵に帰っていく。そしてそのまま、痕跡を残さず、全てが消えた。

 ローブの男がため息を吐いて肩を落とす。まだ座り込んでいる俺の前まで彼はやって来て、片膝をつき、首を垂れた。

「すまない、助けられなかった」

 俺はどういうこともできず、魔獣がいた場所、姉が消えた場所を、見ているしかできなかった。

 気づくと車、トラックの荷台に乗せられていて、起き上がると、例の男たちが身を丸くして、激しい振動に揺られていた。その中でも眠り続けられた自分が不思議だった。時間は夜で、月が上がっていた。

 俺に気付いたのは、姉を助けようとした男で、この時は夜だからか、サングラスをしていない。

「坊主、名前は?」

 俺は両親に名付けられた名前を答えた。

「俺たちは本当の名前を使わない。お前にも新しい名前を与えなくちゃな」

「おじさんの、名前は?」

 おじさんはよしてくれ、と男が笑った。

「俺は博士と呼ばれている。お前もそう呼べばいい。お前の名前は、そうだな……」

 博士は少し考えてから、その音を口にした。

「シナーク。お前はシナークだ、良いな?」

 頷く俺に博士は手を伸ばし、その手で乱暴に頭を撫でられた。父親のことを思い出したけど、考えないようにした。この人がこれからは父親だ、とも思った。思おうとした。

 車は夜通し走り続け、既に廃墟の小さな集落に明け方、到着した。既に目覚めていた男たちがめいめいに車を降り、建物に入っていく。俺は博士に連れられて歩いた。

 その集落にいるのは全員が魔術師だと知ったのは、少し経ってからだ。彼らは生活のそこここで魔術を使う。寒さに耐えるのも、暑さを凌ぐのも、食料になる植物を育てるのにも、水を手に入れるのにもだ。

 誰が始めたか忘れてしまったが、魔術師の一人が俺に体術を教え始めたけど、俺はまだ六歳で、しかも貧弱な子どもだった。突き倒され、蹴り倒され、投げ倒された。

 それでも諦めずに挑んでいく俺に可能性を見たと、しばらく経って博士が漏らしたことがあるけど、あの時の俺はきっと、ただ、大人の魔術師に一泡吹かせたかっただけだったと思う。

 それから数年をかけて、博士は俺に魔術を仕込んだ。

 学習する才能はある、などと言われているうちに、俺は十歳を過ぎ、少年兵ではないが、魔術師たちの仕事を手伝うようになった。

 それは懸賞金をかけられている犯罪者でもある魔術師を討伐する仕事だ。

 俺が助けてもらう形になったあの事件も、たまたま彼らが出くわし、たまたま俺を助けたのではなく、彼らは俺の家族を狙った魔術師をそもそも追っていたのだ。

 ただ、タイミングが遅かった。遅かったがために、俺だけが助かった。

 そう、偶然なのだ。

 博士や仲間たちに導かれ、俺は賞金首の魔術師を何人か倒して、実力が認められると、博士の紹介で別の仕事を請け負う魔術師に引き合わされた。

 それが、濡れ仕事、と仲間内で囁かれていた、暗殺を行うチームだった。

 能力の査定の後、俺はそこに組み込まれた。

 博士たちが活動するための、強力な資金源になる暗殺仕事を、俺は始めた。

 それが恩返しだと思ったから。

 それに俺は、魔術師に対する憎悪を、この時も持っていた。

 自分の憎悪を晴らし、日の当たる場所にいる仲間を支えることもできる、闇の中の仕事には必死になれた。

 数回の暗殺任務をこなし、ついに「魔術師十七人殺し」も成功させた。

 俺は一流の魔術師になっていた。

 影の中で生きる魔術師。

 死の導き手。

 黒の死神。

 そのはずだった。

 しかし、赤羽火花と出会って、俺は変わりつつある。


     ◆


 俺が話し終わると、興味深いね、と赤羽天火はつぶやいた。

 いつの間にか中庭にも夕日が射して、西日の強さを感じる。

「今の話は、僕の中で留めておこう。でも、火花は今の話を聞いても、少しも動揺しないだろうな」

 でしょうね、と危うく口にしそうになったけど、堪えた。

 赤羽火花という少女は、細かなことは気にしないことを、俺も流石に理解している。

「さて、お茶でお腹がいっぱいだけど、夕食にしなくちゃね」

 すっと席を立った赤羽天火が、言い忘れていた、と立ち上がりかけた俺を見た。

「あの子の魔術には、ちょっと特殊な性質がある。それを使えば、きみに別の生き方をさせる余地が、あるかもしれない」

「別の生き方って、なんですか?」

 何かを言おうとして、そうだね、と初めてだろう、赤羽天火が言い淀んだ。

「教えてください」

「うん」

 まだ言いづらそうにしていたが、言葉は絞り出すように、口から出た。

「普通の人間、と言おうと思った。でもそれは、無理なんだな。失念していた」

 普通の人間?

 忘れてくれ、と手を振って、赤羽天火は温室を出て行こうとする。俺も慌てて今度こそ席を立ち、後を追った。

 彼の背中を見て、彼が何を考えたのか、想像しようとしたけれど、無理だった。この男のことを、俺はあまりにも知らなさすぎる。

 それでも食堂に入り、席に着いてから訊ねようとしたが、勢いよくドアが開いて、赤羽火花が入ってきた。思わず振り返るほど、すごい勢いだった。

「お腹空いちゃった! お父さん、いつまでいるの?」

「ちょっと本を調べて、また仕事に戻るよ」嬉しそうに赤羽天火が応じる。「明後日くらいかな。それより火花、学校はどう? ちゃんと勉強している?」

「先生の仕事の手伝いばかりさせられていたけど、今年からは正式にゼミに入ったから、いろいろと面白いよ。ラミアス先生って、本当に不思議」

 彼は変わり者だから、と笑う赤羽天火。

 赤羽火花が父親から、こちらへ視線を戻す。

「シナーク、何かあった?」

「え?」

 油断していたので、思わず声が漏れてしまった。

「お父さんに何かされた? 変な趣味はないはずだけど?」

 ハハハ、と困った様子で赤羽天火が頬を指で掻いている。

 それから珍しく騒々しい夕食になった。

 結局、赤羽天火に疑問を向けることはできないままで、宣言通りに二日が過ぎると彼は来た時と同様、帰る時もあっさりと帰って行った。

 自分と式神だけの屋敷で、俺はまた武道場で体術の訓練を続けた。

 普通の人間って、なんだろう。どういう意味だったんだろう。

 そんなことばかり、頭に浮かんだ。

 赤羽邸から出られなくなって、一ヶ月が過ぎた頃、なんでもない夜に俺の元へ魔術通信が送られてきた。独立派の魔術師集団でも、濡れ仕事のサポートを行う仲間からだった。

 複雑に暗号化されてるそれを、意識の中の魔術が即座に解読。

 仕事の進捗を問い合わせる内容だった。

 潜伏し、決行の機をうかがっている、と返事をした。

 ベッドの上で、仕事のことを考え、憂鬱になった。

 赤羽火花を、どうしてか、殺せる気がしない。


(第3話 了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る