四話

 俺は地面に這いつくばりながら渾身の力で叫ぶ。


「プリシアァ! てめぇ何してやがんだ、状況わかってんのか!」

「……こそ」

「あぁ!?」

「カキタローこそっ、なんできたのっ!」


 ようやく口を開いたプリシアは、あろうことか俺を責め立ててきた。


「もうヒーローはやらないんでしょ!? カキタローなんてさっさとお家に帰って耳かき音声を聴いてればいいんだっ!」

「せっかくきてやったのになんだよその言い草は、いいのか!? 帰るぞ!? ホントに帰るぞ!?」

「帰っちゃえ!」

「あ、あの、二人とも落ち着いて……?」

「やめろ、こんな時に何をバカな言い合いをしているんだ!」

「カッキー、二打席目だぞ」

「わぁってる!」


 気遣わしげな藍原の声も、俺達の愚かさを叱責するヴェールの声も、全て振り切って俺はバッターボックスへと戻る。

 相変わらず心許ない武器を構えて、座間を煽るように手で招いた。


「来いよ、おまえの球なんざ逆転サヨナラ満塁ホームランにしてやる」

「いろんな意味で無理だと思うけど」


 すげない反応の直後、二打席目の勝負が始まる。

 一球目の結果は、言うまでもない。俺は空振りの勢いのままその場に崩れ落ちた。単純に自転車を漕ぐのに消耗していて膝が笑っているのだ。

 ぜえはあと息を荒げる俺に、ヴェールが近づいてくる。


「そのまま戦っても勝てるわけがない。早くプリシアを説得するんだ、君のヒーローとしての力は彼女の協力なしに発現しない!」

「知ったこっちゃねぇ、座間ごとき俺一人で充分だ」

「意固地になるなと言っているんだああもう!」

「み、美泉、くん!」


 耳を癒やす音色の出所へと視線を向ける。磔にされたままの藍原がボロボロの姿で、しかし強い光を宿した瞳で俺を見ていた。


「私、ね。お父さんと、お母さんに、話したよ」


 普段はどこか気弱に見える少女が、意外と度胸に溢れていることを俺は知っている。路上でライブを始める直前のような決然とした表情で、藍原は語る。


「もっと音楽の勉強がしたいって、話したよ!」


 その告白に、俺は息を呑んだ。


「そんなの無理だって、諦めた方がいいって、やっぱり言われるんじゃないかって。ずっと、思ってた。でも、違ったの。私の名前、唄って名前……お父さんも、お母さんも、昔同じ歌手が好きで、そこから仲良くなって、結婚して、私を産んで、好きだった曲みたいに、誰かの縁を結んだり、想い出に残るような、そんな人になってくれたらいいって……!」

「……二球目、いくぞ」


 藍原の言葉を遮り、座間が呟く。俺は慌てて身構える。


「だから、すごく心配だけど、本気でやるなら応援するって。認めてくれたの! 代わりに勉強もちゃんとしなさいって、だけどそれならいいって! 言えたの。美泉くんのおかげで、美泉くんがギターかっこいいって、褒めてくれたおかげでっ」


 あえなく二つ目のストライクを食らった俺に、藍原は言う。


「美泉くんもっ、大事なことを言いにきたんじゃないのっ!」


 俺は握った拳で地面を殴りつけた。崩れた膝を浮かせ、足の裏でしっかりと大地を踏みしめる。


「……プリシア」

「いやだっ、聞きたくない!」


 駄々をこねる幼子のように、プリシアは首を激しく横に振る。


「カキタローが言ったんだもん、もう理由がないんだって」

「理由ならあんだろうがよ!」


 俺の言葉を聞くまいとするプリシアに、俺は彼女が心を閉ざそうとするよりも力強く言葉をぶつける。


「俺の身体はボロボロなんだろ!? 俺はおまえのおかげでまだ生きてるんだろ!? とびっきりの理由があるじゃねぇか! 俺がヒーローでい続ける理由が!」

「そ、れは」

「なんでそれを言わなかったんだ! おまえが全部打ち明けるだけでよかったのに、なんで」

「そんなの私にだってわかんないよ!」


 悲鳴にも似た叫びだった。聞くだけで心が痛むほどの。

 けれど、その言葉は。

 まっすぐに俺へと向けられていた。


「……初めて、だったんだもん」


 ポツリ、とプリシアの口から言葉が漏れ出る。


「木々のざわめきが、心地いいと思った。花の匂いを、ずっと嗅いでいたいと思った。空の青さが、なんだかとてもすごいものに思えた」


 それはきっと、彼女が〝感情〟を知ってから出会った、たくさんの宝物だ。


「だからもっと知りたかった。この感情を。ヴェールちゃんの後にこっちの世界に来て、強い感情エネルギーを発している人を探して、そしたらカキタローに出会った。カキタローの中にあるたくさんの複雑な感情エネルギーを感じて、この人ならちょうどいいなって思った」


 それがきっと、彼女が〝感情〟を知るために決めた選択で。


「でも……でも……っ!」


 今は多分、違うのだ。


「理由なんて難しくてわからないもん。感情なんてもっと難しくてわからないもんっ。怪我が治るまでとか、耳かきしてあげるまでとか、そんなの関係ないもんっ。私は皆と……カキタローともっと一緒にいたかったんだもんっ!」


 座間が無言のまま投げた一球は当然のように俺の横をすり抜け、二打席目もあっさりと勝負が決まった。


「…………………………」


 プリシアの叫びに俺は立ち尽くし、いくばくかの沈黙の末に言葉を絞り出す。


「ごめんな、プリシア」


 思いの外、口は簡単に開いてくれた。


「俺は誰かの気持ちを踏みにじる奴が嫌いだ。そんな奴にだけはなりたくなかった。でも気づいたんだ。他の誰でもない俺自身が、自分の気持ちを踏みにじっていたんだって」


 風が吹き、グラウンドに土埃が舞う。俺を責めるように風に乗ってぶつかってくる。


 俺は決して、目を閉じなかった。


「俺は怖かったんだ。自分が好きなものが、自分の何かに対する好きっていう気持ちが、また誰かに否定されるんじゃないかって。それならいっそ閉じこもっていればいい。誰に教える必要も伝える必要もない。俺の気持ちは俺の中に大事に仕舞っておけば、誰かに傷つけられることはない」


 でも、


「それは、逃げてただけだ。たとえ俺の「好き」が誰にも受け容れられなかったとしても、俺は声を上げるべきだった。俺はそういう奴になりたいはずだったんだ」

「最後の打席だ、カッキー」


 座間が腕を振り上げるのを見ながら、結局何も好転していない状況を俯瞰するように考えながら、俺はどこか落ち着いた心持ちで、


「プリシア――」


 彼女の名前を呼んだ。




「――俺はおまえが好きだ」

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