第3話 家族

3-1 暗殺者の平凡で無益な一日

     ◆


 いつの間にか、赤羽邸に馴染んでいる自分に気づいて、俺はさすがに俺自身に呆れた。

 殺しの標的と同居生活とは、馬鹿げている。

 しかし一方で、あの赤羽火花という少女は、少しも隙を見せないのだ。もちろん無防備な時はある。さすがにもう下着姿でうろうろしたりはしないが、それでもまさに無防備、ぼんやりしている時があることにはある。

 なのに、そこを攻めよう、必殺の一撃をぶつけようと思っても、それができない。

 ただの一撃すら、繰り出せる気配ではない。まさしく気配が、危機を激しく訴える。

 あるいは俺が、過剰に反応しているだけなのか。

 俺の中では、彼女に攻撃した途端、逆襲を受ける、という直感があるのだ。それがまさに気配でわかる。

 その直感がなければ、俺は躊躇わず一撃を繰り出すはずだ。繰り出して、さて、どうなるか。

 赤羽火花が死ぬのか、それとも、攻撃した側が死ぬのか。

 赤羽火花という少女を相手にすると同時に、ハルハロンという守護霊体をどうにかしなくてはいけない、という課題もあった。

 この守護霊体が厄介で、普段は存在を消しているため、触れることはおろか、魔力をぶつけることすらできない。

 暗殺者の業界では、守護霊体が標的を守っている時は待ちに徹するべき、というが常識だった。正面切って戦えば、一流の魔術師でも対処しきれない。

 対処法としては守護霊体と契約している魔術師の魔力切れを待つだけで済むのだ。魔力が切れれば、守護霊体は物質化できず、また魔力の行使も不可能になる。

 そのはずなのだが、赤羽火花が魔力切れの兆候を見せることはない。どれだけ観察しても、魔力が切れた魔術師特有の、ある種ぼんやりした状態、というのが見えない。

 まさか四六時中、守護霊体を召喚しているとは思いたくないが、それが憶測ではなく紛れもない事実だと、赤羽邸で半月を過ごして、さすがに認めざるをえないのが実際だった。

 それはそれでとんでもないことだ。

 赤羽火花の魔力は無尽蔵、ということになってしまう。古今東西、どこを見渡しても、そう簡単に見つかる素質ではない。

 それはそれで、暗殺するしない、暗殺できるできないを別にしても、彼女の資質は気にはなる素質だった。

 そんな特異体質の持ち主に、純粋に興味がわきもするのが、今の俺の心情だった。

 わくけれど、まだ直接、訊ねるほど心を許してもいないし、もう少し様子を見よう、というのが俺の方針になった。

 言ってしまえば、全てにおいて待ちである。

 彼女が学校に行ってしまうと、屋敷は閑散としていて、動いているのは式神だけになる。

 びっくりすることに、広大な屋敷の管理のために、全部で十体を超える式神が稼働している。魔力源をどうしているかと思ったら、大地から直接に供給している、と親切にも式神自身が教えてくれた。

 どうやらこの山の地下に巨大な魔力溜まりがあり、それを引用しているらしい。

 それならこの山自体の超強力な結界も、説明がつく。

 人間離れした巨大な魔力は、土地そのものに宿っていて、それを魔術構造式に流し込めばいいわけだ。

 まったく、一二九家系の一つともなれば、全てのスケールが大きすぎる。

 俺が二年前に始末した魔術師の屋敷もここまでではなかった。ただあの中年の魔術師は、自信家だったし、慢心もあった。得てして強力な魔術師ほど、自身の力を過大評価し、他人の力を過小評価する。

 さて、屋敷での生活に話を戻そう。

 俺は部屋にいても仕方ないので、最初は中庭で過ごしていた。体術の訓練、剣術の訓練を繰り返す。

 しかしある時、魔術師学校から帰ってきた赤羽火花に、

「芝が荒れるから武道場でやってちょうだい」

 と、言われてしまった。言われてみれば、中庭の芝はとこどころ剥げている。俺の足が踏みしめる場所だ。

 武道場というはトレーニングルームか? と思いつつ、案内された先は、屋敷とは別棟で、屋敷が西洋風なのに対して、和風の建物だ。

 中に入ると、床は板張りで長い時間をかけて磨かれたように、光っている。

「靴を脱いでね。刀の類には触れないように」

 上がり込むと、玄関の反対側の壁に、数本の刀が鞘に収まって、飾ってある。触れてみたい衝動があるが、我慢するしかない。

 赤羽家に普通の刀剣があるとも思えない。すでに廃れているが古の魔術である呪術が込められている場合もある。

 その日から俺は昼間を武道場で過ごし、正午になると、式神が食事を運んできてくれる。

 長い距離を走りたい願望があったので、とある日の食事時に、そばに控えている式神に訊ねると、「結界の中を走ればよろしいかと」と返されてしまった。

 これは盲点だった。

 式神が言っているのは、山を下るように走り、そうすれば自然と結界にとらわれて同じところを走り続けることになるわけで、それで走り続けられる、という意味だ。

 何か違う。魔術師的ランニングマシンと思えなくもないが、とんでもなく異質だ。

 仕方なく、結界の迷宮ではなく、屋敷を囲う格子の柵の向こう側を走ることにして、お昼ご飯の後、少し休んでから、外へ出る。まだ春の空気で、ちょうどいい気候だ。

 緑が鮮やかになってきた森の中にある屋敷は、走りながら眺めると、かなり古いとわかる。百年やそこらではない。赤羽家が代々、守ってきたんだろうけど、どこから資金が入っているのやら。

 屋敷の周囲を何周も走って、一時間ほどで切り上げる。正面の門で式神が待ち構えていて、タオルと飲み物をくれる。至れり尽くせりだな。

 俺が式神の主人を殺すためにここにいると、わかっていないのだろうか。

 少しの休憩の後、武道場に戻り、筋トレを始める。

 全身に身体能力を向上させる魔術が刻まれているので、筋トレはそれほど意味がないけれど、習慣だ。俺を鍛えた魔術師たちは、本来の肉体の強靭さが強力な魔術の下地になる、と口を酸っぱくして叩き込んだものだ。

 筋トレが終わる頃、夕日が射し始める。

 一度、風呂に行き、汗を流す。この時間なら、まだ赤羽火花は帰ってこないので、ゆっくりと風呂に入れる。どうもこの屋敷の大浴場は、式神が常に入れる状態に保っているようだ。とんでもない労力というか、労力の無駄遣いだが、そこは豊かなものの贅沢とも言える。

 ま、風呂は気持ちいし、その贅沢の一部を、利用させてもらっている俺である。

 風呂から出て、綺麗な衣類を身につけて外へ出る。

 大概、ここでふらっと屋敷のどこかのドアから、赤羽火花が帰ってくる。

 彼女は「退屈してない?」とか「ちゃんと食べてる?」とか、愛想よく声をかけてくるが、俺はまだこれにはどうも、馴染めなかった。いつもぶっきらぼうに答えるしかできない。

 それから夕食になり、赤羽火花が食べること食べること、健啖家という言葉では説明できないほど、食べる。俺の三倍はあるだろう。

 俺は大概、お茶を飲みながら、彼女の様子を眺めている。見ているだけでこちらも満腹になるが、その食べっぷりは正直、面白い。

 ちなみに式神が淹れるチャイティーは、俺が幼い頃、仲間と共に住んでいたインドで飲んだものに、比較的近い味がする。淹れ方なのか、材料なのかは、よくわからないけど。

 そうして一日が終わり、また次の日が来る。

 いつまでこんな日々を続けるのか、自分に問い始めた時、唐突にその男がやってきた。

 俺は武道場で式神に見守られて食事をした後で、一度、屋敷の中に戻り、走るための服に着替えて廊下に出たところだった

 隣の部屋のドアが開いて、長身の若い男が、のっそりと現れた。

 こちらに向けられた顔は、半分がヒゲに覆われている。

「お客さんかい?」

 眉尻を下げて、男がそんなことを言った。

 誰だ?



(続く)

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