六話

 放られたボールは今までで一番速いように感じられた。


 そして今までのどれよりも、ど真ん中のストレートだった。


 俺は耳かき棒を振るう。バットでいえば芯のあたりにボールが直撃。血管がちぎれそうなほどの力で、座間の魔球を打ち返す。

 打球は高く高く、遠く遠くへと飛び上がり、


 漫画のようにバックスクリーンへと当たり、スコアボードのガラスを叩き割った。


「これで逆転サヨナラ満塁ホームランだ。ツーベースより欲張りすぎたな」

「カッ、キー」

「きっかけなんて関係あるかよ。俺は確かに、あの失恋がなかったら耳かき音声と出会わなかったかもしれない。あの時の傷がなかったら耳かき音声を好きにならなかったのかもしれない。それでも、俺は耳かき音声が好きだ、愛してる、それだけは自信を持って言える」


 耳かき棒の先端を座間へと向ける。


「おまえだって、野球が好きなはずだ」

「だけど、俺は」

「これから正々堂々と戦えばいいじゃないか。自分達だけの力で、そのまま甲子園でも行って全国制覇しちまえ。そうすればこの前倒したチームも諦めがつくだろうよ」

「それで俺は、自分を許せるかな」

「知るか。でも、そうするぐらいしかないだろ」

「……その通りだな」


 その言葉を最後に、座間は膝から崩れ落ちた。プリシアと藍原を縛り付けていた十字架も消え、球場はすっかり静寂を取り戻す。

 プリシアや藍原への謝罪は後回しにして、俺は座間に駆け寄ろうとした。


「待ってろ、いま浄化して」

「ダメだよ、カッキー」


 しかし、俺の行動は座間によって制止される。


「まだ、終わってない」

「あ? 三打席勝負なら俺の勝ちでいいだろうが」

「違うんだ、そうじゃない……おかしいって思わないか?」


 何が、と俺が問い返すよりも早く、座間は言葉を続けた。


「ハイトが怪人を生み出すのは、感情エネルギーを収集する時間を稼ぐためだ」

「それが何だって」

「でもここには、ヒーローしかいないんだよ」


 座間の言葉に、藍原が何かに気づいたように声を上げた。けれど、その小さな声はすぐにかき消される。


「実に、理解に苦しむ結末だった」


 その声は空から降ってきた。見上げれば、黒く光る球体が俺達を睥睨するように宙に浮いている。


「ハイト……!」

「不可解すぎて吐き気を催すよ。貴様らはなぜ、苦しいことがわかっていながらその道を進もうとするのだ」


 ハイトはやれやれとでも言いたげな口調で続ける。


「まったく共感できないが、順調に消耗しあってくれたことには感謝しよう。今の貴様らなら、私だけで始末することができそうだ」


 次の瞬間、大気が揺れた。空気の中に見えない針が無数に隠れているみたいに、プレッシャーが肌を突き刺す。

 それが頭上の精霊から放たれていることは明らかだった。


「プリシアとかいうそこの精霊の真似をさせてもらうことにした。感情エネルギーを取り込み実体化する……この手は使いたくないとも思ったのだがね」


 プレッシャーはみるみる強くなる。地面に縫い付けられているのではないかと錯覚するほど足がすくみ、暴風が吹き荒れて目を開けていることさえ困難になる。


「この忌々しい感情を、これ以上私の中に宿したくはなかったのだから」


 やがて風が止み、そこには男が立っていた。二塁のベースの後ろ、内野と外野の境目のあたりに、たとえば暗黒騎士なんて名称がしっくりくるようなアーマーを着込んだ金の短髪の男。

 その精悍な顔立ちは人間離れしていて、彼が精霊であるという事実を如実に表していた。


「ああ、身体は羽のように軽いのに、心は泥のように重たい。不快な感覚だ。人間の感情は、やはり醜い」

「だったら、さっさと向こうの世界に戻ればいいじゃないか。おまえの目的はいったいなんなんだ!」


 俺は吠えるように噛みついた。いい加減に決着をつけたいという気持ちはもちろんのこと、強がっていなければ立っていられないほどに背筋が粟立っていたのだ。


「目的か。そういえば、貴様らと腰を据えて話し合う機会などなかったな」


 ふむ、とハイトは顎をさすり、俺の質問に対する答えを口にした。




「この世界から、ありとあらゆる感情を抹消することだ」

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