1-3 食堂にて

     ◆


 中庭で桜を見ながらお茶を飲んでいると、屋敷から中庭に通じるドアのうちの一つが勢いよく開き、少女、赤羽火花が出てきた。俺を見て、目を丸くし、すぐにニコニコと笑う。

「桜を見ながらお茶を飲むなんて、渋いわね」

 そういう彼女から、すぐに式神が学生鞄を受け取る。

 俺もいつでも動けるように身構えたが、赤羽火花は平然としているし、無防備の俺のすぐそばに置かれている椅子に座る。そこへ式神が湯飲みとどら焼きを持ってやってくる。

「あなた、エマを攻撃したわね?」

 お茶を一口飲んで、早速そう指摘してくる。ちゃんと管理はしているのだ。

「弱い式神だ」

「彼女は戦闘用じゃないのよ。家事全般が担当。あなたみたいなデタラメ坊やの相手はできないわ」

「前も俺を坊やと呼んだな」不意に思い出した。「俺は坊やではない」

 ふぅん、と赤羽火花が何かを測るような目でこちらを見て、

「そんなにチビなのに?」

 と、口にする。

 それは俺が一番嫌いな言葉だ。

 魔力が漏れ出て、空中でバチバチと小さな電気が散った。

「俺は十六歳だ。つまり、お前と同い年になる」

「え? そうなの。ごめん、気づかなかった」

 ……謝られることで余計に腹が立つこともあるのだ。

「で、あなたの名前は?」

「死の導き手」

 やり返してやるつもりでそう言ってみたが、赤羽火花の反応は淡泊だった。

「伝説的な暗殺者ね。えっと、一二九家系のうちの一つを、滅ぼしたはずだけど、そうよね? あー、あれは、いつだったかな、二年くらい前じゃないの? 本当にあなたがやったの? 十四歳の時に?」

 調子が狂うなんてものじゃない、まるで友達同士の会話だ。話の内容は深刻なはずなのに、まるでそんな空気にならない。

 どうにかペースを取り戻したいので、少しリアリティを出すことにした。

「確かに俺は十四歳だった。仲間が俺に魔術を刻み込んで、これでも大抵の魔術は無力化できる。体術の訓練も積んだ。一二九家系の末裔と言っても、堕落した魔術師なんて、物の数ではない」

「へぇ」

 へぇ? どういう返事だ?

「お前を殺しに来ているんだぞ、俺は」

「ああ、そうだったね」

 ああ、そうだったね?

 この娘の感覚が全く理解できない。恐怖という感情をどこかに忘れてきてしまったのだろうか。それとも、とんでもない自信家で、俺を自由にできる、いかようにも料理できると思っている?

「お腹空いたなぁ」そんなことを言って赤羽火花が立ち上がった。「あなた、今日はもう遅いし、夕食を食べて、泊まって行きなさいよ。部屋はいっぱいあるし」

 ……俺は何か、遠回しにからかわれているのだろうか。

 しかし食事中なら、何か、隙を見出せるかもしれない。

 いいだろう、と応じると、偉そうに、と笑われた。やっぱりからかわれているのか?

 二人で食堂へ行くと、すでに料理が用意されていた。式神は一体しか見えない。

 料理は和風で、部屋の作りが明らかに西洋のそれなので、妙な感じだ。

「ナイフとフォークとスプーンを出してあげて」

 素早く赤羽火花が式神に指示を出す。気を使われて不愉快だが、箸の使い方はまだマスターしているとは言えないので、受け入れる。

 それに、武器が手に入った。

 式神が俺の前にナイフとフォークとスプーンを置く。

 赤羽火花が「いただきます」と口にしてから食事を始めた。しかし、品数がやたらと多い。食べきれるのか?

「それで、あなたはどこ出身? 見たところ、肌の色からすると、中東っぽいけど」

「アフガニスタン」

 短く答える俺に、それはまた、と赤羽火花は顔をしかめた。

「戦争の後、魔術師どもが大勢、流れ込んだわね。魔術の試験にはうってつけだとか。あなたはどういう魔術師の家系?」

「傍流のまた傍流だ。大した力はない」

「でも、朝のあなたの動きは、並じゃなかったよね? 何かで補っているわけ? 体に刻んでるとか言ってたけど」

 正直に答えるか迷ったが、油断を誘うために、少しくらい同情を引いてもいいだろう。

「俺が生まれたのは、何もない村だ。両親は魔術師の家系だったが、父親は民兵で、母親は男に体を売って、俺と姉を育てていた」

 赤羽火花は手を止めないながらも、耳を傾けているようだった。

「戦争が終わった後、魔術師たちが姿を見せ、同じ集落から人が消えていった。そしてその順番が、俺の家族にも回ってきた」

 幼い頃の記憶、十年前のぼんやりしたイメージが、脳裏に浮かぶ。

「明け方、魔術で拘束された一家四人で、遠く離れた山岳地帯に連れて行かれ、そこで四人の魔術師が待ち構えていた。まず父親と母親が魔術によって魔術生物の核にされて、化け物に変わり、お互いに戦いを始めた。結果は、父親が勝った。次は姉の番だ。地面に転がっている母親だったものと姉が掛け合わされ、また魔術生物同士が争い、今度は父親が死んだ」

「でもあなたは、助かった」

 そうだ、と俺は頷いて見せる。

「魔術師が俺を化け物に変えようとした時、別の魔術師がやってきた。彼らが俺を助けた。だが、姉は生きていても、元の姿には戻せず、コントロールも不能で、その場で殺すしかなかった」

「その新手の魔術師が、あなたを育てたの?」

 彼女が手を止めてこちらを見る、その寸前。

 完全に不意をつけた。

 俺の両手が、わずかな時間差でナイフとフォークを投擲している。

 片方を避ければ、片方が命中する。

 赤羽火花の頭に食器が突き刺さる光景を、俺は見た。

 が、空中で、ナイフとフォークは停止していた。

「迂闊なことを」

 そう言ったのは赤羽火花でも、式神でも、当然、俺でもない。

 空中から染み出すように長身の若い男が現れ、その手が二本の凶器を止めている。

 全く存在に気づかなかった。人間ではない。霊体だ。

 事前の情報にはなかったが、まさか、守護霊体か?

「ごめん、ハルハロン。油断した」

 そっと赤羽火花がハルハロンと呼ばれた男の手に触れると、男の姿はまた溶けるように消えていった。

「いきなり殺しに来るのは、卑怯じゃないの?」

 食事を再開しつつ、赤羽火花は嬉しそうだ。何が嬉しいんだ?

「私の奥の手を見せたんだから、あなたの名前くらい、教えてよ」

「今のは、守護霊体なのか?」

 さすがに質問せずにはいられない。守護霊体など、予想外だ。

 ムッとした顔で、赤羽火花が唇を尖らせて応じる。

「それはあなたが名前を教えてくれたら、教える」

「守護霊体だとは思えない」

 俺はやっと自分が恐怖しているのに気付いた。口が勝手に動く。

「守護霊体は魔術師が一時的に召喚する存在のはずだ。なのに今、お前は守護霊体を瞬間的に召喚したわけじゃない、いや、一瞬で召喚など不可能なのが守護霊体だ。しかも守護霊体を維持する魔力は膨大で、どんな魔術師でも長時間は召喚した状態を維持できないと聞いている。だが、今は、間違いなくあの守護霊体は、ずっとお前のそばにいた。どういう理屈だ?」

 いっぺんに喋って、それから俺が黙り込むと、赤羽火花が首を傾げる。

「そこまで考えていれば、答えはわかるじゃないの」

「あ、ありえない!」

 立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。

 ありえないことなのだ。

「お前には、守護霊体を常時召喚する魔力がある、ということか?」

 かもねぇ、と言いつつ、赤羽火花は式神に空いた食器を下げさせ、差し出された湯飲みでお茶を飲んでいる。

「まあ、そこまで知られたら」

 ニコニコしながら口を開く赤羽火花に、こいつはこれから恫喝するな、と俺は理解した。

「守護霊体にあなたを引き裂いてもらうのも、一興かな」

 さすがに俺は言葉を失って、目の前の少女を見るしかなかった。



(続く)

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