2-4 遊びと仕事
◆
私はドアを開ける前に背後を振り返り、友人二人に手を振った。
「じゃあ、また明日ね」
バイバイ、と彼女たちも手を振った。二人とも魔術師学校の寮で生活している。私みたいな通学組は珍しいのだった。
ドアを開けた先はもう屋敷の中で、夕日が通路に差し込んでいる。
何かかすかな音がするので、耳を澄ます。中庭かな。
二階の廊下の窓を開けて中庭を見下ろすと、シナークが何かの稽古をしていた。体術だろうか。動きがかなり早い。彼が地面を踏みしめる音、両手両足が空気を打つ音、そして鋭い呼気と吸気が、私の耳に届いたらしい。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
エマがすぐ横にやってきた。私は中庭を見たまま、鞄を渡す。
「あれ、いつからやっているの?」
「そうですね」エマが少し考える素振り。「二時間ほどでしょうか」
「へぇ。休まずに?」
「そうです。体力がありますね」
ふぅん、と言いつつ、私は窓に身を乗り出し、そのまま空中に飛び出していた。
おっと、スカート履いているんだった。素早く手で押さえて、着地。
さすがにシナークがこちらを見て、目を丸くしている。ちょっと顔が赤いのは、運動のためか、それとも別のことか、まぁ、どうでもいいか。
「ちゃんと階段を使えよ、お嬢様」
皮肉られているようだけど、同い年と聞かされても見た目年下のちび男子に皮肉られても、痛くもかゆくもない。
そばにある木の枝に制服の上着を引っ掛け、シャツの袖をめくり上げる。
「だいぶ訓練しているようだけど、私に勝てるかしらね?」
「一回、背後を取ったぜ」
こんな風に?
私がそういった時、その私の体は、彼の側面にある。
もちろん、ここでこのおチビちゃんは逃げたりしないのだから、面白い。
手刀が私の首筋を狙って襲いかかってくるのを、手首を掴むことで止める。
はずが逆にこちらの手首を掴まれた。低空で走った彼の足が一瞬で私の足を払う。
しかしこちらも払いに来た足を回避し、逆に相手の腕を掴み返して、飛びつく。
腕ひしぎ十字固めに行こうとする私に即座に反応、体ごと捻って私の手を振り切って拘束を脱出するシナーク。
今度こそ、二人の間に間合いができる。
「お嬢様がそこそこ使うのはわかったが、スカート履いてそういうことするなよ」
「色気のせいで負けたって言い訳できるでしょ」
そこからはもう会話もなかった。
二人ともが魔術による身体能力強化で、とんでもない速度で躍動する。
最初こそ手加減をして、投げ技や締め技で相手を降参させようとしていたのが、本気の殴り合いになった。
もちろん、それぞれに回避するので、命中することはないけど、ほとんど一撃必殺の打撃が交錯する事態になっている。
「そこまで!」
声と同時に銅鑼のような音が鳴り響き、私は拳を止め、シナークも蹴りを止めた。
二人が動きを止めて視線をやった先で、エマが中華鍋を片手に持ち、もう一方の手ではすりこぎのようなものを持っている。
もう一度、ガァァァン! と中華鍋が打ち鳴らされる。
「お遊びはそこまでしてくださいね、お二人とも。子どもじゃないんですから」
決まりの悪い思いでシナークを見ると、彼も似たような面持ちでこちらを見ている。
やれやれ。私としたことが、はしゃぎすぎたか。
二人で構えを解いて、私は上着を回収し、自分の部屋に戻ることにした。廊下を、ひっそりとシナークも後をついてくる。
「どこであんな技を覚えた?」
背後からのシナークの声に、私は振り向かずに、「両親に仕込まれたのよ」と応じる。
「両親? 赤羽家の当主のことか?」
「実質的な当主は正確にはお爺様だよ。書類の類の面ではお父さんになっているけどね。で、一二九家系の一員で、しかも本家となれば、色々とうるさいわけ。魔術も、体術も、剣術も、弓術も、馬術も、忙しいったらないわ。その他にも本当に、色々とあったなぁ」
私は言いながら、過去の苦労を思い出していた。
そう、赤羽家は一二九家系のうちの一つで、私はその直系の子孫なのだ。
それもあって私には魔術の素養があり、才能があるわけだけど、そこはさすがに魔術師の世界も厳しいので、素養だけ、才能だけで勝負できるわけもない。
私は幼い頃からありとあらゆる技能を仕込まれ、魔術師学校にも初等科に五歳で入っている。これはかなり早い方で、七歳で初等科一年生になるのが一般的だ。そして、この七歳より幼い入学者は、アーリーズ、などと言われる、ちょっとした別格、エリートでもある。
でもまぁ、お爺様はともかく、両親は私の能力がある程度に達すると、唐突に放任主義的になった。思い返すに、私が中等科に十歳で飛び級した頃だ。
これは推測するに、私のことを一人前と見なしたんだろう。あとは自分の力で、進みたいところへ、進みたいように、進めるだけ進みなさい、ということだと思う。
しかし本格的な訓練をやめて久しいのに、私の体術も捨てたものじゃないな。
超一流の暗殺者が、まぁ、本気ではないにしても、遊び相手にする程度には使えるわけだし。
シナークはもう何も言わず、私の部屋より手前にある自分に与えられた部屋へ去って行った。
私も自分の部屋で、素早く制服からカジュアルな服装に着替える。
食堂へ行くと、すでにシナークは席で待っていた。
夕飯はいつも量が多い。私にはちょうど良いけど、例のお泊まり会を初めてやった時などは、私と友人二人の食べる量の差に驚いたものだ。
実際、シナークも疑り深そうに私の前の料理を眺めている。食べきれるのか? という目だ。
いただきます、と二人で声を合わせて、食事が始まる。
私が食べきるまで、シナークはお茶を飲んで眺めていたが、私が食べ終わってお茶を喉を鳴らして飲むと、すごいな、と本当に呆れている声で呟いていた。
「で、シナークはまだ私を殺したいわけ?」
何気なさを装って訊ねると、もちろんだ、とシナークは少し表情を真面目なものに変えて、答えた。
「それが俺の仕事だからな。依頼は絶対だ」
「でも、私を殺せないでしょう?」
からかうつもりで言ってみたが、真面目な顔で、かもしれない、と言われて、こちらが動揺してしまった。そうと悟られないように素早く心の中に押し込めたけど。
「しかしな、お嬢様」
そう口にするシナークの表情にある感情は、なんだろう?
悲しみ、だろうか。
私がじっと見ている前で、シナークがはっきり答えた。
「俺たちの仕事は、失敗すれば死しかないんだ」
シンと食堂が静まったところで、エマがすっと進み出た。
「シナーク様、チャイを飲まれますか? 私、最近、練習しているのです」
式神が練習か、と笑顔を見せてから、一杯くれ、とシナークが言うと、エマが頭を下げてから、こちらを見た。
「私にも一杯、ちょうだい」
かしこまりました、とエマが部屋を出て行った。
私たちはまだどこか、ぎこちないながら、静かに食卓を挟んで向かい合っていた。
(第2話 了)
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