九話
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話し終えた頃には太陽も地平線に差しかかり、ほんのりと夜の気配を帯び始めていた。
川面を撫でるのと同じ風を浴びながら、俺と座間は置物のようにその場に留まっている。
「つまらない話だろ」
座間ならどういう反応をするだろう。「カッキー、フラれたの? やべぇ、俺も中学の頃フラれたことあるわ、仲間じゃん!」などとわざと茶化してくるか。もしくは「カッキー……辛かったなぁ、俺の胸で存分に泣いていいぞ!」などと慰めながら茶化してくるか。どのみち茶化してくるのかよ。
想像の中の座間になぜだかほっこりしていた俺は、早々に予想が裏切られたことを知る。
「そっか……」
座間はただそう言って、静かに俯いていた。
「大変だったな。ありがとう、話してくれて」
「あ、ああ」
神妙な態度にこちらの調子が狂う。目をぱちくりさせながら座間を観察していると、いつもならやかましいぐらいの彼は見逃してしまいそうなくらい小さく唇を動かした。
「でも、それって本当に好きなのかな」
川縁に、ひときわ強い風が吹く。
「……だけなんじゃ」
俺が聞き返すよりも早く、座間はハッとした顔をして立ち上がった。傍らに置いてあった鞄を手に取り慌てたように駆け出す。
「わりぃカッキー、俺もう帰るわ!」
呼び止める暇もなく、坊主頭は手を振りながら去って行く。
取り残された俺は、視線を川の方へと戻して、目を閉じた。視界が黒一色に染め上げられる。
座間の最後の言葉は、風にかき消されてはいなかった。
ちゃんと、俺の耳にも届いていた。
――それって、逃げてるだけなんじゃ。
その一言は俺の頭の中にこびりついて、掻いても掻いても、剥がれ落ちてくれそうにない。
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家に帰る頃にはすっかり日が暮れてしまって、家にいた母に小言を言われた。帰宅部で友達のいない息子の帰りが遅ければ心配もするのだろう、心底申し訳ないと思う。
夕餉を終えて二階へと上がる。自室に籠もろうと扉を開いた俺に、後ろを離れて歩いていた梨子が声をかけてきた。
「ねえ、本当にどうしたの」
振り向けば不機嫌そうな妹の顔がある。今朝からずっと俺への心配を引きずっているらしい。
「……なんでもないって朝も言ったろ」
「彼女と何かあった?」
話を切り上げて部屋に入ろうとした足が、止まる。
「あの人、私が部屋に行ったすぐ後に出て行ったでしょ。けっこう慌てた感じで。足音すごかったよ」
「……あいつは、そういうのじゃない」
「フラれたの? 私がタイミング悪かったせいで気まずくなったなら、なんか嫌だし。協力するからさ」
「そんなんじゃねぇって言ってんだろ!」
握った拳で、壁を叩いていた。梨子の肩が跳ねるのを見て我に返る。
「……おまえは、関係ない。だから何も気にするな」
辛うじてそう言うのが精一杯で、梨子がどんな反応を見せたのか確認することもできず俺は逃げるように部屋へと飛び込んだ。
閉めたドアにもたれかかり、腰を落とす。
「最低の、クソヤローだな……」
他の誰でもない、自分が一番、それをわかっていた。
それからずっと、夜通し耳かき音声を聴いていた。
上京して疎遠になっていた幼馴染みと再会、昔が懐かしくなりお互いに耳かきっこをし合うことになる。胸が躍らない。
実家に仕えているメイドに甘やかされる、耳かきだけじゃ飽き足らずシャンプーからマッサージ、添い寝までしてもらう。心が沸かない。
人間の娘に化けた妖怪に奉仕してもらう、最初は自分を食べるために近づいてきた彼女と次第に心が惹かれ合っていく。気分が弾まない。
ブラコンの妹と姉が自分を取り合い、両サイドから同時に耳かきを――何も響かない。
どの作品を聴いても、感情が動かない。ただ無為に時間だけが過ぎていき、窓の外は夜の暗闇も過ぎ去って白み始めていた。
全身を襲う気怠さが徹夜のせいなのかさえわからない。いっそこのまま泥のように眠り学校をサボってしまいたいぐらいだが、目を閉じても頭の中で何かが喚き散らしていてうとうとすることすらできそうにない。
俺はどうすればいいのだろう。
どうすれば、よかったのだろう。
答えを追い求めるように、もしくは逃げ道を探すように、俺はネットで購入した耳かき音声作品を手当たり次第に開いた。その中の一つのパッケージイラストに妙な違和感を覚えたところで、それは訪れた。
「――ッ!?」
全身を襲う悪寒。俺はパソコンの画面にかぶりついていた顔を上げた。この感覚は、怪人が出現した時のものだ。
反射的に立ち上がろうとして、思い直す。もう俺はヒーローではない。どうして怪人の出現を察知できたのかは知らないが、どのみち座間と藍原がなんとかするだろう。幸い、今はまだ早朝だ。まさか野球の試合をやっているなんてこともないだろう。座間は朝練のおかげで朝型だから、むしろ好都合なのではないか。
とにかく俺にはもう、関係ない。
「カキタロー」
その声に、倦怠感に包まれていた俺の身体は一転して跳ねるように反応した。
椅子に座ったまま振り返った俺の目が捉えたのは、
「頼みが、ある」
褐色で巨乳の、やたらとグラマラスで美人なお姉さんだった。
「……いや、誰だよ」
尋ねながらも、だいたいの見当はついていた。そういえば以前、こいつはこんな特徴を持っているのだとプリシアが言っていた。
俺の推測を肯定するように、女が口を開く。
「私だ。ヴェールだ」
ただ一つ、俺が疑問に思ったことがあるとすれば。
いつも落ち着いているヴェールの声音が、心なしか冷静さを失っているように聞こえたことだった。
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