1-2 中庭にて

     ◆


 案内された先は中庭で、噴水があったが、今は水が少しもない。

 この中庭でも、桜が咲き誇っていた。

「どうぞ」

 磨かれた椅子に腰掛けた俺の前のテーブルに、湯飲みと何か、小さなパンケーキのようなものが出された。パンケーキ二枚で何かを挟んであるらしい。

 興味深いが、どこか気まずくて、気楽に手を伸ばせる感じでもない。

「お名前を伺ってもよろしいですか?」

 女の一人がそう訊ねてくるのに、俺は二人の様子をもう一度、観察した。

 瓜二つなんてものじゃない。全く同一の存在。俺の視線にわずかに首を傾げる動作も、何から何まで、同じだった。

「お前たち、式神か?」

 日本人が得意とする魔術の一つで、擬似生命を生み出す技がある。その擬似生命が式神と呼ばれていたはずだ。

 だが、俺が知っている式神の情報では、全く同一の存在を二つ、生み出せるのかは曖昧だ。可能ではあっても、実際に見たことはない。

 女二人が全く同じように微笑む。

「その通りでございます。エマと名付けられています。そうお呼びください」

「二人いるじゃないか。名前が一つでいいのか?」

 なんでこんなことを話しているのか、自分でもわからないが、とにかく、気にはなる。

 エマの右のほうが答えた。

「本来は一つですから、名前も一つしかありません。混乱しますから、片方は席をはずすことにします」

 右のエマの言葉に、左のエマが深く頭を下げ、去って行った。

 やれやれ。

「お名前は明かせない、ということでよろしいですか、お客様」

 もう一度、そう訊ねられ、俺は少し恫喝することにした。

「死の導き手、と呼ばれていることもあるな」

 この言葉は魔術師が聞けば大きな衝撃を受ける。

 受けるはずだが、式神風情にはそんなことは期待できなかった。平然と微笑みながら、答えが返ってくる。

「その通り名は存じています。「魔術師十七人殺し」の実行犯が、そう呼ばれていたかと」

「実行犯が俺だと言ったら、驚くか? 式神」

「私はただの式神でございます。あるいは人間のように生命というものを持っていれば、恐れから驚いたかもしれませんが、式神の身からすれば、他の魔術師と同じでございます」

「それもそうか。殺しても死なないしな」

 その通りでございます、とエマが微笑む。

 やっと俺もここで相手を脅す無意味さに気づいて、湯飲みを手に取った。事前の調査で日本に溶け込むために情報を調べたが、湯飲みというカップに注がれるのは、大抵は日本茶だ。日本茶も情報では知っていても、飲んだことがない。

 ちょうどいい温度で、少し口に含むと、コーヒーとはまた違った苦味がある。しかしどこか、爽やかな味だ。

 添えられているパンケーキを手に取る。これは、なんだろう、事前に調べて見た気もするが、なんという名前だったか。

 試しに上の方の一枚をめくってみると、黒い何かが挟まってるとわかった。この黒いものは、あんこ、だろうか。それなら、これはどら焼きという奴らしい。当然、食べるのは初めて。

 口にしてみると程よい甘さで、美味い。

「狙いはお嬢様でございますか?」

 エマの何気ない問いかけに、俺は彼女を横目に見て、お茶を一口飲んだ。

「この屋敷に一人しかいないんだ、それ以外にいないだろう」

「その割には迂闊な方ですね、お客様も」

 どういう意味だろう? 訊ねるつもりで睨みつけるが、式神はニコニコと笑っている。俺がどら焼きを食べ終わると、もう一ついかがですか? などと勧めてくる始末だ。断るのが惜しいが、またいつか、どこかで食べればいい。

「お嬢様のご両親、旦那様と奥様は、常に世界中を巡っておられます」

「だから?」

「十六歳の女の子が、一人で、私のような式神しかいない屋敷で生活するのは、淋しいものでございます。お客様はそう思われませんか?」

 思わず鼻で笑っていた。

「両親や家族に会いたくても、会えない奴だっているさ。どうせ赤羽火花の両親だって、帰ってくるときは帰ってくるんだろう?」

「失礼いたしました。お客様はご両親を亡くされているのですね」

「魔術師による殺人さ。この国じゃどうか知らないが、俺が生まれた国では、よくあることだな」

「魔術師による殺人は魔術学会が取り締まる、と私が申しましても、それではお客様がここにいることに説明がつきませんね。「魔術師十七人殺し」は大罪の中の大罪です。魔術協会がお客様を追跡しない理由がございません」

 そうだろうな、と応じて、俺は湯飲みの中身を飲み干した。急須と呼ばれるのだろうポットからお代わりが注がれそうになるのを、「いらないよ」と止めた。素早く椅子から立ち上がり、式神に「面倒をかけた」と声をかけておく。

 去ろうとする俺に式神が淡々と声をかけた。

「お嬢様が帰ってくるまで、お待ちいただけませんか?」

「それで一緒にお茶でも飲めってことか? ごめんだね。あの娘は、絶対に始末する。正攻法を選ぶ必要もない、常に周囲に気をつけろと言ってやれ」

 承りました、と返事があるが、式神の口調には何かを押し殺す雰囲気がある。振り返ってもよかったが、負けたような気がして、さっさとそこを離れた。

 屋敷は掃除が行き届いていて、綺麗だ。それもそうか、式神を使役すれば、いくらでも使用人を生み出せる。

 玄関から外へ出て、前庭を抜けて、柵にある門へ。鍵がかかっているはずが、俺が触れると一人でに錠が開いた。出て行くものは拒まず、ってことか?

 そのまま山道をまた降っていく。時間はまだ太陽が天頂には届いていない。夕方には山を降りられるだろう。

 上がってくる時に見た桜のことを思い出しながら、坂を下りていく。

 下りていくが、景色は変わらないし、桜も見えない。

 どういうことだ?

 しばらく歩いて、異常に気付いた。同じところを進んでいる。いくら歩いても、山を降りていない。

 魔術の働きを探知しようとするが、滅多にないことだが、強力すぎる魔力の流れに探知そのものが成立しない。

 感触としては、屋敷どころではなく、山全体を使った超巨大な結界が展開され、それは何人たりとも脱出不可能な結界らしい。

 俺は自分の身に刻まれた、魔術破壊魔術を行使するべきか、迷った。

 これだけ大掛かりになると、破壊したところで反動が強烈だろう。あるいは俺の中の魔術構造式の方が焼き切れるかもしれない。

 と言って、何もせずに歩き続けても、どこへも行けない。

 非常に不愉快ながら、進むべき方向は一つしかない。

 来た道を引き返し、坂を上げっていく。ずっと下り続けたにも関わらず、すぐに屋敷へ戻ることができた。柵の手前に、例の式神が立っている。

「申し訳ありません、お客様」

 頭を下げられるが、こうなっては怒りもわかない。

「あの娘が帰ってくるまで、待たせてもらう」

 式神がにっこりと微笑み、格子の門をゆっくりと開いた。



(続く)

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