三話

「来たな、カッキー」


 俺がグラウンドに足を踏み入れると、マウンドから座間が声をかけてきた。今まで相手してきた怪人とは、何もかもが違う。自我を保っているらしい彼からは、味わったこともないプレッシャーを感じる。


「っていうか、本当にやっと来たなっていう感じなんだけど。けっこう日昇ってきてるよ?」

「うるっっっせぇな、これでもかっとばしてきたんだよッ!」


 俺は腹の底から叫んだ。早朝でガラガラの車道を自転車でかっ飛ばすこと一時間、ようやくここまでたどり着いたのだ。


「あいつが傍にいないと変身できないとかどんな縛りプレイだよ! やっぱ仕様おかしいよ!」

「結果的に間に合ったのだからよいではないか」


 文句をぶちまけてもヴェールに涼しい顔で受け流されてしまう。さっきまで泣いたり怒鳴ったりしていた奴とは思えない。動画にでも録ってネタにしてやればよかった、いやそもそも精霊は動画に映るのか? そんなくだらないことを考えていられるぐらいには、頭もスッキリしてきたらしい。


「間に合ったというよりは、完全に待たれていたという雰囲気だがな」


 俺が何を考えているかなど知らずに、ヴェールは座間を見据える。

 座間は一見、ただのユニフォームを着ている高校球児にしか見えない。しかし、全身から立ち上る黒々とした霧のようなオーラは、彼がただの人間ではなくなっていることを明示していた。


「わざわざ俺が来るのを待ってたってことか」

「この機会にすべてのヒーローと決着をつけるつもりなのだろう」


 ヴェールの言葉に生唾を飲む。ハイトは見当たらないが、きっとどこかから俺達を見ているに違いない。


「おい、座間」

「なんだい、カッキー」


 俺は座間の背後にそびえる、二つの十字架を指さした。


「そいつらを解放しろ」


 二本の巨大なバットで形作られた独特の十字架に、プリシアと藍原が縛り付けられている。藍原はヘルメットも壊れてボロボロのヒーロー姿。プリシアはモールで買った服を着ているが、土埃にまみれて見る影もない。


「ごめん……美泉くん……」


 喋るのも辛そうなのに藍原が謝罪してくる。俺は喋らなくていいと手の動きで示し、隣のプリシアを一瞥する。俺がここに来た直後に目が合って以来、彼女は顔を背けたままだった。

 仕方がない、と自嘲気味に笑みを零す。なに、嫌われるのにはそこそこ慣れている。


「二人を解放してほしいなら、俺を倒してもらうよ」

「上等だ。フルボッコにしてやる」

「いい気合いだけど、何で戦うかわかってる?」


 座間の挑発するような言葉に俺は眉を寄せ、続けられた言葉に勝負を受けたことを後悔する。


「もちろん、野球だよ」

「何がもちろん!?!?!?」


 俺は全力で抗議した。


「なに未経験者を虐めようとしてんだ! ただの虐待じゃねぇか!」

「待てカキタロー。いまのキュウイチはヒーローとして正の感情エネルギーを、怪人として負の感情エネルギーを操る両方の力が備わっている。まともに戦うのはむしろ愚策だ」

「だったらとっととあいつからヒーローの力とやらを剥奪したらどうなんだ」

「それは……いやだ」


 ぷいっとそっぽを向くヴェール。大人な女性が時折見せる子供っぽい仕草ってけっこういいよね、などと騙される俺ではない!


「というよりも、不可能だ。どうも力の主導権を握られてしまっているらしい。ハイトめ、小癪な真似をする」

「だったら最初からそう言え。ったく」


 悪態を吐きつつ、俺はバッターボックスに向かう。どうやら、もうどこにも逃げ道はないらしい。


「覚悟は決まった?」

「それはこっちの台詞だ。ホームラン打たれてトラウマ抱えることになっても知らないぞ」


 右腕に力を籠め、幾多の戦場を乗り越えてきた相棒を呼び出す。バットなんて必要ない、俺が振るうのはいつだってこいつ、


「耳かき棒だ!」


 手の上に顕現したそれは、市販のものと同程度のサイズしかなかった。


「ってなんでだぁぁぁぁ!!!!!!」

「プリシア! 何をしている!」


 ヴェールの叱責が飛ぶ。ヒーローとしての力が発揮されないのは俺ではなくプリシアに問題があるらしい。おい、本気で役立たずと呼ぶ時が来たか?

 叱り飛ばされてもなお、プリシアはこちらを見ようとしない。そうこうしているうちに座間が投球フォームに入る。


「さすがにかわいそうだから三打席あげるよ。ホームランなんて言わないから、頑張ってヒットを出してくれ。ツーベースぐらいだと嬉しいかな」

「かわいそうだと思うなら今すぐ投げるのをやめろ!」

「いやだよ、ボークになる」


 そうして座間が投げたボールは、ボークどころか火の玉ボールだった。

 火炎に包まれたボールが俺の前を通り抜けて壁に激突する。キャッチャーも球審もいないからストライクなのかよくわからないが、ぶっちゃけそんなことは些細な問題だった。

 なるほど、燃える魔球か。


「打てるわけねぇだろうが!」


 いつから俺は漫画の世界に迷い込んでいたのだろうか、本気で不安になってくる。


「ワンストライクね」

「冷静にカウントを始めるんじゃない……!」


 怪人と化した座間はただ冷徹に手から次のボールを生み出し投球モーションに入る。とことん俺をたたきのめすつもりらしい。

 俺はといえば、構えようにも得物が長さ十センチ程度しかない耳かき棒だ。いくら俺が生粋のミミカキストだとしてもこれでチート級の球を打ち返せというのは無理がある。

 とりあえず振るだけ振ってみたが、やはり二球目にはかすりもしなかった。そもそもタイミングが合っている気さえしない。


「ツーストライク」

「くそったれ……!」


 悪態を吐けども状況は変わらない。ついに迎えた三球目、打ち返すどころか球の風圧でバッターボックスから吹き飛ばされた。

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