八話
中学一年の時、好きな人ができた。
相手は入学直後の座席で隣同士だった女の子、ただ席が近かったというだけの理由でよく会話を交わすようになった。
明るくて快活、どちらかといえばクラスの中心にいるような女子だった。今となっては考えられないが、その頃の俺は比較的社交性は高かったし、小学校から付き合いのある友達だって何人かいた。
ただ恋愛経験はなかった。加えて知識も乏しかった。
彼女のことが好きだ、ということだけはわかる。けれどどんな行動を起こせばいいのか皆目見当がつかない。そんな俺が頼ったのは、もっとも身近にいた年上の男性、その頃はまだ高校生で同じ家に住んでいた兄の桃介だった。
『すすすす好きな子ができたぁ!?』
俺のカミングアウトに、桃介は椅子から転げ落ちるという芸人ばりのリアクションで応えた。この時点で察してもよかったのだ。我が兄はDK(男子高校生)であると同時にDK(童貞くん)だったのだ、と。
とはいえ、そもそも童貞という言葉さえ知らなかった当時の俺にとっては兄は敬愛の対象だった。今は敬愛から敬が抜け落ちて、まあ五百円玉を愛でるぐらいの愛情は向けてやってもいいかな? ぐらいの間柄である。これはすごいことだ、五百円あれば安価な耳かき音声作品ならお釣りが来る。値が張るものでも二枚あればたいてい買えるだろう。
『兄貴、俺はどうすればいいと思う』
『う、うーん』
頭から湯気が出るほど思い悩む兄の姿に、俺は子供ながらに何か申し訳ないことを聞いているのではないかという実感があった。
それが伝わったのか、桃介は見事な慌てっぷりで思いついたことを考えなしに俺へとぶつけてきた。
『こ、告白だ。とりあえず告白するしかない』
『そういうもんなのか?』
『そうだ。漫画なんかでは男女が付き合うまでえらく長い時間がかかる。「もうおまえらホントは付き合ってんだろ?」っていう連中でさえたっぷり数十巻分かけてようやく恋仲になったりするが、漫画はフィクションだ。現実の恋愛はむしろ即断即決、パッとコクってパッとくっついてパッと結合するもんだ!』
『結合?』
『弟よ、今の言葉は忘れろ』
素直に頷いた俺に、桃介は咳払いをしてから、
『実際、告白しないと始まるものも始まらないからな。ノロノロしてたら他の男に食われちまうかもしれん』
『食う……?』
『弟よ、皆まで言わずともわかるな?』
俺は再び頷いた。
『中学生なんて「ちょっと気になるなー」ぐらいで付き合ったりするもんだ。とにかく行動あるのみ、それが恋愛の極意だ!』
『おお、なんかすげぇ』
『はははっ、そうだろうそうだろう!』
高らかに笑い声を上げる兄の姿は、思い返してみればかなり無理をしていたような気がする。
その後もああだこうだと問答を行った末に、美泉柿太郎による人生初告白が執り行われることとなった。プレゼンティッドバイ兄による告白の結果は、まあ想像に難くない。
玉砕した。
放課後の教室に彼女を呼び出し、わざわざ花言葉を調べて三本という数に決めた赤い薔薇の花を差し出し、俺はフラれた。
男子中学生が薔薇を携えて告白する、というところから大分アレな気配が漂っているのは間違いない。もっとも、まともな告白をしていたとしてオーケーをもらえたかどうかも今となってはわからない。
ただ、翌日から俺のあだ名は「バラタロウ」になった。たまに「バライズミ」になった。
そうして始まった同級生達による怒濤のいじりは、かといって不登校になるほど過酷なものではなかった。身体的に攻撃を加えられたわけでもないし、俺にとってはまだ耐えられるレベルの代物だった。
ただ、理解できなかった。
納得することができなかった。
彼女はなぜ、わざわざ俺に告白されたことを言いふらしたのか?
彼女はなぜ、わざわざ俺を笑いものにして楽しそうにしているのか?
いま思い返してみれば、彼女に悪意があったとは限らない。ごく親しい友人だけにあの日のことを打ち明けたら、彼女のあずかり知らぬところで話が広まってしまっただけかもしれない。
そもそも俺の告白を偶然目撃した第三者がいた可能性だってある。
けれど、彼女は笑っていた。俺が一度でも好きだと思った女の子は俺のことを、嗤っていたのだ。
俺は悪いことをしたのだろうか。俺は彼女に迷惑をかけたのだろうか。確かにやり方はくどかったかもしれない。けれど、たとえば俺は交際を強要したり、フラれた腹いせに怒鳴り散らしたりしたわけではない。
ただ好きだと伝えただけなのに。
――どうしてこいつらは、嗤っているんだ?
告白の結果については、当日に兄に伝えてあった。それからめっきり元気を失っていた俺のことを見かねたのか、彼が勧めてきたのが耳かき音声だった。
『女なんて世の中にはいくらでもいるさ! いないなら探そう。リアルがダメならフィクションだ!』
そう言って弟に耳かき音声を聴かせる兄など、世界広しといえどうちの愚兄ぐらいのものだろう。大半の人間は彼に対してバカかアホという評価を下すに違いない。
けれど、俺は兄に感謝している。
その出会いは衝撃だった。聞いたこともない女性の声が、イヤホン越しに俺に語りかけてくる。時に俺を慰め、時に俺を甘やかし、時に俺を愛してくれる。
所詮作り物だと人は言うだろう。けれど、それは誰かがこういうものを作りたいと、そういう熱意と愛情を持って作り上げた作品だ。そこにはすでに大量の「好き」が詰まっていた。あとは俺の方からも同じ感情を向ければいいだけだった。
俺が受け容れる限り、決して誰からも否定されることはない。
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