五話

 三打席目初球、剛速球は俺のこめかみギリギリのところを掠めて飛んでいった。


「おっっっっっまえ何しやがんだ殺す気か!」

「…………………………」


 座間は応えることなく、ただひたすらまばたきを繰り返すばかり。見渡せば、ヴェールは両手で口を覆うようにして驚きを露わにしているし、藍原にいたっては放心したように呆けた表情をしている。

 プリシアはなぜか、桃色の毛髪よりも鮮やかな朱色に顔を染めていた。


「な、ななな、なに言って、カキタロー」

「なに、だと? 言っただろうが。俺はもう自分の気持ちを否定しない。誰が文句や因縁をつけてきたって知るもんか、俺は〝好きなもの〟を好きだと言う、声高に叫ぶ!!」


 すぅーっ、と深く息を吸う。そして、今度は彼らの名を呼ぶ。


「藍原!」


 俺の背中を押してくれた彼女の名前を。


「ヴェール!」


 俺に戦う機会を与えてくれた彼女の名前を。


「座間!」


 そして、〝俺と同じ苦しみ〟を味わっている、彼の名前を。


「俺はおまえ達と一緒にいる時間が、案外好きでしかたなかったらしい」


 自然と、口角が上がっているのがわかった。


「だから、俺はもっとおまえ達と一緒にいたい。おまえ達は」

「私、私もっ! もっとギター練習して、歌も、上手くなって、そしたらまた、美泉くんに聴いてほしい!」


 真っ先に答えた藍原は大袈裟なぐらい勢いよく首肯してくれた。


「君という人間は、まったくもって度し難い」


 ヴェールは呆れたように息を吐いてこそいたが、拒絶はしなかった。


「……いいの?」


 どこか不機嫌そうに、そして不安そうに瞳を揺らすプリシアが問いかけてくる。


「ヒーローになったら……力を使ったら、また耳かきしてあげられなくなるよ?」

「かまわない」

「次はいつ、耳かきしてあげられるかわからないよ?」

「それでもいいさ」


 俺は自分の言葉を念押しするように、思い切り笑顔を作る。


「……私も、カキタローといたいよ」


 プリシアも、俺と張り合うように破顔した。


「あとはおまえだけだぞ、座間」

「……俺は」

「こいよ。ノーストライク、ワンボールだ」


 全身に力を籠める。感情が沸騰でもしたように心臓のあたりが熱くなる。血液が流れるように熱が身体中に伝播していく。そうして巡った力の流れは手の中へと収束した。


 俺の武器が真の姿を現す。


 一メートル大の耳かき棒が、俺の手に握られている。それこそが俺とプリシアを繋ぐ絆の象徴だった。

 それを見て座間の放つ雰囲気が変わる。より鋭くなった眼光に射竦められそうになるも、俺は大きく股を開いて構えた。

 一瞬、しかし永遠にも感じる緊迫の睨み合い。座間が動くのを見て、耳かき棒バットを握る手に力が入る。


 座間の手から渾身のストレートが放たれる。今の俺には、ヒーローになった俺には球が見える。さっきまではほとんど気づいたら目の前を通過していたボールが、縫い目までしっかり確認できてしまいそうにさえ思える。

 俺はニヤリと笑み、引導を渡してやるつもりで耳かき棒を振り抜く――



 ――ブォンッ!



 我ながら見事な風切り音だった。


 我ながら見事な、空振りだった。


「カ、カキタロー!」

「うるせぇ! 俺はインドア派なんだ、そもそも野球の経験もセンスもねぇんだよ!」


 言い訳を並べ立てつつ構え直す。座間は間髪を容れずに次の球を投げてきて、またしても俺はお手本のような空振りを披露するはめになった。


「……ツーストライクワンボール。もう後がないな?」

「頼むから少し黙っててくれ」


 とうとうヴェールにまでカウントされてしまった。その目にはもはや非難の色はなく、うかがえるのは呆れのみ。だから、そういうのが一番ダメージくるんだって……。

 というか、座間が妙に静かになっている。


「……カッキーは、すげぇよ」


 かと思えば、突拍子もなく俺のことを褒めだした。


「なんだ、褒めて油断させる作戦か。この俺にそんなものが通用するとでも思ってるのか?」

「カキタロー、キュウイチに君を油断させるメリットなど存在しないと思うのだが」

「一生懸命戦ってるんだからもうちょっと応援とかしようぜ!?」

「ははっ。心配しなくても俺なんかよりよっぽどカッキーの方が強いよ」


 ヴェールのあんまりな態度に抗議していると、なぜか座間に慰められた。おかしい、どっちが俺の敵なんだっけ?


「そんな風に自分の気持ちを整理して、ちゃんと歩きだそうとしてる。カッキーはやっぱりすごい奴だよ。そう思うのはきっと、俺がどうしようもなくダメな奴だからなんだろうな」


 マウンドに立つ座間は、野球帽のつばを握ってそれを目深に被り直した。


「俺さ、野球始める前はサッカーやってたんだ。球一なんて名前も、父さんが息子をプロのサッカー選手にしたいってつけたんだぜ。押しつけもいいところだよな」


 乾いた笑いが、朝のグラウンドに空しく響き渡る。


「でも俺には、サッカーの才能はなかった。みんなと一緒にボールを追いかけるのは嫌いじゃなかった、人一倍練習も頑張ったつもりだった、でも俺なんかより練習してない奴らがどんどん俺を追い抜いていく。中学に上がる頃には父さんも諦めがついてて、俺がサッカー以外の部活に入ることを黙って認めてくれた」


 土手で座間の言っていたことを思い出す。


 ――それって、逃げなんじゃないのか。


 その言葉は現実の恋愛から逃げた俺、に言っていたのではない。

 サッカーから逃げて、野球という新しい舞台で戦っている自分自身に言っていたのだろう。


「野球の方にはけっこう才能があったみたいでさ、少年野球からずっと野球を続けてる連中にだって負けてない自信があった。俺は野球が好きなんだなって思った。そういう風に思い込もうとしてた」

「……だけどおまえは、野球を、裏切った」

「そうだ。そうだよ……!」


 座間が感情をむき出しにする。仮面のようだった薄ら笑いがようやく剥がれて、内側のどす黒いものが露わになる。

 そのまま投げられたボールは座間の感情が乗っているようで、触れるだけで心を砕かれそうな迫力があった。

 俺は耳かき棒を振るう。ようやくボールに当たるが、掠っただけで後方へと跳ねた。


「俺は力を使ったんだ。毎日毎日仲間達と積み上げてきた努力を、全部吹き飛ばすような真似をしたんだ!」

「キュウイチ……」


 ヴェールが胸を押さえる。彼女の中に渦巻いている感情がどれだけその心を傷つけているのか、想像に難くない。

 だが、それはきっと、彼女が背負わなければいけないものだ。

 そして彼女にとって、とても大事なものなのだ。


「俺は野球が好きだったんじゃない。サッカーから逃げたんだ。逃げた先が思ってたよりも居心地がよくて、好きだと思おうとしたんだ。好きじゃないから、ただ楽して勝つだけのことをしようとしたんだ!」

「言いたいことはそれだけか、座間」

「それだけか、だって?」


 俺はとびっきり大仰に鼻で笑い飛ばす。


「くだらないな」

「なに……?」

「くだらねぇって言ってんだよ!」


 誰も聞き逃さないように声を張り上げる。結果は良好、座間は目を剥いて、一層感情を剥き出しにしてボールを投げてくる。


「何がくだらないんだ! カッキーにはわからないんだ、俺がどんな気持ちなのかっ、どんな気持ちで勝ちたかったのか! チームの皆を、先輩も後輩もみんなみんなっ! どれだけ勝たせてやりたかったのか!」


 ファウル。


「知らねぇよ! 俺はぼっちだからな、団体競技やってる奴の気持ちなんざ知ったこっちゃねぇんだよ! 勝ちたかったんだろ? 勝てたんだろ? だったらそれでいいじゃねぇか、何が悪い!」


 ファウル。


「俺だけじゃない! チーム全員の努力を無駄にした! スタメンも、ベンチも、補欠もそれ以外の部員もっ、あいつら全員が一生懸命練習して勝とうとした試合を、俺は力に頼って終わらせようとしたんだ!」


 ファウル。


「それのどこがいけねぇんだよ。だいたいおまえは人類を救ってんだぜ? おまえがいなかったら今頃人間はどうなってるかわかんねぇ、野球の試合なんざできなくなってるかもしれねぇ。だったらちょっとぐらいチート使ったっていいじゃねぇかよ!」


 ファウル。


「許せるかよ、許せないよ! 誰よりも俺がっ、俺が俺を許せない!」

「だったらもう答えは出てんだろうが!」


 座間が腕を振り始めた瞬間に、俺は言う。


「それだけ自分のしたことに怒れる奴が、野球を好きじゃないわけあるかよ」

「――ッ」

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