3-3 魔術師の世界

     ◆


 昼休みに一時的に帰ってきた赤羽火花は、慌しく父親に母親のことを訊ね、それに対して父親は申し訳なさそうというか、気弱そうな感じで、言い訳を口にしていた。

 さっきの超級の魔術を行使した男とは思えない、情けない様子だった。

 赤羽火花が扉を抜けて魔術学校へ去っていくと、ちょっと話そうよと赤羽天火に誘われ、俺たちは中庭へ出た。彼は芝が減っている部分を不思議そうに眺めていた。そのまま通り過ぎ、どうやら中庭の一角にある温室へ向かうらしい。

 温室の中はまるで南国のようで、外とはまるで違う木々が生い茂っている。鮮やかな蝶が飛んでさえいる。

 中にある小さなテーブルを挟んで向かい合うと、すぐに式神が飲み物を持ってきた。アイスティーで、グラスには氷が入っている。

「まあ、あの子のことだから、きみについては責任を持つつもりだろう」

 そんな風に赤羽天火が話し始めた。

「誰に似たのか知らないし、そもそも育て方が悪かったのか、豪放磊落なところがあってね、いざとなったらきみをなんとしてでも守るだろうね」

「ここから出してもらえるなら、俺の方から消えますよ」

 反射的にそう言うと、素人のふりをしないでいいよ、と赤羽天火が笑う。

「魔術師を暗殺する魔術師の組合みたいなのがある、と聞いている。普段は在野の魔術師や、はぐれものに仕事を斡旋するだけらしいね。しかし、裏切り者や、口を封じておく必要がある相手には、容赦なく、死を与えるとも聞いている。つまりあの子を殺せないきみは、命がない」

「逃げ切ってみせます」

「そんなに甘くはないだろう。世界の果てまで追っていくさ」

 言葉の内容とは裏腹に、穏やかな様子で、赤羽天火がグラスの中身をストローで吸っている。

「きみの名前をまだ聞いていない。言いたくないなら、聞かないけど」

「赤羽火花には知られています。俺は、シナークと言います」

「シナークくん、か。生まれは中東かな。昔は魔術も縁が深かった土地だが、現代では危険地帯でもある。何度行っても、気が休まらない場所だよ」

 何度行っても?

 心の疑問が顔に出たのか、赤羽天火が説明を始める。

「僕は魔術が関わった古代文明に関する研究をしている。そのせいで世界中を行ったり来たりでね。南米のジャングルにも行くし、アメリカの人里離れたインディアンの遺跡を探したりもする。アフリカは人類発祥の地というのが、まだ魔術師界隈では研究のメインストリームで、その人間の発生と神の存在の関連性を探ることもしたね。で、中東にも、古代文明の遺跡や、まだ知られていない文献とか、そういうのを探しに行くわけ」

「魔術師で考古学者、ですか?」

「もし僕が普通の人間だったら、考古学の権威にもなれるかもしれないけど、僕は魔術師で、一応は魔術師学校に籍を置いている。だから、僕の研究成果は魔術師の間では有名でも、無名みたいなものだね」

 奇妙な魔術師もいたものだ。

 あれだけ強力な魔術を行使するのに、考古学に打ち込む?

 訳がわからない。

「それくらい赤羽家っていうのは、自由、って言いたいところだけど、僕の父親はガチガチの魔術師で、僕もだいぶ仕込まれてね、苦労した。自由になれたのは結婚した後だね。火花にも申し訳ないことをしたよ、僕の父親も僕も妻も彼女には厳しかったからね」

 どこか悲しそうに、赤羽天火が眉尻を下げる。

「やっぱり自由っていうのは、大事だな。親や家系が、個人の人生を決めていいわけはない。あるいは、才能なんかも、人生を決めるべきではないのかも、と僕は思うよ。シナークくん、きみに魔術師としての高い素質があったら、どうする?」

 答えることは、できなかった。

 魔術師としての才能があれば魔術師学校へ行っただろうか。それとも、魔術を使っていくばくかの金を得て、家族を養った?

 違う。それ以前に、両親と姉を、魔術による実験から守ることが、できただろう。

「別の形にしよう。きみに百万ドルくらいの大金が転がり込んだら、どうする? もしきみがいくら人に害をなしても、罪を問われないとしたら、どうする?」

 さすがに混乱する俺に柔らかい声で、赤羽天火が言う。

「金があって、犯罪を咎められなくても、それはその人間の本質を変えないだろうね。もちろん、欲というものは人を狂わせるかもしれないけど、それを超越するものが、その人間の本質、とでも呼べるかもしれない。欲に負けるのも人間、欲に勝つのもまた人間だ」

 だいぶ脱線したな、とまた苦笑する赤羽天火。

「僕と妻は、火花にだいぶ、いろいろなことを仕込んだよ。それが魔術師の中でも一二九家系の直系の血を引く人間に、絶対に必要だと思ったからだ。技能も、知能もね。結果、あの子はアーリーズとして魔術師学校に入り、飛び級さえした。その様子を見て、僕はさすがに悩んだものさ」

「悩む? なぜですか?」

 思わず訊ねていた。赤羽天火も自然と答える。

「あの子は魔術師としての素質を十分に持っているし、それを開花させ、認められつつあった。そのままなら、何も考えず、親が意図した通りに魔術師になっただろう。それも若くして超高位の魔術師にもなれる。では、親には何ができると思う? どんどん背中を押して、どんどん先に行かせることもできる。でもそれは、違うんじゃないかと、不意に気づいた」

 グラスの中身を飲み干し、氷がぶつかり涼しい音を立てる。すぐにグラスに、控えていた式神が紅茶を注いだ。

「あの子に僕たちがしていることは、僕がうんざりした、僕の両親がやったことと、まるっきり同じだった。そして僕があの子にやったのは、あの子を僕自身が窮屈と感じて結局は飛び出した場所へ、無理やりにでも進ませているってことなんだよね」

 俺が黙っていると、赤羽天火は、どっちが良いかはわからないよ、と呟く。

「もしかしたら、あの子を無理やりにでも魔術師として超一流に仕上げることで、誰かが救われる未来に繋がるのかもしれない。あの子が研究した魔術が、世界を救うかもしれない。でも、僕たちは、あの子に自由を与えることにした。だいぶ遅くなったけどね」

 だからあの性格かなぁ、と笑いつつ、紅茶を飲む赤羽天火は、今はどことなく嬉しそうだった。

「それじゃあ、次はシナークくん、きみの番だ」

「俺の番って、なんですか?」

「だから、自分語りだよ。幸いにも、火花が魔術学校から戻ってくるまで、まだ時間は十分にある」

 少し迷ったが、どうやら俺は、いつの間にかこの男を信用していたらしい。

 不思議と、間合いを感じさせない男なのだ。

「生まれたのは、アフガニスタンです。貧しい家で、小さな集落で、暮らしていて……」

 俺はそれから、自分の家族に起きたことを話した。

「きみを助けたのは、「独立派」の魔術師か?」

 正体不明の魔術師による人体実験の件の話が終わった時、赤羽天火がそう言った。知っているのか。

「俺たちのことを魔術師で「独立派」と呼ぶ人は少ないですよ。大概は、「ダスト」って呼ばれますね」

 独立派、もしくは、ダスト、と呼ばれる魔術師は、魔術学会と距離を置いた魔術師のことで、魔術学会の管理を離れているが、その分、自由度を多く持つ。ただ、魔術学会の支援を受けることもできないので、資産や資源、居場所、情報、物資、あらゆる面で苦しいことには苦しい。

 詳しく聞きたいね、と赤羽天火がグラスの中身を吸いつつ、促してくる。

 俺は昔の光景を思い出して、話し始めた。



(続く)

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