十話

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 ――私はあの日、カキタローの家を出てからその足でウタの家へと向かった。

 飛んでいくこともできたけれど、そうしなかった。歩いていれば、意外と後ろから彼が追いかけてきて、バカとかアホとかポンコツとか、そんな風になじりながら連れ戻してくれるのではないかと期待していた。


 私は、期待していた。どうして自分がそんなことを望んだのかは、わからなかったけれど。

 さすがにウタの家にたどり着いた頃には諦めがついていて、壁をすり抜けるようにして彼女の部屋へと入った。ウタはとても驚いていたけれど、私のことを快く迎え入れてくれた。


「プリシアちゃん、美泉くんと、喧嘩したの?」

「……ううん」


 首を横に振る。喧嘩、じゃない。喧嘩なんてしていない。ただカキタローの言うとおり、私達が一緒にいる理由がなくなっただけ。

 だからこれは喧嘩などではないのだと、私は自分に言い聞かせるようにそう答えた。


「そっか」


 ウタはそれだけ言ってから、机にかじりつくようにして勉強を再開した。路上ライブをしていない時は、だいたい勉強をしているらしい。成績が落ちたら両親に何を言われるかわからないからと、小さく笑いながら言っていた。

 たまに休憩がてらギターを取り出しては、静かな曲を弾き始める。歌声も控えめだったけれど、その姿はとても楽しそうだった。


「ねえ、プリシアちゃんも、弾いてみない?」

「えっ、いいの?」

「うん」


 渡されたギターをおっかなびっくり受け取る。最初は傷つけてしまったらどうしようとか考えていたけれど、教えてもらいながら音を鳴らすのが楽しくてすぐに夢中になった。それはきっと音楽なんて呼べるものではなかった。それでも、楽しかった。


 翌日、学校に行くウタについて行った。姿は彼女以外に見えないようにして。

 教室に着いてしばらくすると、カキタローがやってきた。教室の入り口で一瞬立ち止まった彼に、ウタが歩み寄る。


「プリシアちゃん、私の家に、きたよ」


 ウタがそう言うと、カキタローの目が私を向いた。けれど、すぐに彼の視線は別の場所へと投げられる。

 カキタローには私が見えていない。わかっているのに、どうしてか鼓動が早くなるのを感じる。


 一日中カキタローはぼーっとしていて、時々ノートに黒板の文字を書いては外を見て、そんなことを交互に繰り返していた。放課後になると、足早に帰って行ってしまった。

 ウタもまっすぐ家に帰ったので私もついていく。夜にはまたギターを触れて、少し楽しかった。


 夜になり電気を消した部屋はとても暗かった。私はベランダに出て星空を見上げていた。精霊も睡眠は摂るけれど、そういう気分にならなかった。そんなことは初めてだった。


 人間に触れてから、カキタローと出会ってから、知らなかったことをたくさん知った。それなのに、まだまだわからないことだらけだ。


「……もっといろいろ、教えてほしかったなぁ」


 頬が濡れたのを感じる。それがどうしてなのかは、もう知っている。これは、涙というらしい。

 私の呟きは夜空に呑まれるように消えていって、誰にも届かない。

 夜が明けるまで、ずっと空を眺めて過ごしていた。

 そんな時だ、怪人が現れる気配を感じたのは。


「プリシアちゃん」


 家の中からウタが顔を出す。私は小さく頷いた。

 変身したウタはピンク色を基調としたヒーロー姿で、私は可愛いと思ったけどウタは少し恥ずかしいと言っていた。


 ベランダから飛び降りて、地面に立つ。その衝撃で足が折れたりすることはもちろんなくて、ウタは元気いっぱいに走り出した。誰にも見られないようにヒーローの力を使ったけれど、そうするまでもなく人はほとんどいない。こんなにも朝の早い時間に怪人が現れるのは初めてのことだった。

 やがて、私達はそこへたどり着く。


「球場……?」


 そこは、カキタローと一緒にキュウイチの野球を観に来た場所だった。建物全体を覆うように結界が張られている。


「ねえ、プリシアちゃん。悪い精霊さんは、人の負の感情エネルギーを、集めてるんだよね?」

「う、うん」

「だったら、どうしてこんな時間に、こんな場所に……」


 ウタはそこまで言ってから、ふるふると首を振った。


「とにかく、悪いことをしてるなら、止めないと。座間くんもきっと、来てくれるよね?」

「キュウイチは来ないくらいがちょうどいいって、カキタローは言ってたよ」

「ふふ、あの二人、仲良しだから」


 私達は球場の中に入った。怪人の気配はこの結界の中心にある。


「え?」


 私達は、二人揃って驚きの声を上げた。

 怪人がいるはずのそこに、球場の土が盛り上がったマウンドというらしい場所に、〝彼〟は立っている。私達を見て口角を上げる。その笑顔はいつもの彼とは似ても似つかない、まるで仮面をつけたような無機質なものに思えた。




「キュウ、イチ……?」




 座間球一は、怪人になっていた。

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