3-2 父親
◆
男はあごというかヒゲを撫でながら、
「エマ! いるかい!」
と、廊下の向こうに声をかける。と、静かな歩調で、式神がやってきた。
「おかえりなさいませ」
「お昼ご飯がまだなんだけど、何か出せるかな?」
気安い調子の男の言葉に「ご用意いたします」と式神が頭を下げる。
男がこちらを見て、穏やかに笑う。
「少年も来るといい。それとも何か、用事があるのかな?」
俺はじっと男を見て、「ついていきます」と答えた。
どこかで見た顔だが、思い出せない。じっと視線を注ぐが、男もこちらをまじまじと見ている。しかし興味を失ったように、行こう、と廊下を歩き出した。
「火花がきみを連れてきたのかい?」
食堂への道すがら、肩越しにこちらを振り返り、男が質問してくる。
「いえ……」
相手が油断しきっていても、こちらは初対面の相手に油断するほどバカじゃない。ここは魔術師の屋敷なのだ。
「まぁ、火花が男の子を屋敷に招き入れるとは、僕は考えてもいないけどね。寂しがりやだが、そこまで落ちぶれちゃいない、はずだ、そう思いたい」
……返事に困る。
男は勝手知ったる様子で食堂に堂々と入り、いつも火花が座っている席に腰を落ち着ける。すぐに式神がやってきて、料理を並べる。
「良いね、オムライスか。僕がケチャップが好きだということも忘れていないらしい」
そう言いつつ、さっさと男はオムライスにスプーンを入れるが、ケチャップが「お帰りなさい」という文字になっていることには、少しも触れない。触れてやれよ。
俺は自分の席で、式神が出してくれたチャイティーの入ったマグカップを揺らしつつ、パクパクとオムライスを胃に納めていく男を眺めた。
やっぱり既視感がある。なんだろう?
「で、あの子を殺せそうかな?」
危うくマグカップを落としそうになった。
男は手を止めることなく、咀嚼しながら器用に喋った。
「体に魔術が刻まれているね。身体能力の強化と、探知系の魔術かな。あと隠蔽に使える魔術もいくつか。何より、かなり強力な魔術破壊魔術が組み込まれている。明らか暗殺者仕様だよ」
どうしてわかったんだ?
混乱しつつ、そっとマグカップをテーブルに置く。
俺の体に刻まれている魔術は、基本的に目視では見えない。肉体という器、その存在そのものに魔術構造式が刻まれているので、肌に傷跡があるわけでもない。そもそも今は服を着ている。
透視、いや、もっと別の魔術か。
それでも並の力量ではない。
「あの子が死んだという話は聞かないから、君は失敗したんだろうけど、まだ狙っているのかな? 推測するに、隙を窺っている、というところだろうけど」
どんどん話が進んでしまうので、俺は混乱を収めるのに苦労した。
「あんたは、誰ですか?」
どうにか訊ねると、手を止めて、男は首を傾げた。
「え? 僕のこと、知らないの?」
どう答えることもできずに黙っていると、男は咳払いをしてやっと答えを口にした。
「僕は赤羽天火。赤羽火花の父親だよ。驚いた?」
……正直、驚いた。
事前に赤羽火花について調べた時、赤羽天火についてのレポートも読んでいたし、写真も添付されていた。しかしその写真と目の前の男は別人だ。
「もしかして、疑ってる?」
苦笑いして、赤羽天火はあごというかヒゲを撫でた。
「これが意外にいい変装になるんだな。実証実験ができてよかった、としておこう。で、誰からの依頼かな? 少年」
言えるわけがないので黙っていると、そりゃそうだ、と赤羽天火は食事を再開した。
「魔術師殺しは困難だが、成功すれば大金が手に入るし、闇の名声も上がる。でも一度でも手を染めてしまえば、追っ手に絡まれるし、そもそも依頼主から口封じに刺客を送られることもある」
「よく知っていますね」
「これでも一二九家系の直系で、そういう話題には事欠かないよ」
オムライスを食べ終わり、そこへ式神がカップとティーポットを持ってくる。静かな動作で紅茶がカップに注がれ、ハーブの匂いが漂った。
「で、少年、君のことを火花は匿っている、ってこと?」
「檻に入れられているようなもんですよ」
皮肉のつもりでそう言ったけど、赤羽天火は可笑しそうにくつくつと笑う。
「檻ね。僕からしたら、君なんかよりもあの子の方が檻に入れられてもおかしくないよ。まぁ、あの子は自分の力を完全に支配しつつある。だからこうして、僕も、妻も自由にできるわけだけどね」
火花が檻に入れられる?
紅茶を飲みながら赤羽天火は嬉しそうに話した内容を、俺は少し吟味した。
家族という絶対の信頼で結ばれた関係、とでも言えばいいのか。そんなものを感じる口調だ。
家族。それは俺からは完全に失われた関係だ。
急に怒りが湧いた。
この男の技量がどれほどか知らないが、少し怖がらせてやろう。
俺のマグカップに添えられていたティースプーンを意識する。さりげなくマグカップを口に運んで、テーブルに置いたときには、素早くスプーンを手に取るように、さりげなく動かす。電光石火で投げられる位置にそれはあった。
都合がいいことに、赤羽天火は目を閉じて紅茶の匂いを嗅いだりしている。
今だ!
俺の右手が流れるような動作、少しの遅滞もなく、ティースプーンを掴んで、その動きのまま投擲。
鋭利ではないが、目を狙ったので、負傷させるのに十分な速度でティースプーンが飛んだ。
もしかしたらハルハロンが止めるかもしれないが、どうだ?
見ている前で、閃光のように銀のティースプーンが飛んだが、その像が揺らぐ。
「スプーンで殺されたとあっちゃ、魔術師世界で笑いものにされちゃうな」
目を開けて、赤羽天火が微笑む。
一方の俺は、呆然としていた。
ティースプーンは、消えていた。わずかの痕跡も残さず。
瞬間的に魔術通路を生み出し、そこに飲み込ませた? 違う、その気配はない。
これは、ティースプーンを狙って、超々高熱をぶつけたのか? 一瞬で、蒸発させた?
ティースプーン自体が矢のように飛んだ上に、高熱の余波も残滓も全くない。
なのに、ティースプーンは一瞬で消滅したのだ。
驚くほど超精密で、超強力な魔術だった。
「そんなに驚かないでくれよ、少年」ニコニコと笑いつつ、魔術師はこちらを指差す。「お茶が冷えてしまっているよ。温めてあげよう」
急にチャイティーの甘い匂いが立ち上り、視線を落とすと、冷めようとしていたはずのチャイの乳白色の液体から、湯気が立ち上っている。魔術による温度への干渉。
これが、赤羽家の魔術の本領か。
さすがに俺も何も言えず、マグカップを口元へ運ぶこともできず、かといって、逃げ出そうにも、目の前の魔術師の力を前にしては逃げられるわけもない。
赤羽天火が何かを言おうとした時、食堂のドアが開いた。
「お父さん! 帰ってくるなら連絡してよ!」
部屋に赤羽火花が飛び込んできて、赤羽天火も立ち上がる。その体に赤羽火花が飛びつき、そのまま抱き上げられて、ぐるぐると回転する。
なんか、緊張している俺が馬鹿みたいだな……。
俺は途端に楽になり、マグカップに口をつけることができた。
ちょうど良い温度だった。
(続く)
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