四章 美泉柿太郎は伝えたい

一話

「――座間が怪人になった?」


 ヴェールが告げた衝撃の事実に、ただでさえ混乱していた俺の頭はもはや収拾がつかない状態に陥った。

 それでもなんとか心を落ち着けようと咳払いをする。


「……どうしてそんなことになったんだ」

「私が、悪いんだ」


 いつものしっかりした姉貴分といった風情はどこへやら、ヴェールの声は弱々しい。目をきつく瞑り、歯を食いしばっている様子から感じ取れるのは、後悔。


「キュウイチの試合を、観に行ったそうだな」

「ああ」

「あの日、私はキュウイチに言ったんだ。ヒーローの力を使え、と」


 その告白に、やはりか、と思う。

 あの試合、座間の投げるボールの時速は、速いストレートでもせいぜいが140キロ前半といったところだった。とても160キロの球を投げるのと同一人物とは思えない。


 試合中に覚醒して時速が10キロ以上も伸びる、なんてのは漫画の世界でさえありえない話だ。だとすれば、そこには超常的な力が働いていたと考える方が自然である。

 つまり、あの日、最後のバッターを葬り去ったあの球は、座間の本来の投球ではなかったということになる。


「私はただ、キュウイチに勝ってほしかった。野球というものにはまだよくわかっていない部分も多いが、キュウイチが毎日一生懸命に練習していることだけは知っていた。だから、何か力になってやりたかった……勝ってほしかった、だけなんだ」


 力なく頭を垂れるヴェールに、俺はかける言葉を失う。


「キュウイチは試合に勝った。なのに、キュウイチから負の感情エネルギーばかりを感じるようになった。なあ、カキタロー、私はどうすればよかった? 何もしなければよかったのか、助けてやりたいなどと、そんな感情を抱かなければよかったのか?」


 顔を上げたヴェールの瞳には、涙があった。俺なんかよりもずっと大人びた女性の風貌をしている彼女が、俺に見られているのにも構わず泣いている。

 精霊にとって、感情は未知のものだ。突然自分達に芽生えたものに戸惑いを覚えているのだろう。扱いかねて、間違えて、どうすればいいのかわからなくなっている。それは、とても責められることではなかった。

 ずっと人間をやっている俺でさえ、自分の感情との向き合い方がわからないのだから。


「俺だって、どうしたらよかったのかなんてわからない」


 ヴェールの気弱な様子にあてられたのか、俺は頼まれてもいないのに心中を吐露していた。


「プリシアに何を言えばよかったのかわからない。プリシアにどう接すればよかったのかわからない。俺自身を、どうしてやればよかったのか、わからない」

「プリシア……そうだ、プリシアはどうした? どこにいる?」


 問いかける彼女に、俺はプリシアが出て行ったことを話した。実体化できるようになって、俺達の間にあった契約は果たされたのだと。


「だから、俺はもうヒーローでもなんでもない。おまえの仲間を傷つけた、最低の人間だ」

「違う。それは違う、カキタロー」

「何が違うってんだ。俺が行ったところで藍原やプリシアの邪魔になる。俺にはもう、プリシアに合わせる顔なんてない。あいつだって、きっとそう思ってるはずだ」

「違うんだ!」


 ヴェールが声を荒げる。そんな彼女の声は、本当に初めて聞いた。


「君はまだ、ヒーローなんだよ」

「は?」


 意味がわからず問い返すと、ヴェールはいくらか力を取り戻した声で続けた。


「君の感情エネルギーはまだプリシアとリンクしている状態だ。君にはまだ、ヒーローの力がある」

「……なんで」

「プリシアに、君との繋がりを断ち切りたくない理由があるからではないのか」


 ヴェールの宝石のように輝く群青色の瞳が、俺を捉えて放さない。


「君は、プリシアに耳かきをしてもらう代わりにヒーローになったんだったな。それが君達の繋がりを保つ、一つ目の理由だ」

「それはもう終わったんだって」

「ならば、二つ目の理由だ」


 ヴェールはしばし目を閉じてから、言い放つ。




「君は、本来ならばすでに死んでいる」

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