二人の魔術師のプロローグ

和泉茉樹

第1話 少年、来たる

1-1 侵入

     ◆


 この国には四季がある、と知っていた。

 山の中の未舗装の道を歩いていた俺の目の前に、桃色の花が咲き誇っている木があり、思わず足を止めていた。

 綺麗だ。これが桜だろうか。

 俺が過ごしていた中東の地では、この山のような圧倒的な緑すらなかった。所々に森はあったが、どことなくくすんでいて、埃にまみれていたように思う。

 歩みを再開して、これからすることを頭の中で思い描いた。

 標的は日本人の少女で、俺がやることはシンプルそのもの。

 彼女の首を掻き切る。

 彼女の命を奪う。

 相手は俺と同じ十六歳で、魔術師としては未知数だが、魔術師など、俺にとっては大した脅威ではない。

 すでにこの山全体に張り巡らされた魔術結界は破壊せずにすり抜けている。この程度の警戒態勢しか敷けないのなら、情報よりも容易い相手だろう。

 意識の片隅で、チカチカと瞬く光景は、血だまりに伏している無数の屍。そして手に蘇る、ナイフで肉を引き裂く感触。

 ほんの少しだけ目を閉じて、前だけを見て先を急ぐ。

 俺が上がっていくうねうねと曲がった坂道の両側は鬱蒼とした木立で、見通しが悪い。だが、トラップの類はないらしい。それはやや拍子抜けではある。これも事前に調べたが、標的自身も、その家族も、生半可な魔術師の家系ではないはずなのに、無警戒だ。

 前方に、何か人工物が見えたと思うと、木立が終わり、そこには大きな屋敷が現れた。

 屋敷というより、城かもしれないが、ヨーロッパのそれを模していて、日本的ではない。格子状の柵が巡らせてあるので、魔術による監視や警備を、身体に刻み込んだ魔術のうちの一つで、再確認。やはり目立った警戒網はない。

 屋敷の様子を眺めながら、人気がないのを探り、そっと柵に触れてみる。

 魔術師の屋敷の警備手法として、魔術が無効化されることを前提に、ただ高圧電流が流されている場合もある。これを知らずに不用意に行動すると、人間として自然と感電する。

 もちろん、今の俺は魔術で電流を大地に逃がす処置をとったけど、電流は流れていない。

 ますます不思議な屋敷だ。

 柵を掴んで、乗り越える。

 乗り越えた瞬間、何か、膜のようなものを抜けた感覚。警備魔術。だが俺の魔術が自動で起動し、警備魔術は少しも破綻していないのは感触でわかる。魔術を発動している相手も、俺の侵入は気づけないはずだ。

 魔術による警戒は、人間の目視やカメラなどによる撮影よりも万能だが、一部では、脆弱とも言える。

 なぜなら、魔術的に警戒をすり抜ける時、展開されている魔術を騙しさえしてしまえば、魔術師には何も把握できない。魔術による警戒は、大抵は見ているわけでも、撮影しているわけでもなく、魔力の流れや魔術の痕跡でしか、相手を探知しない。

 この屋敷もそのようだ。

 俺は前庭を抜け、忍び足で建物へ向かう。

 ここで注意するべきは、地雷の類だ。本当に拠点を防御しようとする魔術師の中には、地雷原の中に住んでいるものがいる。

 魔術がいくら万能でも、不意打ちで、一瞬で爆発に飲み込まれると、ただでは済まない。

 視線を巡らせ、感知魔術が地面を精査。何もない。

 花壇の横を抜け、建物の外壁に辿りついた。

 窓の一つを開けようとするが錠がかかっている。

 割って破ってもいいが、窓ガラス越しに魔力を流し、初歩的な魔術による物理力が、向こう側の錠を押し上げ、窓が開くにようになる。

 ここでも、やっぱり警備はザルだ。どういうことだろう?

 蝶番を軋ませないように窓を開け、中に入った。

「あら?」

 いきなりの声に、振り返りざまに腰からナイフを抜いていた。仲間から贈られた、肉厚の軍用ナイフ。

 目の前にいるのは日本人の女、年齢は十代。

 標的だ、と思った時には動いていた。

 体の運動能力を向上させる魔術で、瞬間的に加速。

 無警戒な少女の側面に移動し、ナイフが一閃。

「ちゃんと挨拶をしなさいね、坊や」

 ナイフは当たらなかった。切っ先がかすめもしなかった。

 まるでこちらがよく見えていたように、少女は半歩、身を引いただけだ。

 こちらの運動、ナイフの軌道、変化した間合い、全てを把握されている。

 そこから連続攻撃に持っていくこともできた。

 しかし標的の情報が、それをさせなかった。ここで畳み掛けて、逆襲されれば、俺は死ぬだろう。

 跳ねるように下がり、ナイフを構え直すが、少女はニコニコと笑っている。

「お客さんが来ることは滅多にないから、嬉しいわ。私は赤羽火花。あなたは?」

 赤羽火花。その名前は知っている。

 まさしく、俺の今回の仕事の標的なのだ。

 俺はじりっと間合いを狭めるが、赤羽火花はまったく動じない。こちらが凶悪なナイフを持っているのに、まるで気にもしていない。

 何より、俺の殺気を、まったく意に介していない。

 魔術師っていう奴は、やっぱりどこか、いかれてやがる。

 飛び出そうとした時、彼女がこちらに手のひらを向けた。

 魔術による攻撃か。防御を固めるために構えをとる。

「そんなに驚かないでよ」

 攻撃は来ない。投げかけられる言葉にも、攻撃性はない。

「私、今から学校だから、行かなくちゃ。夕方には帰ってくるから、それからお話をしましょうよ。いいでしょ? 何か、予定がある?」

 こいつは何を言っているんだ?

 俺が止める間も無く「じゃあね」とヒラヒラと手を振って、今になって気づいたが、洒落たデザインの制服を着た少女は、学生鞄を片手に、通路を離れていく。

 追いかけるか迷っているうちに、赤羽火花はドアの一つを開け、中に消えた。

 学校?

 いや、お話ししましょう……?

 訳がわからない。

 何かの罠だろうか。そっと気配を殺し、彼女が入っていったドアに忍び寄る。

 鍵もかかってないようで、ドアは自然と開いた。

 開いたが、その向こうは雑然とした物置で、雑多なものが積み重ねられていて、ドアを開けた時に流れ込んだ空気で、埃が舞い上がった。

 もちろん、赤羽火花はいない。

「お客様」

 背後からの声にまたも振り返る俺。どうやら今日は、集中が乱れているか、気が抜けているらしい。

 通路に立っているのは若い女だが、生気がないのは一目でわかった。

 それでも自然な笑みを見せ、問いかけてくる。

「少し遅いですが、朝食をお出しできます。いかがいたしますか?」

 毒気を抜かれながら、ナイフを構えるが、その女は「どうぞ」と言ってこちらに背を向ける。長いスカートがひらりと揺れる。

 俺は彼女の無防備な背中に歩み寄ると、片腕をねじり上げ、首筋にナイフの刃を押し付けた。皮膚が切れるか切れないかの力加減でだ。

 しかし女は動じていない。悲鳴一つ上げない。

「赤羽火花はどこへ行った?」

「魔術師学校でございます。夕方には、お戻りになるかと」

 そっけないと言ってもいい返事に、俺は女を解放するしかなかった。

 が、ナイフの一撃で、心臓を破壊しておいた。

 血が噴き出すこともなく、女が倒れる。

 出直すしかなさそうだ。死体に背を向けた俺に、声が投げかけられた。

「朝食でなければ、お茶をお出しします」

 勢いよく振り返ると、さっきの女が平然と立っている。

 反射的に倒れている女を見ると、確かにそこにいる。いるのに、心臓を破壊されたはずが、立ち上がる。

 瓜二つの女が、二人か。

 ニコニコと笑う二人に、俺は襲い掛かる気力を奪われ、ナイフを腰の鞘に戻した。

 いったい、俺はどういう場所へ来てしまったんだ?


(続く)

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